イノシシ出没記
 
 昨年から俄かに、イノシシが出て困ると門徒の方々と話すたびに、聞かされるようなりました。観音谷の奥の、睡蓮に覆われて美しい池に面した大隈家の奥さんは、
 「朝、庭に出ると獣の臭いがムッと鼻を衝きますのよ。それも毎朝ですから、夜に外で物音がすると恐くて恐くて、窓を破って入って来たらどうしようかと、とても不安でした」と、ふっくらとした顔に穏やかな笑みを湛えながら語ったものです。
 「それは大変でしたねえ」とわたくしも驚きました。「夜、外出しなくてはならないこともあるでしょう」
 「そんなときは主人に任せてます」
 「今でも出るんですか?」
 「それが先だって、猟師たちが大勢でやって来ましてね。猟犬も連れてて、ワンワンと吠え立てながら、山の中に入ったんです。それからギャーとかヒャーとか、何とも言えない獣の悲鳴がして、その後、現われなくなりました」
 「もう安心ですね」
 「主人の話だと、親子連れのイノシシだったと言いますから、きっと一家族、殺されたんでしょう。可哀相ですけれど、放っておくと、こちらが生きた心地がしませんから、仕方ありません」
 ところが、イノシシは一家族ではなかったのです。その後も、谷の入口の山肌を覆っている竹林を背にした小林家の木の塀を、夜になるとドンドンと何やらぶつかる音がするというのです。小林さんはもう70が近い一人暮らしの婦人でしたから、その音が耳に付くと眠れません。
 「やはりイノシシですか?」とわたくしが尋ねると、
 「恐くて布団をかぶっとりました」と、小林さんは日焼けした瓜実顔をクシャクシャにして笑いました。「だけど、きっとイノシシですよ。お隣は丹精込めて作ったスイカを2度も食われてますから。実がよく熟れ始めて、明日は取ろうと思っていたその晩に2度とも食われたといいますから、ご院さん、イノシシも賢いですねえ」
 観音谷ばかりではありません。南に開いた仙人谷でも、すぐ庭先まで親子連れのイノシシが現われ、松木さんの孫が懐中電灯の光を向けると、イノシシの子が可愛い足で歩いていたというのです。イノシシは甘い物が好きらしく、畑のキュウリには目もくれず、メロンばかり食い散らしたと隣家では憤慨していたと、松木の姑さんが可笑しそうに語ったものです。
 北に開いた荒神谷でもイノシシの被害を耳にしたわたくしは、これはもう夕佳山にイノシシが住み着いたのだろうと考えました。
 「仮にも昔お城があった山ですよ」と、荒神谷の高山さんはいかにも口惜しそうでした。「それをイノシシのねぐらにされたんじゃ、寂しい限りですが!」
 「でも、そう考えざるを得ないでしょう」とわたくしは言いました。「御領市では商店街にまでイノシシが現われて、被害が重なり、つい最近射殺された模様が、テレビで放映されてました」
 「そう言えば、千田川でも出たといいますからなあ」
 「そうですか!」
 「だけど、イノシシは日に百里走ると言うから、中国山地の奥から出て来たのかもしれません」
 「いずれにしても、里の味を覚えたイノシシは、生きてる限り出没するでしょう」
 「そうですなあ」
 それからまもなく、満月の懸かった十五夜のことです。観音谷では念仏講と言って、旧暦の十五日の夜に真宗門徒が集まって正信偈を唱える講が古くから伝わっていました。その夜も3人の婦人たちが連れ立って、その月の当番の、谷の奥の藤井家に向かっていたところ、道の真ん中にゴロンと黒く巨大な塊が横たわっていたのです。
 「何でしょう?」と1人の婦人が言い、
 「この間の大雨で岩が転げ落ちたんじゃろか?」ともう1人が地崩れした山の斜面を仰ぎました。
 「そんな話は聞いとりません」と3人目の婦人が言い、
 「あれからもう1週間は経ちますよ」と最初の婦人が言いました。「こんな岩があれば、往来の邪魔でしょう。それに、藤井さんからそんな話はありませんでしたしね」
 それもそうだ、するとこの塊は何だろう?.と3人が思い至った時、黒い塊の中に2つ、キラリと光るものがありました。
 「キャッ!」と思わず真ん中の婦人が尻餅をつくや否や、不意に隆起した黒い物体が4本の足を伸ばしてその上を飛び越え、満月の光に白く照らし出された坂道を一目散に駆け下って行ったというのです。
 そうなるともう、笑い話ではすまされません。幸い婦人は腰を強く打っただけで事なきを得ましたけれど、川口市の西を流れている千田川に沿って壁のように連なった山の麓の、新興住宅街の道路にイノシシが現われ、孫を連れた老婆が突き飛ばされて重体だという情報が、たちまち観音谷を駆け巡りました。穴浦町役場に訴え、役場から派遣された猟師たちが何度も夕佳山を中心に山狩りを敢行しましたけれど、敵もさるもの、一向に捕らえられません。そもそも、人が山に入ることが少なくなった今日、雑木や下生えが生い茂って山狩りは困難を極めたのです。その間も、イノシシは縦横無尽に谷々の田畑に出没し、夕佳山の奥に広がっている桃源平を整地して作られたゴルフ場はミミズを探すイノシシに荒らされ、芝生の芝が掘り返されつづけました。
 「この異常気象でイノシシも獲物を求めて里に下りて来たのかなあ」と、久しぶりにやって来た法蔵寺さんは、わたくしの話に微笑の影を閃かしました。「バタフライ効果といって、北京で飛んだ蝶々がニューヨークで起きた地震の原因になるという理論も、唱えられていると言うしね。イノシシが跋扈する原因を追究すれば、いろんなことが判明するかも知れない」
 「でも、それは仏教で説く因果説と余り変わりありませんよね」
 「そうね。ただ、もう少し客観的というか、物理的だろうけどな」
 「いずれにしても、1つの目的に向かって突き進んでいけば、次々と新たな問題が派生して来るから、一種のイタチごっこですよね」
 「それはもう、現代文明の運命でしょう」
 「人類は進歩してるんでしょうか?」
 「科学が進歩していることは間違いないけどね」
 「どこまで行ってもキリがない気がするんです」
 「だけど、われわれの命にはキリがある」
 「そうですね」とわたくしは笑いました。「どこかで進歩思想と決別しないことには、死は受け入れ難い悪としか思われないでしょうね」
 「イノシシを捕まえたところで問題は解決しないけれど、とりあえず捕まえる他ないということだろう」と言って、法蔵寺さんは冷たいお茶を飲み、残暑の強い日差しに白く激しく葉裏を翻している夕佳山を仰ぐのでした。