鐘の鳴る丘
法蔵寺の住職が山門に出ると、ちょうど長い石段を1段1段、中央の手摺りを頼りに田辺さんと岡本さんが上がって来るところでした。
「ごくろうさまです」と住職が石段の上からまだ柔らかい朝の光りに包まれた2人に声をかけると、
「失礼しゃんす」と田辺さんがちょっと上を向いてハアハアと息を切らせながら応え、後ろの岡本さんも何か一言応えましたが、住職には聞き取れませんでした。160センチ少々の、男性にしては小柄な住職は白衣に布袍の姿で、草履を履いた足をやや開いて立って、山門のところで2人を迎えるのでした。
「ハア!」とやっと上まで辿り着いた田辺さんは腰を伸ばし、太い皺のある赤銅色の顔を仰向けて大きく吐息し、「ご院さん、わしもぼつぼつお参りできませんで」とヒラメのように小さく寄った目を向けるのでした。「この坂はきつい」
「時間をかけてゆっくりと上がってくだされば結構ですが」
「十分かけとります」と田辺さんは笑いました。「お参りのたびに上がるのに時間がかかって来よるんがよう分かる」
「ほんまじゃなあ」と続いて最後の石段をまたいで山門に辿り着いた岡本さんが、いかにも温厚そうな面長の顔をうつむけ息を切らし切らし頷きました。「昔はええ運動じゃったが、今はしんどい」
そう言われるともう住職には返す言葉がなく、
「いい天気になって、ようございました」と話題を変える他ありません。「昨日のザンザン降りの時はどうなることかと心配でしたが、今日はカラリと晴れましたねえ。最近の天気予報は本当によく当たる」
「気象衛星のおかげですらあ」と田辺さん。
「ほんまに便利な世の中になったもんですなあや」と岡本さんが言い、
2人は本堂に上がり、後ろ堂からアルミ箱を運び出して来て、蓋を開け、手触りがまだゴワゴワした色鮮やかな幕を発見して、
「こりゃあ、ご院さんが買われたんですか?」と田辺さんが驚きました。
「イヤイヤ、寄付していただいたんです」
「そりゃ、ようありましたなあ。前のはネズミのションベンがかかって黄色いシミが至るところに付いとったから、わしも気になっていたんですらあ」
「つぎはぎだらけでしたしね」
「そうですなあ」と笑いながら、田辺さんが深いV字型の切り込みのある竹竿の先に幕綱を挟んで本堂正面の柱の釘に掛け渡して幕を張ると、水色に染め付けられた、白抜きの下がり藤の紋のある木綿地の幕はちょっとした風にもハタハタと鮮やかに翻るのでした。
「やっぱりいいなあ」と石畳の参道から見上げて、住職は喜びました。「お参りの方も喜んででしょう」
「そうですなあ」と頷きながら、田辺さんと岡本さんはもう1張りの小ぶりの幕を手にして降りて来て、それを山門に張りました。
そしてこれまた今回新しく寄付してもらった5色の仏旗を玄関脇に立て掛けると、見慣れた境内がひどく新鮮に映るのでした。
「本堂の屋根も新しく葺き替え、庫裡も新築されたから、後は山門だけですなあ」と田辺さんが評しました。「周りがきれいなだけに、余計に山門の老朽化が目立つんですらあ。寺が丘の上にあると、門瓦に生えとるペンペン草まで丸見えじゃがな」
それは住職も気がかりでしたけれど、たびたび寄付を募るわけにも行きません。山門の修復なのだから門徒の方々も快く協力してくれるはずだと坊守はよく口にしますが、頼む当人の気苦労が分からない第三者的な発言だと住職は反駁し、夕食後などに何度も揉めたものです。大きな寄付事のあと急死したり大病を患ったりした住職の話はたびたび噂され、寄付事を行なうのは若いうちだ(といっても、40代、50代のことでしょうが)というのが、住職たちの一致した意見だったのです。
まだ寒暖の差の激しい3月中旬でしたから、広い外陣に2基のストーブが置かれたままで、大きく強力な代わりに点火まで時間がかかり、田辺さんと岡本さんが後ろ堂から座布団を運び出して外陣いっぱいに並べ終える頃、やっとブーン、ブーンと唸り出し、透明な筒の中に赤い炎が立ち上るのでした。
「今日はお参りが多いでしょうなあ」と田辺さんが予想しても、
「どうでしょうかねえ」と住職は俄かに同意しかねるのでした。「余りに天候がよすぎると、みなさん、郊外にドライブにでも出かけられませんか?」
「年寄りは行きませんで」
「その代わり留守番をしてでしょう」
「そう言や、わしも息子に留守番を頼まれましたなあや」と岡本さんがおっとりとした調子で打ち明けました。「若いもんの都合ばかり聞いてはおられませんが。今日は1年に1度の永代経があると言うて、出て来たんですらあ。本当のことですしのう」
「家の方はいいんですか?」
「鍵が掛かりますがな」と岡本さんは穏やかな笑顔を浮かべました。「近ごろは携帯電話とか留守番電話ちゅう便利なものもありますしなあ。じゃけど、『お爺ちゃんは事ある毎に1年に1度のことじゃからと言うて寺に行きよる』と皮肉られましたが」
3人は朝日を浴びた本堂の濡れ縁で静かな笑いを洩らしました。柔らかい日差しが、南の丘陵地帯まで埋め尽くしている屋根の上に降りそそぎ、車の響きが四方八方から立ち上がる丘の上の法蔵寺は、今日は珍しく風も穏やかで、地続きに丘の西方に建っているミッションスクールから始業の鐘の音が響き渡るのでした。
「こんな日くらいあの鐘を鳴らすなと頼んでも、聞いてもらえんでしょうなあ」と田辺さんが言いました。「わしらの子供の頃はあそこは格好の原っぱで、北町の者とよう喧嘩したもんですらあ。秋祭りは北と南と一緒にやるから、神社の境内で北町の者が来るんを待ちようて、『何しに来た?.ここはわしらの土地じゃぞ』と言うては、喧嘩ですがな。ほんとに喧嘩くらいしか楽しみがなかった。なあや、岡本さん!」
「そうですなあ」と岡本さんはゆったりとした口調で答えました。「テレビも車もなかったけえなあ」
「自転車もあんまりなかったで」
「そうじゃったなあ」
「ところが北小と南小を統合して中央小学校が出来ることになって、その朝、わしらはいろんなものを持って登校したんですわ。刀の鍔を持って来た者もおったし、鎖を腹に巻いて来た者もいたなあ。ところが同じ校庭の中で出会うと、不思議に喧嘩する気が起きんで、すぐに仲間になりましたがな。ここは誰のもの、あすこは彼のものとあんまり区切るんは、いけませんなあ。喧嘩の元、争いの原因になる」
「しかし、世の人はとかく区切りたがりますよね」と住職が言うと、
「あの学校も大きな柵をこしらえて、わしらを排除してしもうた」と田辺さんは赤銅色の顔に付いた小さな目を上げて、ミッションスクールを仰ぎました。「じゃからキリスト教に人が行かんのじゃがな」
「その方がぼくとしてはありがたいですけどね」と住職が笑い、
「そうですなあ」と田辺さんも笑うのに釣られて、岡本さんも笑うのでした。
しかし、人が集まらないのは教会に限らず、寺の法要に集まる人の数も年々減る一方です。集まるのは年寄りが大半で、その年寄りが亡くなると、家を継いだ若い人が来なくなったり、そもそも若い人は東京や大阪に出ていて、実家は空き家になり、盆や彼岸に若夫婦が帰省した折に掃除してかろうじて家の荒廃を防いでいるところも少なくありません。
法蔵寺の裏の丘に広がっている墓場は今や墓で埋め尽くされ、柿の木もいちじくの木も百日紅も、枯れ葉や熟した実が落ちて墓を汚すとクレームが付けられて20年ほど前にすべて伐り払われ、明るく見通しはよくなりましたけれど、もう子供の遊び場にはなりません。いや、たとえ木々が茂り、畑が残っていたとしても、今の子供たちはテレビゲームと塾と習い事に追われて、友達と遊び場に集まる余裕はないことでしょう。
法蔵寺には、住職の小学時代、その広い境内で遊びに毎日のようにヨッちゃんとカッちゃんが来ていたものです。まだ裏山に茂っていた竹林の竹を腰に差してチャンバラごっこをし、主人格の住職は他の2人より長めの竹を差して、振り回すと先に相手を突くことができましたから、ヨッちゃんやカッちゃんはその度に「やられた!」と叫んで倒れるのです。当時のヒーローは『赤銅鈴之助』や『伊賀の影丸』で、厚紙を手裏剣の形にせっせと切り取りポケットに忍ばせて、墓石の陰から「シュッ、シュッ!」と投げ合ったものでした。
ヨッちゃんは自宅で遊ぶ時でも住職を重んじてくれましたが、むろん、よその家に行くと住職も借りて来た猫のように大人しくなり、2人で静かに遊ぶのでした。しかし、銀行員の一人息子のカッちゃんは自宅に帰ると途端にヤンチャ坊主に豹変し、それでも住職もヨッちゃんもよくカッちゃんの家に赴いたのは、当時、近所でテレビを持っていた唯一の家庭だったからです。2人ばかりではありません。夕方になると、界隈のガキ大将たちもしばしば「カッちゃん、遊ぼう!」と玄関の戸をガラガラと開けて入って来て、みんなでNHKの『チロリン村とクルミの木』を見たものです。終わると、カッちゃんのお爺さんが夏など風呂上がりのフンドシ姿で不意に現われ、がちゃんとテレビを切りましたから、みんなしぶしぶと表に出、もう聞こえる恐れのない距離になると、「ケチ爺、ケチ爺!」と囃し立てながら、ガキ大将たちは夕暮れの街を帰って行ったものでした。
法蔵寺の住職が物心が付く頃すでに丘の上にミッションスクールが聳え、カッちゃんの家を出て急な石段を小さな足で1段飛ばしに駆け上りつつ、夕陽が沈んだ後の愁いを帯びた空気に青く包まれている校舎を仰ぐ頃、その屋上のチャペルの鐘の音がキンコンカンコーンと静かに響き渡ったものです。そして、ミッションスクールを西に降りたところにある、鬱蒼と茂った木立に囲まれ十字架の尖塔の立っている教会が1つの聖域として、幼い住職の胸にも刻み込まれたのでした。
「だけど、幸せの青い鳥をよそに求めることはなかったんですよねえ」と、田辺さん・岡本さんと共に本堂の濡れ縁に腰かけ、高い柵に囲まれ燦々と日の光の降りそそいでいるグラウンドに響く若い女生徒の声に耳を傾けながら、住職は独りつぶやくのでした。「最初に何かを感じたのは、よく考えてみれば、チャペルの鐘の音じゃありませんものね。父が与えてくれたお釈迦さんの絵本が、今でも鮮やかなイメージを心に結んでいますから。やっぱり幼児教育が大切なんですかねえ」
ヘエヘエと要領を得ない表情で頷いていた岡本さんが視線を向けた、坂道から境内に入る通用門に白いコロナが現われ、タイヤの音を軋ませながら境内に入って停まると、その窓ガラスが下ろされ、今日の永代経の講師が顔を出すのでした。
「お早うございます!.どこに駐車すればよろしいでしょうか?」
「よくいらっしゃいました!」と本堂の階段を降りて草履を履いた住職は、小柄な体を駆って車に近付きました。「どうぞこちらにお回りください。丘の上に寺が見えていながら、どこから上がっていけばいいのか迷われる方が多いのですが、すぐ分かりましたか?.そうですか、それはよかった!.きっと先々まで縁のある証しでしょう。今日はどうかよろしくお願いします」