桜の花の咲く頃
 
 南禅寺の山門の柱の太さに秋山先生は驚きました。二抱えはある、細い深い筋の走るその木肌に手で触れながら、
 「おれは若い頃、実に観念的だったと改めて感じるなあ」と先生は語るのでした。
 「どういう意味ですか?」と清子はキラキラとよく光る瞳で真っ直ぐ先生を見つめて問いました。
 「学生時代に何度かここを訪れているけれど、この山門の大きさに感動することがなかったね。夢が大きすぎて、現実は全て小さく見えたものさ」
 「でも、それが若者の特権じゃありません?」
 「沢田さんはどうですか?」と微笑を浮かべながら、先生は問いかけました。「この山門の大きさに本当に感動することができますか?」
 「本当にと言われると、考え込んでしまいます」と清子は答えました。「今のわたしにとって、何が本当なのか、それが分からないんですから」
 「つまり迷っているわけだ」
 「というか、自分がいやなんです。でも、自分以外ではあり得ないわけだから、どうしていいか分かりません」
 「誇大妄想か迷いかとなれば、むしろ迷う方が好ましいだろうなあ」
 「なぜですか?」と清子ははっきりとした口調で問いました。「迷う方が苦しいです。死にたいくらいなんです」
 「死にたいと思いつめる方が健康だと、おれは思うんだ」
 「なぜですか?」とますます清子の口調は鋭くなり、秋山先生にその刃先が向きかねない勢いでした。
 「夢は現実を曇らせるけれど、迷いは現実を見すえるからね。だから、その方が確かな一歩が踏み出せるはずだ。おれの40年の人生は、その一歩を踏み出すのが恐くて、実に遠回りしていた気がする。自分の限界が分かることを恐れて、殻の中に自ら閉じこもっていたようなものさ」
 「それはある意味では幸福じゃありません?」とまだ化粧に慣れない清子は、ひどく強い香水の香りを周りにばらまきながら、踵の高い自分の靴の先を見つめるのでした。「ウソでも幸福な方がいいはずだもの」
 「ウソと言われちゃ立つ瀬がないけどね」と先生は笑いました。「ウソでも本当でもないのが夢の世界なんですよ」
 「夢の持てる人は、わたし、幸せだと思います」
 「おれは現実感覚のある人の方が幸せだと思うけどね」
 そう言うと、思わず2人は微笑し合い、
 「登ろうか?」と先生が誘いました。
 「はい」と清子も瞳を上げて答え、拝観料を払って手摺り代わりに太綱の渡してある急傾斜の階段を上って山門の上に出ました。濡れ縁は外に向かって傾斜がかかり欄干があり安全でしたけれど、秋山先生にとって居心地のいいものではありません。それでも、杉木立の向こうに広がっている京都の街を眺めていると、自然と人工とが盆栽のようにミックスされたその街並みの細部が先生の脳裏に鮮やかに想起されるのでした。
 「いろんな街を渡り歩いて初めて、京都特有の古さと新しさが今、分かるなあ」と先生は欄干にもたれかかって街を眺めながら語りました。「戦争中に空襲を受けなかったことも大きいけれど、古都の伝統を守ろうという人々の努力の賜物だろうね」
 「守るべきものがある人は羨ましいです」と清子は境内を見下ろしながら言いました。「それをこれから学生時代のうちに見つけろときっと先生は言うと思うけど、わたし、自信がない」
 「自信がある人間はいないさ。また自信があると、そのことに邪魔されて、かえって自分が見つからないかも知れないよ」
 「不安なんです」
 「大学生になったんだから、読書あるいは学問を通してその不安を解消しなくちゃならないだろうね」
 「どんな本を読めばいいんですか?」
 「最終的には自分で見つける他なかろう」と答えた先生は、いささか素っ気ない受け答えに終始している自分に気が付きました。「とりあえず夏目漱石とか森鴎外、あるいは芥川龍之介とか志賀直哉あたりがいいと思う。平凡なアドバイスだけど、読んで損はない人たちさ」
 「授業中、先生がよく紹介してくれた作家たちですね」
 「そうだった?.覚えてないなあ」
 「授業そのものより脱線した時の話をみんな覚えているんです」
 「そりゃそうかも知れないや」と先生は笑いました。「おれの高校時代だってそうだったもの」
 「先生、すごく大きな灯籠!」と清子が指さす方角を向いても、目の悪い先生は何も見つけられません。太い幹の杉木立とそれに混ざって夢のように白く満開の桜の花があるばかりでしたけれど、その白い桜の花の背後の灰色の空間が、なるほど、よく見れば灯籠だったのです。それは気づいたあともまだ信じ難いほどの巨大な石造りの灯籠でした。
 「大きすぎるなあ」と先生。
 「この山門に合わせたんじゃありません?」と清子。
 「そうかも知れない。しかし大きすぎる」
 「デンと座っているところなど、安定感がありますよね」
 「そうかな。おれにはバランスを欠いている分、趣味悪く思われるけどね」
 「この山門の大きさに感動しろとついさっき、先生が仰ったばかりじゃありませんか」と清子は急に鋭い口調に変わりました。「そのくせあの石灯籠は大きすぎると批判するのは、要するに単なる気まぐれな発言じゃありません?.先生の意見はそんなものだったのかと、わたし、信用できなくなりました」
 「そうだなあ」と先生はゆったりと笑い、清子は笑いませんでしたけれど、彼女も決して不快ではなさそうでした。
 濡れ縁を一巡りして山門を降り、石灯籠を仰いでその巨大さに改めて感嘆し、本堂の前の屋根付きの、これまた大きな香炉に線香を立てて合掌礼拝した後、2人は赤煉瓦のアーチ型の橋が架かっている、山に添った境内の奥に向かうのでした。
 「先生、あれは何ですか?」
 「疎水だ。琵琶湖の水を引いているんだ」
 「へえ」と清子はまた感心しました。「お寺の中にまるでローマ水道のような施設があるなんて、奇妙な取り合わせですね」
 「明治時代、遷都千年を記念して出来たんじゃなかったかな。平安神宮も確かその時の記念物で、実際の内裏の3分の2の規模だったはずさ」
 「ふうん」と風雨に晒され苔生した代赭色の煉瓦のアーチを清子は仰ぐのでした。「100年たったから、お寺と余り違和感がなくなったんでしょうね。出来た当初はきっと、派手すぎたでしょう」
 「何事であれ、新しい方がいいとは限らないということだろう」
 「人間でもそうですよね?」と清子はまたその瞳にいささか強い光を浮かべて振り仰ぐのでした。「わたしも早く先生の年齢になりたいな。そうすればきっと、先生のような存在感も出てくると思う」
 「おれは沢田さんの若さを取り戻したいよ」と秋山先生は冗談めかして言いました。
 「本気ですか?」
 「半分ね」
 「半分はウソなわけでしょ?」
 「ウソと言われるとちょっと抵抗感があるけどね」と言いながら立ち止まった先生は、登山帽にリュックサック姿の老人に頼まれてカメラを受け取りその老人夫婦を撮り、
 「どうもありがとうございました」と礼を言う老人と手を振って別れました。雨上がりの、あちこちに満開の桜の花を見かける京都の街はちょうど春の観光シーズンだったのです。観光メッカの1つである南禅寺もまた観光客でにぎわい、画架に向かい絵筆を動かす人もいれば、バスガイドに案内されてぞろぞろと歩いているツアー客もいるのでした。
 実際に疎水の傍まで上がると、半筒型の溝の底を速い水が南から流れ込み、境内を巡って北の山の中に流れ去っています。その山を出たところからいわゆる哲学の小道が始まり、今が桜の花盛りだろうと、秋山先生は語るのでした。
 「疎水はさらに北に向かって大きな弧を描いて高野川あたりまで延びているはずだから、沢田さんの下宿からだと格好の散歩コースになるはずさ」
 「じゃあ、わたし、哲学者になれるかな」と煉瓦造りの橋脚の下を歩きながら清子は語るのでした。「それもいいかなって最近考えることがあるんです」
 「英米文学じゃなかったのか?」と先生はからかうように問いました。「英語が聞き取れ喋れて書けるようになるにはどこの大学に進めばいいかとしつこく質問されて、おれは弱ったよ」
 「実用英語の習得には専門学校が一番だと先生は主張してましたものね」
 「そりゃそうさ。だから、大学の近くのどこかその手の学校を探して通いなさいよ」
 「分かってます」
 観光客のまばらな、奥の小さな堂を訪れた清子は、
 「この松、変じゃありません?」とその境内の真ん中にある、英語の案内板の添えられた1本の松を指さすのでした。なるほど、その松は確かに枝から松葉を広げていましたけれど、どう見ても松の幹ではありません。松独特の鱗状の割れ目がなく、ザラザラした淡黄色の砂のような状態だったのです。
 「何かの木に松が寄生したのかなあ」と秋山先生も不思議でした。「縁結びの松とあるから、もともと縁のなかった2つの木が結ばれたということかしら?」
 「まさか!」と清子は笑い、案内板の英語を翻訳してくれと先生に言われても、いやだと答えて横手の門から外に出ました。そこは背後の山から白い筋を引くように流れてきた谷川が清い波音を立てて下っていたのです。その川筋の薄暗い木陰からよれよれの帽子にリュックサックを背負った西洋の若者が現われ、カメラを手に清子たちの立ち去ったばかりの境内を覗き込み、しかしそのまま谷川沿いの山道を観光客の多い南禅寺の方角に降りて行きました。ほんの数分降りればそこは古都の名所ですけれど、ここはもう物寂しい山の気配が漂い、卒塔婆の立ち並ぶ墓地があり、その裏の空き地から山に向かって幾つかの小道が森の中に延びているのでした。
 「1人で来るのは恐い感じがしますね、先生!」
 「だけど、いずれこういう場所が京都の魅力になって行くはずさ」と先生は確信のある顔で予言するのでした。「若い頃に京都に住んでも、神社仏閣の本当のよさはなかなか分からない。もちろん一通り訪ねるけれど、そのついでに足を踏み込んだ森や山が鮮やかな印象を残すというのが、少なくともおれの体験したところだ。京都が自然と人工の溶け込んだ街作りをして来ることができたのも、立地条件のなせるわざだろうね」
 「この山を行けば哲学の小道に出るんでしたっけ?」
 「そうだと思うよ」
 「先生、一緒に森の中に入る勇気がありますか?」と挑むようにキラキラと光る瞳で見上げた清子を見下ろしながら、
 「今日はやめておこう」と秋山先生は軽く受け流すのでした。
 「なぜですか?」
 「まず一般コースから始めるのが物の順序というものですよ」
 「でも先生がせっかく来てくれたんだから、こんなチャンス、もうないかも知れない」
 「森は独りで行くものさ」
 「でも、女1人じゃ危険じゃありません?」
 「じゃあ、誰か探しなさいよ」
 「だから先生を誘ってるんじゃありませんか」
 「いやいや」と秋山先生は笑うのでした。「おれはもう1人で歩くことに慣れたから、今さら2人だけの道はご免蒙る。沢田さんの人生はこれからだ。しっかりと地図帖を調べて、計画的に見聞を広め、いろんな人との出会いを大切にしてほしいね。そうすればきっと、後悔のない人生を送れると思うし、それでもなお迷うことがあれば、その時もう1度、なぜ迷うのか教えてほしい。ひょっとすればおれでもアドバイスを与えられるかも知れないし、適当な知人に紹介してあげられるかも知れないからね」