誤解
 
 40年前、K山の麓を2車線のバイパスを通す計画が持ち上がり、駅前にある、町の有力者のSさんの広壮な屋敷が寸断されることになりました。当然、家族は大反対でしたけれど、ご主人の英断でその計画を受け入れたのです。戦後まもなく、小学校のグラウンド拡張のために田畑をタダ同然で提供し、この度は新宅をバイパス沿いに建築してもらうとはいえ、旧宅の風格は望むべくもありません。いかめしい顔つきのご主人が口を真一文字にへし曲げてこうと決めるともう誰がどう説得しても聞き入れませんから、奥さんは陰で誰彼となく、「親子2代がこれじゃあ、いくら資産があっても追っ付きませんが!」とこぼしたものです。
 こうして駅前に広い交差点が可能となると、後はもう雪崩を打つように県の要請に従わざるを得なくなりました。それに当時はまだ現在ほど住民意識が高くない時代でしたから、田畑や宅地を次々と提供し、そうなるともう神社の宮司1人が反対するわけには行きません。天照大神ゆかりの神社の参道のちょうど根っこのところを切断するように、境内正面の鳥居の前を広い道路が貫通することになったのです。
 そして、バスも自家用車もトラックも、朝から晩まで町はずれのバイパスをひっきりなしに往来するようになり、通学用の歩道橋が2つ3つと建設されました。ただしそれは3階建ての家に昇って降りるようなものでしたから、小学生以外はめったに利用しません。大人はもっぱら疾走する車の間隙を縫って道路を横断し、老人もそれに習ったのですけれど、道幅が予想以上に広く、また自らの歩みは予想以下でしたから、プープーと痙攣的に鳴らされるクラクションの音に急かされても、車に速度を落としてもらってやっと無事に向かいに辿り着くのが常だったのです。従って交通事故は子供より老人の方がはるかに多かったのですけれど、それでもまだ猫やイタチに比べれば少なかったと言うべきでしょう。バイパスを1週間走れば1度は必ずどこかで赤い内臓をむき出しにして横たわる小動物が目撃され、帰りも同じ道を選ぶと、むっくりと路面に隆起していたその遺骸がペシャンコの皮に加工されていたものです。
 しかし、道行く車の目的地はもちろんK町ではありません。その南に延びる丘陵地帯の向こうのF市か、100キロ西のH市か、あるいは東の関西・関東方面をめざして人と物が流通し、かつて繊維の町として栄えたK町は、いわゆる高度成長期に取り残されつづけたのでした。そして拡大しつづけるF市のベッドタウンとして新たな人口を受け入れるようになり、K平野の南北を走る国道と交差して、東西に新たに4車線の国道が建設されることとなったのです。タヌキやキツネ以外、いったい何が利用するのだろうかと思われたその道路は、いったん開通すると大駐車場を備えた大型店舗が次々と進出し、まだ至る所に田畑の残る沿道は年々活気あるものに変貌していくのでした。そして神社の前は再びかつての静けさを取り戻し、のんびりと歩道を犬と共に散歩する老夫婦も珍しくなくなり、いつどこを横断しても、ここ数年、交通事故が起きた例しがなかったのです。
 ところがある朝、神社の鳥居の前の三叉路あたりでドスンと鈍い音がし、歩道を歩いていた源三さんが驚いて顔を上げると、ちょうど信号機のライトあたりまで、1個の人間が関節の壊れた人形のように手足をバラバラに広げて跳ね飛ばされ、数メートル先の路面に叩き落とされていったん跳ねた後、もう身動きしなくなったのでした。急停車した軽トラックから若者が飛び降り、すぐあと源三さんも駆けつけて、路面にうつぶせた馴染みの頭の格好と、何より昨日会ったばかりの作業服姿から同じ組内の太田熊吉さんだと気づきました。
 「熊さん!」と源三さんが呼びかけても反応がなく、オロオロしている若者には目もくれず、すぐ近くの交番に駆けつけました。
 「大村さん、えらいことですらあ!」と源三さんが大声で訴えたのですけれど、
 「源さんは猫が死んでもえらいことじゃけえのう」と大村巡査はのんびりと机に着いて何か書き物をしています。「わしは猫の死体の運搬係りじゃないで。町の保健課に言うてや」
 「猫じゃない。人間が轢かれたんじゃ。しかも熊吉さんじゃがな!」
 「熊吉が?」と、馴染みの名前を耳にして大村巡査も驚きました。「どこで?」
 「神社の前ですらあ」
 「すぐそこじゃがな!」と大村巡査が表に駆け出し、そちらに向かうと、2人3人と人だかりがし、路上にうつぶす黒い人影が見えるのでした。
 「こりゃどうしたんじゃ?」と大村巡査が誰にともなく叫ぶと、傍で帽子を手にたたずんでいた若者がべそをかきながら、
 「すみません」と何度も頭を下げるのでした。「ぼくの前方不注意なんです」
 「不注意にも程があろうが!」と大村巡査は一喝した後、すぐ冷静さを取り戻しました。「こりゃまだ脈がある。とにかく早う救急車を呼ばんといけん」
 そして田圃の向こうに見える喫茶店に駆け込んで、119番にダイヤルして、まもなくピーポピーポと鳴るサイレンと共に白い救急車が到着し、熊吉さんは町立病院に運び込まれたのでした。
 急を知らされ驚いた熊吉の奥さんが病院に駆けつけ、まもなく息子さん夫婦もまだ生まれたばかりの赤ん坊を抱いてやって来て、救急処置が施されましたけれど、1時間後、熊吉さんは脳挫傷のために亡くなったのでした。
 「ああ!」と奥さんは感に堪えない声を発しました。「元気に朝、出かけていった者がこんな姿でもう逝くとは…。はかないなあ。ほら、見てみ。さぞびっくりしたんじゃろう、こんなに白髪が増えとるが…」
 病院の廊下で控えていた源三さんは、奥さんが出て来ると、
 「組内に知らせますで」と告げるのでした。「葬儀の準備をせないけん」
 「よろしゅうお願いします」と奥さんは力なく頭を下げました。
 熊吉さんの遺体が家に戻され、布団に寝かされ顔に白布が掛けられ、枕元に蝋燭、線香、樒が用意されると、まず檀那寺に連絡しなければなりません。F市郊外にある法蔵寺の住職が、30分ほどでやって来て、枕経を勤めた後、
 「驚きました」と奥さんに語りかけるのでした。「お元気な方だっただけに、70、80才まで十分長生きされてだろうと思っていましたから」
 「本当に人生、何が起きるか分かりません」と奥さんは涙ぐむばかりです。
 そして住職が故人の氏名、死亡年月日、享年を確認し、葬儀に呼ぶ僧侶の数を尋ねましたが、初めての経験の奥さんには判断が付きません。ましてやまだ若い喪主の息子さんに分かろうはずがなく、不安げに振り向く奥さんに向かって、
 「3人か、5人が普通ですぜ」と源三さんが口添えするのでした。「よう家族で相談して決めてならええが」
 「後で連絡させてください」と奥さんが言い、
 「分かりました」と住職が応えていると、
 「あれえ!」と奇矯な声が庭先から聞こえました。
 あれは川上の婆さんだ、相変わらずぶしつけな女だな、と源三さんが不快げに立ち上がって、廊下に出、
 「もう少し厳粛にやろうや」と低いながら語気を強めて叱責すると、
 そこには、何と死んだはずの熊吉さんが立っているではありませんか。
 「ああ!」と源三さんも思わず奇矯な声を発しました。「あ、あ、あんたは熊さんか?」
 「他に熊吉がおるか」と熊吉さんは馴染みのグレイの作業服の上着のボタンを外した、いつものだらしない格好で、興味深げに自宅に集まっている人々を覗き込みました。「いったい何があったんじゃ?」
 頭の思考回路がプツンと切れた源三さんは、
 「あんたの葬式の準備じゃわ」と妙に力を込めて答えるのでした。
 「わしの?.どうして?」
 「死んだからに決まっとろうが」
 「死んだ?.わしゃここにおるど」
 「ウソを吐け!」と思わず源三さんは叫び、その発言の奇妙さにハッと我に戻るのでした。「あんた、ほんとに熊吉か?」
 「違うとるか?」と熊吉さんもさすがに顔に怒りの表情が表われ、なるほど、どう見ても本人に違いありません。どう解釈していいか分からなくなった源三さんが振り返ると、悔やみに集まり枕経に同座した組内の人々があるいはポカンと口を開けたり、あるいは恐れおののく顔をして、みんな襖の陰から熊吉さんを見つめていたのです。
 そしてその人物が確かに熊吉さん本人だと分かると、今度は一斉にその視線が布団を掛けられ白布で顔を隠された遺体に向くのでした。そして、何人かその亡き顔を見、事故の酷さに思わず顔を反らしたものでしたけれど、そう言えば少し違うかも知れないという気がして来たのでした。
 「あんた、生きとったん?」と赤く顔を泣きはらした奥さんが廊下に突っ立って問いました。
 「当たり前じゃろうが!」と熊吉さんは本気で怒り出しました。「おまえがおって、このざまは何じゃ!.30年間、連れ添った夫の顔も分からんのか!」
 交通事故で亡くなったのは、実は谷本安夫さんという同じ町内会の別人だったのです。どうして熊吉さんと見違えたのだろうと後々話題になるたびに、最初の目撃者だった源三さんは内心忸怩たる思いを禁じ得ませんでしたけれど、おれだけの責任じゃない、とすぐに思い返したものです。大村巡査は脈まで測って調べたにも関わらず、やはり熊吉さんだと信じ切っていた。何よりも奥さんが病院で本人かどうか確認してくれと言われて間違いありませんと答えたものだから、もう誰も疑う者はなかったんだ。
 「ご院さん、それにしても不思議なことがあるもんですなあや」と、法蔵寺の住職が盆参りに自宅に来た時、源三さんは改めて思い起こしたものです。「以前、町内会が葬儀を全て取り仕切っていた頃、弔電披露を祝電披露と司会の者が言い違えて、長い間その人は陰口を叩かれたもんですらあ。それから司会進行だけは専門の業者に頼むようになったんですけど、今回はそれよりもはるかに大きな事件じゃったですなあや」
 「わたしも初めての経験ですよ」と座敷の座卓の前でお茶をすすりながら住職が言いました。「こういう誤解があるから、世の中、油断ならんですよねえ」
 「実際に亡くなったんが安さんで、間違えられたんが熊さんですからなあ。そしてそれが神社の前で起きたことですからなあや」
 「それが何か?」
 「あの2人は神さんに祟られたんじゃろうと、みんな噂しとりますがな」
 「どういうことですか?」
 「あすこにバイパスを通すように強う働きかけたんがあの2人でしたからなあ。宮司の石田さんが事ある毎に2人を批判しとったんを、みんな覚えとるんですらあ」
 「それは考えすぎでしょう」
 「いや、そんなことはありゃんせん」と源三さんは断言するのでした。「ご院さんはひと昔前、幼稚園の子供たちが神社の境内で遊びようて、石灯籠が倒れて1人が死んだのを覚えとってですか?.あの子の親もバイパス推進派じゃったんですぜ。あれだけ住民の権利々々と騒ぐ人があの時ばかりは神社の管理責任を追及することがなかったんも、神さんの祟りを恐れたからじゃと言いますからなあ」
 「ふーん」と住職は艶のいい丸顔に微笑の影を閃かすのでした。「まだ日本は神さんの祟りが強い国なんですかねえ」
 「そりゃそうですがな」と源三さんはますます確信を強める風でした。「神さんと仏さんがおるから、日本は日本なんですらあ。それを忘れた最近の日本人は、日本人とも思えん。それを神さんが悲しんで、ああいう形で祟ったんじゃとわしは思うとります」
 「でも、単に誤解が積み重なっただけなのかも知れませんよ!」と言うと、住職は今度は大きな声で笑うのでした。