芝の上の人生
森を切り裂いた青空に向かって白いボールが消えていきました。
「ナイスショットですね」とひょろりとした長身の本城氏が讃えると、
「当然さ」と巨漢の舟橋氏はふっくらとした丸顔で笑いました。「キミとは年季が違う」
本城氏はティーにボールを置いて、
「いくら年季を積んでも、ボクは先輩のようには行きませんよ。体力の差はいかんともしがたい」
「おれは単なるデブだぜ」と語る丸顔に黒縁メガネをかけた舟橋氏は、いつでも笑っているように見えるのでした。「タイガーウッズを見ろ。青木だってスマートだろ。ゴルフは腕力じゃない、腰の回転で打つんだ」
「分かっているんですけどね」と言いながら、本城氏は両手に握りしめたクラブの先にある、ティーの上の白いボールを見つめ、目前に広がる下り斜面を眺め、その先の上り斜面の向こうに隠れているホールを思い描くのでした。そしてビュンとクラブを振ってボールを叩くと、白球は大きく左にスライスして木立の中に消えていきました。
「ありゃ、またやった!」
「これだ!」と舟橋氏は喜ぶのでした。「10年前の方がうまかったんじゃないの」
「最近忙しくてね」と本城氏。「ゴルフをやる余裕がないんですよ」
「それは結構だ」と舟橋氏。「もっとも、会社に寝首を掻かれないように気を付けろよ」
「今やリストラの波また波だから、溺れずに泳ぎ切れるかどうか分かりません」
「休日ぐらいゴルフでもして英気を養いなさいよ」
「いやいや、休日は家にいてゴロゴロしていたいです」
「典型的な日本人だなあ」と舟橋氏はまた大きく笑い、キャディーにクラブを預けてフェアウェイを進むのでした。その丸い体躯の後ろを本城氏は長い足で付き従いながら、
「本当に先輩は炯眼の士でしたよねえ!」と賛嘆の念を隠しません。「10年前、先輩が部長職を目の前にして会社を辞めた時、みんな青天の霹靂だったんですよ。後半生は自分中心に生きたいんだと先輩がいくら説明しても、人事闘争に敗れたにちがいないと、誰もが信じて疑いませんでしたからね」
「生きたまま人生を駆け抜けた奴は1人もいないんだぜ」
「そりゃそうですけどね」
「いや、そのことが分かってないんじゃないの」と舟橋氏は朗らかな笑顔です。「会社のために滅私奉公して、定年が来て生きがいを見出せないままに老後を送るか、余力のあるうちに第2の人生を設計するか、2つに1つしかないんだ」
「それはよく分かります」
「本城くんは今いくつ?」
「48です」
「そうか」と舟橋氏。「おれは確かに50で会社を辞めたけど、その準備期間が5年あった。キミもどちらを選ぶか、最終的な決断の時が近付いているわけだ」
「それなんですよ」と本城氏は細面の顔を上げて、今まで帽子の庇に隠れていた目で5月の太陽を眩しげに仰ぐのでした。「2、3年前、ギックリ腰を患って以来、いずれやって来る人生の黄昏を意識せざるを得ないんです。2人の子供ももうすぐ大学を卒業しますから、そのあと女房とただ静かに老いていくのかと思うと、わびしい限りですよ」
「独り生まれ独り死ぬ。それが人生さ」と舟橋氏は陽気に語りました。「女房を当てにしちゃいかん」
「先輩、本気ですか?」
「もちろん、冗談さ」と舟橋氏は笑いました。「少なくとも女房にはオレより長生きしてもらいたい。女房のいない人生なんて、考えられないよ」
「奥さん、美人だから」
「だけどペチャパイだぜ」
「また、ご謙遜を」
「キミに分かるわけないだろ。また分かってたら、それこそ問題だ」と舟橋氏は冗談っぽく言うのでした。「美人でボインで聡明な女の子を捜してもなかなか見つからないし、たとえ見つかったとしても、オレには目もくれないだろう。かと言って無理やりこちらに気を引くには、ウソとかカネとか、いろいろ手練手管が必要となる。あるいは、それぞれチャームポイントの違う女の子を2人か3人、相手にするとかさ。すると、幸運にもうまく事が運んだとしても、今度は人間関係が複雑になるしね。何を求めて何を捨てるか、女に関しても選択しなくちゃならないんだ」
「そして先輩は美人を選んだわけですね」
「というか、たまたま相手が美人だったから、他をあきらめたまでさ」
そして、グリーンで待っていると言い残して舟橋氏は明るい丘を上っていき、本城氏は松林に落ちたボールを探しに行くのでした。
舟橋氏はパットも好調で、バーディでコースを回りましたけれど、ラフから力任せにボールを叩いた本城氏は、今度はバンカーに落とし、ホールのあるグリーンの前に池があり、池の縁まで降りてきた舟橋氏が、
「砂ごと空に上げるつもりで力いっぱい打つんだぜ」とアドバイスを送るのでした。「でないと、次は池の中だ。ひとつリズムが狂うと、次々と狂ってくる。人生みたいなものだ」
「ということは、ボクの人生はもう狂ってるんですか?」と言いながら、本城氏は、白い砂地に落ちているボールと池の向こう、舟橋氏の頭上に広がるグリーンとを見比べるのでした。
「そうさ」と、池の向こうから舟橋氏が陽気に応じました。「だけど、まだ終わっちゃいない。これからが勝負だ」
「とはいうものの難しい」とつぶやきつつ、2度3度、ボールの飛ぶ角度をイメージしてクラブを振った本城氏は、強い砂の抵抗をものともせず、「えい!」とばかり砂煙と共にボールを打ち上げました。青空に高く飛んだボールはグリーン手前にポトリと落ち、
「おお!」と舟橋氏もちょっと驚きの表情です。「これはなかなか素晴らしいバンカーショットでしたぞ」
それからグリーンのほぼ中央にあるホールにポールを立てて見ている舟橋氏のアドバイスやらジョークやらにさんざん囃されながら、短かすぎたり行きすぎたりした挙げ句やっとホールにボールを落とし込んだ本城氏は、
「ええい!.頭がカッカした」
「キミの精神状態は見ててよく分かったよ。そう頭が熱すると、もう手の打ちようがない」
「だけど、先輩の口にも悩まされたんですよ」
「おいおい、それは狡猾な言い逃れですよ」
「しかし相変わらず先輩はうまい」
「だってゴルフ三昧の人生だもの。うまくなるのが当然さ」
「やっぱり本場で学ぶべきですかね?」
「本場も何もない」と舟橋氏は笑います。「ただ慣れることですよ。プロになるのでない限り、それで十分楽しめる」
「でも、先輩はカナダやオーストラリアで武者修行してるんでしょ?」と本城氏。
「それは、ゴルフのためというより、生活のためだ。春と秋は日本、夏がカナダで、冬はオーストラリアと決めているんですよ。要するに、地球で一番季候のいいところを選んで生活しているわけ」
「それって、普通のサラリーマンにはできない芸当ですよ」
「綿密に人生を設計すれば可能です」
「夢のまた夢、いや、そこまで言わなくても、やっぱりの1つの夢には違いないですね」
「ここにいるオレは夢か?」
「そりゃ現実です」
「つまり可能なんだ」
「だから、先輩は偉い!」と本城氏は、舟橋氏のプライドをくすぐるような表情を作るのでした。「だけど、ボクにはちょっと無理ですね。だいたい、女房の奴が物分かりの悪いバカだから」
「奥さんを悪く言っちゃいかん」と舟橋氏。「説得すれば分かってもらえるさ。たとえば、日本で1回ゴルフを楽しむためには1万円かかるだろ。ところが、カナダやオーストラリアだと、1000円もかからない。一事が万事で、生活するためのコストは外国の方がはるかに安い。飛行機代だって数万円の時代だ。だから、国内旅行の方がはるかに高くつくわけだ」
「その理屈は分かるんですけどね」
「後は決心次第なんだよ」
「うーん」と腕組みをして、本城氏はゴルフに四苦八苦した緑の芝の広がっているコースを振り返るのでした。「こんな単純なコースでも、ボクには大変でしたからね。はたして、ラフの中をずっと行くような生活を送れるかしら?」
「じゃあ、オレは今、ラフの中か?」
「違いますか?」と応じた後、言い過ぎたと感じた本城氏は、ちょっと弱気な表情をして、背後の芝の上に立っている舟橋氏を仰ぎました。
「違うなあ」と、氏の丸いつややかな顔には5月の光が降りかかるばかりで、決して庇に隠れた黒縁メガネの中の目が鋭く光ることはありません。少なくとも、人目には柔和に笑って見えるのでした。「オレはターザンじゃないんだから、文明の利器を享受しないことには生きられないよ。だってゴルフひとつにしても、誰かが経営しキチンと管理しているから、こうして楽しめるわけだろ。放っておけばたちまち雑木林に戻るだけさ。オレはただ単に、ゴルフ場を自由に選んで、自由にコースを回っているだけなんだ」
「ボクは与えられたゴルフ場の与えられたコースを回っているわけか」
「そういうこと」
「そう言われると、大差ない気がしますけどね」
「本当にそう思う?」とニコニコしながら舟橋氏が顔を向けると、
「とてもそうは思えません」と本城氏は素直に答えました。「やっぱり大変な差ですよ」
「だからさ、自由な選択こそ、幸福の源なんだよ」と語る舟橋氏は、1つの価値観を確実に身に付けている風でした。「これだけ人間、というか日本人がもろもろの制約から自由になれる時代に生きながら、それを活用しないっていうのは、オレにはとうてい理解不可能だね。
夏目漱石の小説に高等遊民という人物が出て来るのを知ってる?.たまたま資産があるから、何もしないでブラブラしている人間のことだけど、ちょっとの工夫で、少なくとも人生の半分くらいそうした生活が可能なんだよ。今は西洋に追い付き追い越せの時代じゃないんだから、そのことをマイナス評価することはなかろうさ。
だって、1度の人生、できるだけ楽しく生きなくちゃ、つまらない。そのためにはさ、自分をしっかりと振り返って、自分にとってどの方向が一番の幸福なのか見定めた上で、その道を選ぶべきだよ。それが出世であっても、もちろん構わないけれど、少なくともオレの場合、女房と共にささやかながら自由に暮らすことだったのさ。そりゃ、ゴルフをしたり外国で暮らしたりできる程度には、そのささやかさの度合いが高まったから可能になった選択ではあるけどね」