炎の夜
 
 カッと照りつける夏の太陽が車を包み込み、エアコンが全く効きません。ひどい熱気にまたわたくしは窓を開け、国道に出ると、山を削り平野を渡り、線路をまたいで一直線に延びている広い道路に次々と車が現われて来ます。日本の人口は決して増加していないのに、車の数だけは年々増えて止まるところを知りません。
 「都会の人間の方が遥かに歩いていますね」と法事のために帰省した人が語ったことがありました。「近くに店があるし、地下鉄が張り巡らされているから、日常生活に車など必要ありません。もっとも、休日に行楽に行くには、車がある方が便利ですけどね」
 確かにわたくし自身、20年以上、隣寺に行くのも車でした。そして、実に久しぶりに歩いてみると5分もかからず、裏道の用水路を行く水の流れに少年時代が鮮やかに想起されたものです。
 しかし車の中だと、いかに周囲の景観を眺めようとも、それは厚い窓ガラスに隔てられた世界です。風に吹かれて走るバイクの爽快感がありません。だから夏の盆参りはバイクに限るのですけれど、10キロ以上ある川口市まではちょっと億劫でした。その上、いつエンストを起こすか分からないようなバイクでしたから、その不安もあって車にしたものの、緩やかな傾斜を見せて延びている路面をどこまでも、数珠繋ぎの車の列がノロノロ運転を繰り返しています。
 「やれやれ!」とわたくしはウンザリしました。「公共工事が本当に景気回復のテコ入れになってるのか?.ゼネコンが得してるだけじゃないの?」
 実際ここ数年、いったん車で外出すると必ずどこかで道路工事の現場にぶつかり、そのたびに時間を浪費してしまいます。新しく舗装し、すぐに掘り返して下水管を埋め込み、また掘り返してガス管を引くといったムダが至るところで繰り返されているのです。建設省とか厚生省とか管轄が違うため一度に出来ないということですが、ムダ以外の何物でもありません。大きなシステム全体が現状に合わなくなっているにも関わらず、それを変革できないのもまた、日本の現状でしょう。
 ノロノロ運転だと窓を開けていても暑いばかりです。閉めて我慢して、やっと中がエアコンで冷える頃、川口市の東に広がる新開地に辿り着きました。道路に沿って大きな広告を掲げた、広い駐車場のある店舗が連なっていますし、隣県に近い東の丘陵地帯には無数の住宅がパッチワークのように細かく張り付き、あちこちに高層マンションが林立しています。穴浦町に本家がある松井家も、そんな住宅地の一角にありました。夫と離縁して旧姓に復し、今は息子夫婦と暮らす基子さんは書道教室のために増築した離れを案内してくれた後、
 「もう少し広く取りたかったのですけれど、敷地が足りないから仕方がありません。私が死んだら息子が倉庫にでもすればいいと思って建てたんです」と穏やかな微笑を浮かべながら語りました。
 「しかし、あれを倉庫に使うのは勿体ないんじゃありません?」と、わたくしは冷たいお茶をすすりながら言いました。
 「そりゃまあ、息子がいいように考えるでしょう」と細面の基子さんの顔から微笑が絶えることはありませんでした。「でも、ご院さん、世の中、どう変わるか知れませんよ」
 「そりゃそうですよね」と、わたくしもそれを実感できるほどの年齢でした。
 「ご院さんは若いからご自身の体験がないでしょうが、わたしらは地獄を見てますもの」
 「戦争のことですか?」と、基子さんの年代の人が必ず口にする言葉でしたから、わたくしにも容易に想像がつきました。
 「それもありますねえ」と頷いた基子さんは、この8月3日は特別の日なのだと言います。
 というのもその夜、灯火管制のために窓に厚いカーテンを掛け、笠の周囲に布切れを垂らして光の輪を狭めた電球の下で食事していた時、
 『基子』と突如、箸の動きを止めた父親が顔を上げたのです。『おまえ、観音谷のお婆ちゃんの様子を見に行ってくれんか?』
 『これから?』
 『ああ』と父親は大きく頷きました。『わしが行きたいが、ここも心配じゃからな』
 『はい』と素直に頷いた基子さんは、食後、防空頭巾を荷台に括り付けて自転車にまたがり、ライトは点けず星明かりを頼りにして、小高い丘を巡る小川沿いの道を独りで行きました。夜風が涼しく、闇の底に黒く広がっている水田の中からカエルの声が静寂を突いて響いてきます。その向こうに人家が連なっているはずの市街はただ黒く息を潜め、星明かりを遮った山々の稜線の下に隠れています。タイヤにぶつかる小石にハンドルを取られながらも、すぐバランスを取り戻して進む基子さんの胸に、自然と開放感が湧き立ちました。学校に通ってはいても勉強することもなく、校庭を耕して作物を育て、残ったグラウンドを掛け声と共に行進し、『エイ!.ヤア!』と竹槍を突く訓練をしなければならない上に、軍事教練の指導に来た兵士から『バカもん、声が低い!.気合いが入っとらん!.戦地に行ってお国のために死んでいく兵士に申し訳がないぞ!』と怒鳴られなければなりません。そして、一日の大半が工場での勤労奉仕の毎日に、基子さんは疲労困憊気味だったのです。
 暗いながらも独りで進む道だと、その若い体にまとわりつくのは夏の夜の涼しい風ばかりでしたし、水が張られた稲穂の陰からカエルたちが咽を膨らまし大きな声で見送ってくれます。そして月のない夜でも数多の星が見守ってくれるはずだと空を仰ぐと、静かに動いている光る影が幾つもありました。
 『流れ星かしら?』と一瞬、訝しく思った基子さんは、すぐに敵機の襲来だと気づきました。低い飛行音がまもなく夜を圧するほどの爆音に変わり、ヒューヒューと風を切る音が次々と基子さんの頬を刺すと共に、地響きを伴なった炎の玉が、夜に紛れた街を見る見る黒く浮かび上がらせました。炎の玉はまるで地を走る獣のように縦横に咆哮して燃え上がり、街外れにある基子さんの家の辺りまで瞬く間に赤い炎に包まれてしまいます。そして、街を赤く染めた火の粉が舞い上がる上空を整然と、メタリックな飛行機が移動していくのでした。
 いつの間にか防空頭巾を被っていた基子さんは、今さら自宅に引き返すわけにも行きません。川口市ばかりでなく、祖母のいる穴浦町も火の海に違いないのです。峠を越えて田圃の広がる盆地に降り、またゆるやかな登り勾配になった山裾の道を巡って、ようやく穴浦町に基子さんが辿り着いてみると、しかし、そこはまるで別天地の静けさでした。いつもの夏の夜がどこまでも広がっていたのです。観音谷に独りで住んでいる祖母は、
 『おお、基子、よう来てくれたのう』と出迎えてくれました。『こんな夜遅く、またどうしたんじゃ?』
 『お父さんがお婆ちゃんの様子を見て来いって言うから』
 『そうか』と祖母はどこか遠くを見る表情でした。
 『お婆ちゃん、今大変なのよ。川口は火の海なんだから』
 『そうじゃろう』
 『あら、知ってたの?』
 『南の空が赤いから、おまえらのことが気になっとったところじゃが』
 『ああ』と基子さんが改めて振り返ると、山の上の空が暗紅色に染まっています。『ここからも見えたのね』
 『じゃけど、死んでから見るものを生きたまま見るとは、えらい世の中になったのうや』
 それは、祖母も基子さんも初めて見る赤い夜でした。夜は暗く月と星だけが光るものだとは限らないことを、その夜初めて、基子さんは知ったのです。
 ……
 「川口が空襲を受けた夜だったんですね?」とわたくしは言いました。「お父さんがよく穴浦に行くように仰ったものですねえ」
 「虫が知らせたのかも分かりません」と基子さん。「翌日、帰ってみると、家は焼け落ち、みんな防空壕の中に逃げて助かったんですから」
 「なるほど」
 「帰り道もそりゃあひどいものでした。瓦礫だらけの街のあちこちに真っ黒な焼死体が転がってて、生ものを焼くイヤな臭いがまだ立ちこめてましたもの」
 「ははあ!」
 「だから、ご院さん」と、今は何を語る時も微笑を絶やさない基子さんは、やはり穏やかな表情のままでした。「世の中、どう変わるか知れませんよ。わたしたちの世代だけが特別な体験をしたわけじゃないと思います。現に今も東の空は製鉄所の火で毎晩赤く燃えてますものね。あれを見るたびに当時が思い出されてなりません」
 「そうでしょうねえ」と笑って表に出たわたくしは、渋滞のひどい国道を帰る気になれません。先を争いながらも先に進めない車の群れにイライラしたくなかったのです。そこで、少々遠回りになる、山間の道に向かってハンドルを切ったのでした。