鬼足谷
かつて長い間、鬼足谷は穴浦町の僻地だと言われてきました。ちょっと気の利いた生徒は、
──カムチャッカ半島みたいなものだね、とも言い、
──どうして?.と友人が尋ねると、
──カムチャッカは地球儀の上で一番目立たないだろ、と生徒は笑いました。
それはともかく、山ひとつ越えた谷の、しかも奥の半分だけが穴浦町に属し、入口の方は他の町でしたから、わたくし自身、小学時代の鬼足谷のクラスメイトを遠い異郷の住人のようにも感じていました。その頃、まだ山越えの道は舗装されてなくて、雨の日など大変です。傘を差し雨靴を履いていても、小学校に着くまでに谷の子供たちはずぶ濡れになり、
──やあい、鬼足谷の鬼に水をかけられた、とわたくしたちは囃したものです。
その鬼足谷が俄かに開けてきたのは、谷の奥にゴルフ場が開発されてからでした。当時、有志たちが町会議員に働きかけて、谷の道を奥に上ってゴルフ場を抜け川口市に至るルートが作られ、なおかつ、穴浦町の中心地へ行く山越えの道が広げられ舗装されると、谷を通る車の数が急増しました。朝夕の幹線道路のラッシュを避けた通勤の車が鬼足谷に殺到するようになり、朝は上り、夕方は下りの一方通行状態となったのです。そのため、朝夕の1時間ほど、谷の人々は田畑はおろか、隣近所に行くにも難渋するようになりました。
──わしも(町議の)哲三さんに働きかけた1人じゃが、それが良かったかどうか、今じゃよう分かりません、というのが、最近の池田道之さんの口癖でした。谷が静かだった時代が懐かしいんですらあ。
──物事には裏と表がありますからね、とわたくしは言いました。昔のままなら、きっと昔通りの不平不満が残っていたと思いますよ。
──そうかも知れませんなあ、と道之さんは笑いました。人間は勝手なものじゃから。
しかし、いったん開発の手が着くと、なかなか止められません。今度は山の上に川口市の浄水場を建設する計画が持ち上がり、鬼足谷にも水道管を回すという条件で、池田泰市さんに所有権がある、浄水場予定地の山を譲渡することになったのです。泰市さんは北の山の麓に代々住み着いてきた池田一族から独り抜け出し、田をつぶして宏壮な邸宅を新築しました。むろん、補償金のおかげでしたが、
──せっかく何百万もする農機具を買い揃えたのに、どうして田んぼをつぶしたんじゃろ?.と谷の人々は陰口を叩きました。いくら金があっても、あれじゃあ溜まらん。
──谷の人間は守るばかりで攻めることを知らん、と泰市さんも負けてはいません。儲かりもせん田んぼにいつまでもしがみついとっても意味がなかろうに。機械は人に貸せばええし、売ったって構やせん。
浄水場建設のために山林が伐り払われ、山頂が削られて広々とした平坦地が作られ、ちょうど泰市さんの新しい邸宅の南を塞いでいる山肌に芝生が張られ、桜の若木が植樹されました。将来、水道公園として整備し、人々の憩いの場にしたいという市の意向だったのです。しかし、
──どうじゃろか、と道之さんは懐疑的でした。公園にするちゅうことは、道路を通して駐車場を造るちゅうことじゃろう。今でも真夜中に谷を駆け抜ける暴走族に往生しとるんで。それに、ゴミを捨てに来る不届き者が絶えんが。これ以上、谷を荒らされとうはないわなあ。
──ミッちゃんも寝返ったもんよのう、と泰市さんはせせら笑いました。2人して谷の発展をもくろんだ頃がまるで嘘のようじゃな。
──現状を見れば、誰でも疑問を感じてしまおう。
──そりゃあ、あんたが金儲けにしくじったからよう。うまく立ち回っとれば、何億という金を手に入れることも夢じゃなかったのに、きれい事ばかり並べ立てた報いじゃろうが。
──金が全てじゃないんで。
──そんなこと、分かっとる。
──いつまで奥さんと2人暮らしを続けるつもりな?.息子を早く帰さんと、東京の人間になってしまうぞ。
──いくら言うても、嫁が放さんのじゃが。
──じゃから、どんなに資産家でも東京の嫁はいかん、後で困る、とわしがあれだけ忠告したのに、泰さんは耳を貸さんかったからのうや、と道之さんが言うと、
──恋愛して子供を孕ましたもんを別れさすわけにもいかんじゃろう、と泰市さんは言いました。
2〜3年前、泰市さんの奥さんが脳梗塞で倒れて以来、何かにつけて家事に煩わされるようになった泰市さんは、最近、首のシコリが高じて右手の動きが緩慢になっていました。医者に診てもらっても、原因が判然とせず、何か神経系の支障だろうと飲み薬を与えられていたのですが、一向に回復しません。泰市さんは最近よく噂に聞く筋萎縮症ではなかろうかと恐れたり、田んぼを止めたのは正解だったと強がったりする一方、谷の人々の中には、「強欲の罰が当たったんじゃろ」と半ば溜飲の下がる思いの人も少なくありませんでした。
体が不自由になってめっきり在宅することの多くなった泰市さんの家に、ある日、
──ごめんください、と若い男が尋ねて来ました。池田泰市さんのお宅ですか?
──そうじゃがのう。
──立派なお宅ですねえ!.と男はぶしつけに家の中を眺め回しました。
──あんた、誰な?.と泰市さんの白くて太い眉の下の、窪んだ目が光ると、
──あっ、失礼しました。ぼくはこういう者です、と男が差し出した名刺を見ると、
リサイクルセンター ピピコフ
営業担当 山崎裕也
とありました。
──これはどういう会社かのう?
──たぶんご存じないと思いますけど、東京に本社のある、様々な使用済み商品のリサイクル専門業者なんです。
──そこがわしに何の用があるんな?
──肇さんがおられますよね?
──息子のことな?
──はい。その肇さんに紹介されて来たんです。
そう切り出されると、顰め面をしていた泰市さんの相好がちょっぴり崩れ、それを目ざとく感知した男は、実はリサイクルのための古畳の臨時置き場を探している、谷の奥の池の周囲がお宅の所有地だと聞いたのだが、暫く貸してもらえないだろうか、と言うのです。
──山間の地を放置しておくのは資源のムダだと思われませんか?.それを有効に使用することも、一種のリサイクル活用になるんですよ。
息子の名前を出されて気の弛んだ泰市さんは、金儲けの話だと知ってさらに気が弛み、杉の植林地だが、樹木に差し障りはないかと確かめると、
──大丈夫です!.と男は力強く断言しました。木に立て掛けたりはしません。ほんのしばらくの間、地面に転がしておくだけなんです。
それくらいならよかろうと、泰市さんが「ああ」と頷くと、男は「ありがとうございました!」と一礼し、さっさと帰っていきました。契約書はないのかな?.と一瞬不審に思った泰市さんは、また改めて来るんだろう、とすぐに納得しました。
そしてその夜、大きなトラックが何台も谷を上がっていき、夜更けに再び上がっていき、夜が明けるまでに何度となく上がっていくのを、谷の人々は夢うつつに耳にし、余りの騒々しさに寝巻姿のまま道に飛び出した人もいました。
翌朝、奥池まで散策に出かけた道之さんは、その景観に仰天しました。池を巡って広がっている杉木立が、見渡す限り畳で埋め尽くされていたのです。20〜30畳ごとにきれいに積み重ねられたり、乱雑に投げ捨てられて池の中まで滑り落ちたり、立て掛けられた畳の重みで杉が傾いたり、それはもう、ふだん居心地のよい畳にも禍々しい悪意のあることがハッキリと分かるほど猛烈な量でした。そして、埃っぽい空気がジワッと道之さんの肌にまとわり付くのでした。
──道が舗装されてから、冷蔵庫やら車やらパンツやらブラジャーやら、実にいろんなものが捨てられるようになりましたが、あんなに大量な物が廃棄されたんは、初めてですわ、と道之さんは憤慨すると共に、呆れ顔です。
──今もあるんですか?.とわたくしが尋ねると、
──あります、と道之さん。捨てに来た業者が倒産して夜逃げしたから、どうにも仕様がありゃんせんのじゃ。
──イタチの最後っ屁のようですね。
──その通りですなあや、と道之さんは笑いました。今じゃあ畳のあちこちから白いキノコが生えてきて、グロテスクな光景ですが。風向きが悪いと、異臭が谷間を降りて来て、たまりゃんせん。
──早く処分しないと、みんな困るでしょう。
──それを誰がするかが、また問題なんですわ。泰さんは自分は被害者だと言い張るし、町もへっぴり腰ですからなあ。何せ1000畳以上あって、処分するのに何千万という費用がかかるんです。
──そんなにかかるんですか?.とわたくしは驚きました。
──ダイオキシン対策のための特別措置法が施行されて、昔みたいに簡単にゴミの焼却が出来なくなったんですわ。じゃから、業者も苦し紛れに置き捨てて遁走したでしょうな。
──なるほどね。
──欲に欲を重ねていく世の中じゃから、どこかにその皺寄せが来ますがな、と道之さんは言いました。わしらはもう先が長くないから、その間くらいは地球も持つだろうと考えとりましたが、こりゃあ、ご院さん、分かりませんで。10年先、いや、5年先が見えませんからなあや。