IT革命の戦士たち
 
 F市の東にはかつて緑豊かな丘陵地帯が広がり、段々畑の畦道のあちこちに竹や櫟の林が残り、藁葺き屋根や藁の上にトタンを敷いた屋根、瓦屋根の農家が散在していたのです。そこに30年前、大きな製鉄所がやって来て、次々に整地され、縦横に道路が走り、高層マンションが建ち、新たな街が形成されたのでした。いわゆる高度成長期に旧市街に匹敵するほど大規模になったその地域は、いったん不況に見舞われ入居者のいないマンションが続出しましたけれど、半導体産業が新たに進出したおかげで、丘の上の以前の地区に隣接して、次々とまた新たな住宅地区が広がるようになりました。
 新地区の道路は広くて新しく、宅地も50〜60坪とかなり広く、木立に囲まれた100坪近い瀟洒な邸宅も珍しくありません。それに1軒々々が個性的かつ西洋風な外観でしたから、そこが欧米の街角だと何かのグラビアで紹介されたとしても、その不自然さを見抜ける人は少なかったかも知れません。
 秋山さんが訪れた高木さんの家もまた、木陰を風が渡る静かな新住宅の1つだったのです。生垣に囲まれた芝生の一角で洗濯物を片付けていた奥さんに挨拶すると、
 「どうぞお入り下さい」と奥さんが洗濯物を抱えた姿勢で振り向きました。「みなさん、お待ちですから」
 玄関のブザーを押し、
 「こんにちは」と秋山さんが言うと、
 「どうぞ」とドアホンから高木さんの声がし、ドアを開けると、小太りした高木さんが立っていました。
 「どうぞ上がって」とスリッパが並べられ、高木さんに案内されて、秋山さんが白いクロス壁の廊下に上がって重厚な木製のドアを抜けると、広い部屋の中央に白いテーブルが据えられ、木の葉越しに道路の見える西向きの窓に沿ってパソコン機器が並び、テーブルに着いた見知らぬ2人の男性がコーヒーをすすっているのでした。
 「まず自己紹介しようか」と高木さんが言い、頭の禿げかかった、しかしまだ40半ばの小池さんと、厚いレンズのメガネをかけた村上さんが挨拶し、秋山さんも挨拶を返しました。
 高木さんは元教員、小池さんは元会社員、村上さんはもともとソフト開発に携わっていたけれど、その仲間を離れ、3人で新たな事業を始めようというのです。
 「しかし、みんな勇敢だなあ」と、奥でコーヒーを作って運んで来てくれた高木さんに向かって、秋山さんは言いました。「定職を放り出して、新たな世界に乗り出す勇気はなかなか出ないものだけどね」
 「終身雇用の時代じゃないんだよ」と高木さんが穏やかな口調で言いました。
 「とはいえ、高木さんは偉い!」と村上さんが言いました。「もっとも安定した公務員という職を捨てたわけだから、おれのようにいつ解散するか分からない仲間と別れたのとは訳が違う」
 「解散した後で参加する手もあったんだぜ」と小池さんがからかうと、
 「それはおれのプライドが許さないよ」と村上さんは黒いフレームのメガネを指の先で鼻に押し上げるのでした。「それに後からだと加えてもらえないかも知れなかっただろ」
 「来る者は拒まず、去る者は追わず、ですよ」と高木さんが笑いました。
 「それにしても」と秋山さんは不思議がるのでした。「みんな同じ年格好なのは分かるけれど、どこで知り合ったの?.高校か大学の同級生?」
 「まるで交通事故に遭遇したみたいな全くの偶然なんですよ」と、頭の上に少々残っている髪の毛を手で押さえながら、小池さんが静かに語るのでした。「たまたま3人ともパソコン好きのマスターの経営する喫茶店に通っていて、意気投合したんだ」
 「20年も昔の話でしょ?」と秋山さんは言いました。「ずいぶんモダンなマスターがいたんですね」
 「もともと大学で電子科を専攻した人なんだ。両親の強い希望で帰郷したけれど、コンピュータの魅力が忘れられなくてね。喫茶店を経営するかたわらソフト開発にも手を染めて、今ではH市でちょっとしたソフトウェアを経営してるはずさ」
 「あの頃が懐かしいなあ」と村上さんの目は厚いレンズの奥で夢見がちになるのでした。「確かに今ほどコンピュータが普及してたわけじゃなかったけれど、その代わり1つのソフトで何百万もの報酬が貰えたからね。Basicでゴチャゴチャ作ったソフトでも感謝感激されたし、いったん納入すると、後はそのメンテナンスだけでもけっこう食って行けたしさ」
 「それはおれが会社にあなたのソフトを推薦したからでしょう」と小池さんは大きな口を開けて笑うのでした。「そう言や、あの時はマージンを全然もらわなかったよなあ」
 「小池さんには感謝してますよ」と村上さんが言いました。「だから、及ばずながら手助けに馳せ参じたわけでしょう」
 「嘘つくな」と小池さんは叱るのでした。「リストラされる前に自ら格好よく辞めたくせに」
 「リストラされるも何もないですよ。5人でやってただけなんだから」
 「村上さんは来てくれると思っていたんだ」と高木さんは温厚な丸顔をいっそう崩すのでした。「だけど小池さんも参加してくれるとは思わなかった。小池さんが辞めると、会社が困るでしょう」
 「困るのなら、引き留めるはずさ」と小池さんは言いました。「今の社長はおれを煙たがってたんだ。代替わりすると、昔の雰囲気を残している人物を一掃したいという、よくある話さ」
 「だけど、情報処理の技術者がいなくなると、困るんじゃないの?」
 「会社は困らない!」と小池さんは吐き出すように断言するのでした。「おれのようにああだ、こうだといろいろと注文を付ける内部の人間よりも、外部の専門家を頼む方が楽だと、今の社長は考えたんだよ。もちろん、おれは会社のために、あえて憎まれ口を叩いてきたんだけどね。坊ちゃん育ちの2代目が継ぐと、周囲にオベンチャラ人間ばかりを集めたがるからなあ」
 「人生、いろいろだ」と秋山さんは笑いました。「みなさんの話を聞いていると、おれなんか平凡だな」
 「しかし独身というのは、やはり少ないよ」と高木さんが、いささか控えめな調子でからかうと、
 「みなさん、家族があるわけでしょ?」と秋山さんは改めて確認するのでした。「奥さんがよく了承してくれましたねえ!」
 「了承も何もありませんでしたのよ」と奥のキッチンからカレーのいい匂いを立てながら奥さんが応えるのでした。「『今日、辞表を出して来た』の一言だったんですもの」
 「以心伝心ってやつだよ」と高木さんは弁解しましたが、奥さんはそれを無視して、
 「もう出来ましたけれど、出してもいいですか?」と問うのでした。
 「うん、ありがとう」
 高木家の自慢の料理だという、なすびとベーコンの入ったカレーライスを奥さんも含めて5人で白いテーブルを囲んで食べながら、
 「これはなすびの味付けが肝心なんですよ」と高木さんが披露するのでした。「初めに油でちょっと揚げるところがポイントなんだ」
 「なるほど」と村上さんは舌鼓を打ちました。「うちはよく林檎を加えるけれど、それもけっこう行けますよ」
 「なるほど」と今度は高木さんが頷きました。「それもいいかも知れない。次はそれを試みようか?」
 「じゃあ、あなたが作ってくださいね」と奥さんが応じると、みんなドッと笑うのでした。
 それから3人で今後どういう事業を展開していくか、またコーヒーをすすりながら、まじめな面持ちで相談し始めました。
 3人ともプログラミングの経験者でしたけれど、とりわけ高木さんは学校現場で多くのソフトを手がけ、大手の会社が主催した新作ソフト大会に応募して優勝したことから自信を深め、独立に至ったのです。
 「賞金は幾らだったっけ?」と村上さんが尋ね、
 「100万」と高木さん。
 「当時としては大金だよな」
 「もうないけどね」
 「そいつは残念だ」
 「だけど、今後はインターネットの時代でしょうね」と秋山さんが言いました。「パソコンは閉じられた世界だけど、そこからインターネットを通じてパッと地球規模の窓が開かれたわけだから、いったん本質的な一歩を踏み出すと、その先の変化は実に速い」
 なるほど、確かにインターネットは情報化時代の前提条件だけれども、おれたちの事業はあくまでパーソナル・コンピュータに立脚しなければならない、と小池さんは静かな調子で、しかし断固たる確信を込めて語るのでした。流行の先端を走ることばかりに囚われてはいけない。パソコンは購入したけれど、その活用法が分からない中小企業こそ、おれたちのターゲットなんだ。そのための専従者を1人雇い入れても、数百万から一千万近い給料を支払わなくちゃならなくなるわけだから、たとえば2〜300万でシステムを導入して、そのメンテナンスが年々数十万ですむならば、その方が経済的なメリットが大きいと企業は判断してくれるはずさ。
 小池さんが干されたわけが分かった!.そういう計算を若い社長がしたんですね、と村上さんが大きな声で言うと、小池さんはムッとして黙り込みました。
 いずれにせよ、われわれのテリトリーはデータベースでしょう、と高木さんが気まずくなった空気を解きほぐすように口を差しはさみました。それも、Client・Serverシステムの技術が不可欠でしょうね。  
 そう指摘されると、小池さんも村上さんも、その表情が硬くなるのでした。小池さんはハードの技術者であり、村上さんはソフト開発に関わっていたとは言え、MS-DOS時代のBasic言語、あるいは市販のデータベースを利用していたに過ぎず、高木さんだけがC言語を駆使し、またWindowsの時代になってからは、Delphiという本格的な開発言語を活用していたのです。
 「Delphiはマスターしなければならないだろうなあ」と村上さんが言うと、
 「ただ、DelphiにLinux版がある?」と小池さんが問いました。
 「さあ」と高木さんも不案内でしたけれど、
 「その準備をしているみたいですよ」と秋山さんが言いました。「確かInprise社がインターネットのホームページで、Linuxに精通した技術者を求人していましたから」
 「しかしInprise社も見通しの立たない会社だよなあ」と小池さんが言いました。「確かまたどこかと合併するんだろ?」
 「コンピュータ産業はまさに戦国時代だから」と高木さんは言いました。「Microsoft社にしろ、10年先、いや5年先にどうなっているか分からない」
 「今やYahooの時代だものな」と村上さん。「やっぱりインターネットか」
 「われわれだって、どうなっているか分かりませんよ」と小池さんは赤い唇を皮肉っぽく歪めました。「億万長者になっているかも知れないし、どこかに失踪して浮浪者になっているかも知れない」
 「今は大志を抱いて始めましょうや」と高木さんの表情は穏やかながら、強い意志を感じさせる口吻でした。「終身雇用の時代じゃなくなって、1つの人生で2つの世界を体験できるという、それだけでも素晴らしい選択だとぼくは思いたいですね。またそういう風に振り返ることができるように、これから頑張りましょう」
 「その通りだ!」と小池さん、村上さんともども賛成しました。また、秋山さんは、高木さんが長年勤めていた女子校に最近勤め出して急速に親しくなった間柄だったとは言え、3人の熱い思いが快く胸に響くのでした。
 そして夜が更け喋り疲れて表に出ると、黒く南を遮った山影の上から四方の夜空に向かって、鈍い赤色の光が静かに広がっていたのです。それは製鉄所の高い煙突から春夏秋冬、晴れの日も雨の日も風の夜も絶えず吐き出されつづけている火炎の反照で、溶鉱炉の中は真っ赤な鉄が地球のマグマのように静かにうねり、ドロンと灼熱した鉄塊が明るく赤い粘土のように吐き出され、ベルトコンベアに載って赤く細長い形で送られて、圧縮機の中を通過する度に大量の水をジュッと蒸発させて辺り一面を白い蒸気で曇らせ、鉄板は赤色からオレンジ色に色褪せ、さらにまた圧縮機に掛けられ、ツルツルとした鋼鉄性の輝きを持つ薄さに至ると、最後に大きな軸に巻き取られていくというのです。
 「なるほどねえ」と山の上の赤い夜空を仰ぎながら、秋山さんは嘆息しました。「いくらコンピュータが発達しても、コンピュータも機械の1つに変わりはないからなあ。たとえこの向こうの製鉄所が経営難に陥って閉鎖されたところで、開発途上国が肩代わりするだけだろうな」
 「それでいいんじゃないの」と、小池さん、村上さんを送り出した高木さんは、むしろ楽観的でした。「そういう形で人類全体が発展するんだから。その時、日本が常にトップランナーでいられるように、微力ながらわれわれも、この情報技術革命に参加したんですよ」
 「なるほど、みなさんはIT革命の戦士たちなんですね」と秋山さんが笑うと、
 「そうですよ」と高木さんもまた、穏やかな笑いを夜道に漏らすのでした。