わかれ
 
 妻の(母方の)祖母が95才で亡くなりました。葬儀の日、わたくしがK市の駅前通りに最近出来た葬送会館に行き、3階の駐車場に着くと、ちょうど妻も小型車で到着したところでした。鉄筋の柱で支えられた駐車場は、スーパーマーケットのものと変わりなく、屋上は全面が駐車場で、地上にも数十台入る駐車場がありました。
 わたくしは檀家参りの途中で黒い布袍姿、妻は黒い喪服姿です。
 ──まだ早いわね、と腕時計に目を落として妻が言い、
 ──早い、早い、とわたくしは面倒げに言いました。
 駐車場脇の入口から中に入り、T家親族の控え室は1階『泉の間』と案内板に出ていて、エレベーターに乗って1階に下りて『泉の間』に行くと、T家の人々が集まっていました。妻は妹さんと、黒い喪服姿であるのが違うだけで、普段通りにお喋りし、わたくしは妻の母親にお悔やみを述べた後、法事の席で見知った人たちとも一言二言、言葉を交わしました。
 喪主のT氏の長男は昨年、スチュワーデスだった年上の女性と結婚し、披露宴から帰って来た妻がその美貌を褒めそやしていました。実際に会ってみると、確かに鼻筋の通った、目の大きい、いかにも東京生まれの帰国子女らしい容貌の持ち主でしたが、わたしくには縁遠いタイプでした。むしろ、韓国の男性と今年結婚したという次女の健康そうなふっくらとした体つきに好感を持ちました。妻の父親が亡くなりその法事で見た時、長女は確かまだ高校生だったはずですが、白い肌とキリッと締まった細面の顔立ちが強く印象に残っています。ところが、10年ぶりに会ってみると、歯科医と結婚して出産し、相手の不承知でまだ離婚に到っていないけれども実家に戻っているという、人生の荒波に揉まれたせいか、幼な子をあやす姿に些か疲労の色が窺えました。
 いずれにせよ、まだ子供のようにわたくしの目には映っても、みんなもう30才前後の立派な社会人でした。
 2階にある『鈴の間』で妻と食事し、1階に戻ると、白手袋を嵌めた2人の係員がやって来ました。
 ──これから柩を式場にお移し致します、と言い、柩に向かって合掌礼拝し、前卓を脇にずらして、搬送台に2人で柩を載せている間、シンとした人々の視線が、2人の動きを追うともなく追っています。
 ──どうぞ一緒にお出でください、と女性の係員に誘導されて、柩に付き従って人々は移動し、葬儀会場に向かいました。
 ほんのりと青い照明に照らされた祭壇の正面に柩が据えられ、在りし日の老女の遺影が掲げられ、白木の楼門細工の中に阿弥陀仏の絵像が掛けられています。静かなBGMが流れている中を一同が着席すると、天井からスルスルと銀幕が下りて来て、浄土真宗のビデオ紹介が始まりました。
 ──ははあ、とわたくしは思わず声を洩らし、隣の席の妻が、
 ──分かりやすそうね、とささやきました。
 確かにプロの手になるビデオは、簡にして要を得たものでした。
 まもなく渋茶色の色衣に七条袈裟を掛けた導師、同じ衣装の2人の副導師、黒衣に五条袈裟を掛けた2人の役僧が入場して来てました。普段何度となく葬儀を執行しているわたくしにとって、逆に参列者の側に加わることはちょっと奇妙な気分です。
 導師が曲六から立ち上がり、
 
  流転三界中
  恩愛不能断
  棄恩入無為
  真実報恩者
  ……
 
 と読誦して、葬儀が始まりました。同じ浄土真宗であっても、西と東の、とりわけ儀式は悉く違うのだとよく聞かされていましたが、存外、同じ手順で進み、節回しにもそれほど違和感がありません。同じ経典を扱っているのだから、どう読もうと、同じ雰囲気になるのは当然かも知れませんが……。
 ──喪主の方、ご焼香をお願い致します、と読経の最中に進行係がアナウンスし、女性の係員に導かれて、最前列中央の椅子に着いていたT氏が立ち上がり、僧侶たちの背後にしつらえられた焼香台に行きました。それからT夫人、故人の長女、次女、三女、T氏の長男夫婦、長女、次女夫婦と次々に焼香しました。故人の孫娘の夫たるわたくしは、親類席の最後列にいて、焼香して合掌礼拝し、席に戻る際に顔を上げると、後ろの一般席は会葬者で一杯でした。そしてその最前列に、妻の両親が深く傾倒してきたM和尚がいました。挨拶しようかとちょっと迷ったわたくしでしたが、そのまま着席しました。
 ──本日はお忙しい中、母の葬儀に参列いただき、誠にありがとうございました、とT氏が謝辞を述べ始めました。故人の晩年の模様や病状を長々と語り、それも呂律が回らないものですから、わたくしはいささかイライラしました。こんな状態では、T氏自身、長くないのではなかろうかなどという失礼な思いまで湧いたものです。
 ──何を言ってるか分かっただけ、今日のおじちゃんはましだったのよ、とその夜、妻が語りました。Sちゃん(次女)の披露宴の挨拶の時など、言語不明、意味不明で、その場で卒倒するんじゃないかと、みんなハラハラドキドキしたんだから。
 ──そう言や、正月に会った時も手が震えてたよな。
 ──中風なのよ。
 ──タバコをぷかぷか吹かしてたしね。
 ──死んでもいいからタバコだけは止めないと言い張るんだから、おばちゃん(T夫人)も匙を投げてるわ。
 ──医者らしくないんだなあ。
 ──毎日大勢の患者さんを診てると、かえって自分の健康に無感覚になるのかも知れないわね。
 ──じゃあ、死人を見てるおれはどうなるんだ?
 ──自分のことは自分で考えてよ。
 そう突き放されて、「死」に近い自分を、むしろわたくしは幸運にも感じました。余りに「生」の氾濫する世の中でしたから。その結果、「生」が軽んじられている世の中でもありましたから……。
 再び読経が始まり、一般の人々の焼香が背後でドヤドヤと始まりました。1時間の葬儀は、会葬者たちの焼香時間を考えると、そんなに長いものではありません。そしてそれも終わり、導師たちが退場した後、祭壇が取り払われて、柩の蓋が開けられ、
 ──これから出棺の準備に取りかかります。どうぞ皆様、柩の周りにお集まりください。故人にお花を添えて、最後のお別れをお願い致します、と進行係がアナウンスしました。女性の係員が祭壇に飾られていた菊や百合の花を切って銀の盆に載せ、白木の柩の中に横たわっている、死に化粧をした老女の周りに集まった人々に渡しました。妻も妹さんもT夫人も、女性はみんな泣きはらしながら柩を花で埋めていきました。もう白髪の目立つ妻の母親も子供顔で泣いていて、M和尚に優しく肩を抱かれると、感極まって泣きじゃくりました。
 柩が正面玄関から霊柩車に乗せられる間に、親類縁者は一緒に火葬場に行くバスに乗り込み、わたくしはその場で見送る人々の中に混じっていました。
 ──ごくろうさま、と声をかけられ、振り向くと妻の姉さんでした。
 ──ご一緒されないんですか?
 ──急患が出来たの、と姉さんは言いました。医院を経営する姉さんは、葬儀に遅れてきた上に、早く帰らなければならなかったのです。
 まだ檀家参りの残っていたわたくしは、その前にトイレに立ち寄り、ちょうど着物の前をはだけ足を開いて便器に向かっているM和尚に出くわしました。布袍を洗面台の脇に畳んで置いて、同じ格好で隣に立ったわたくしは、
 ──ごくろうさまでした、と言葉をかけました。
 ──おお、あんたか、と下を向いたまま和尚が言いました。
 わたくしが静かに小便をしていると、
 ──真宗の葬儀の衣装は派手じゃのう。あれは相当高かろう。
 ──物にも依りますけどね。
 ──いくら安い物でも、10万や20万じゃくれんで。
 ──そりゃ、くれんでしょうね。
 ──葬式が高くつくわけじゃな、と言いながら、和尚は腰を振りました。
 ──でも、みすぼらしい装束でやるわけにも行きませんから。
 ──そりゃそうよのう。門徒も立派な葬儀を望むわなあ。
 ──まあ、そういうことでしょうねえ。
 ──どこまで行っても、自業自得、因果応報の世の中じゃのうや!.と和尚は笑い、わたくしが腰を振っている間に、さっさと姿を消しました。