咲く花、散る花
 
 車の後部座席に法衣トランクを放り込み、急いでキーを差しエンジンを掛けた法蔵寺さんは、本堂の裏の駐車場からアスファルトで固められた境内を横切り坂を下りて、昔ながらの落ち着いたたたずまいを残した界隈の通りを抜けて南北に走っている広い国道に出、北に広がる空の下に大きなうねりと共に真っ直ぐ延びているその国道を、多くの車の流れに乗って80キロ近いスピードで疾走しました。F市の背後にひときわ高く聳えるZ山を巡るように大きくカーブして東西に走っている高速道路の高架線と交差し、Z山の麓を走って、なだらかな傾斜面が住宅で埋め尽くされた盆地をたちまちに通過して、ちょっとした丘陵を抜けると、白いちぎれ雲が吹き飛ばされていく大空の下に連なる中国山脈を背にしたK平野が広がり、周りの山々の麓から田畑を囲むように延びている瓦屋根の住宅や白い鉄筋コンクリートのビルの密集したK町が、明るい日の光に輝いているのです。法蔵寺さんの車の走る道路は丘陵の上から高架になってローカル線をまたいだのち平野に降り、道路端にガソリン・スタンドや大型店舗、会社のビルなど横目にしばらく進んで、近年出来た東西に走る国道との交差点を右折して東に進み、K町の北外れの曲がりくねった旧道に入り、道端に喪服の男の人が見えると、その人が車を誘導してくれました。
 法蔵寺さんは車を出て、信行寺さんが乗ってきたのであろう黒塗りの日産スカイラインの向こうの玄関に行きかけると、
 「いえ、こちらです」とその男の人が手招きし、大きな金の花びらと緑の葉とを模した花輪に囲まれ喪服の人々の出入りする新しい家の後ろでひっそりと日の光を浴びている古い家に案内してくれました。
 法蔵寺さんは廊下から座敷に上がり、
 「よくいらっしゃいました」と信行寺さんが声をかけ、
 「失礼します」と法蔵寺さんは敷居の前で頭を下げ、
 「お願いします」と振り返って信行寺の若院さんが頭を下げ、
 「まあ、こちらへどうぞ」と信行寺さんに招かれた法蔵寺さんは、部屋を回ってテーブルの奥の一角に坐ると、
 「ごくろうさまです」と、テーブルを隔てて信行寺さんの向かいに坐っていた役僧の有吉さんと小島さんが振り向き、頭を下げました。
 法蔵寺さんも役僧としてよく頼む人たちでしたから、「先日はありがとうございました」と礼を述べると、
 2人はさらに畏まって、「こちらこそありがとうございました」と礼を返します。
 接待係の婦人がお茶と茶菓子を運んで来て、それから猪口を回して酒を注ぎ、法蔵寺さんもほんのひとくち受け、弁当と砂糖折りが配られ、温かい豆腐汁が出されても、信行寺さんは弁当に箸を付けず、
 「みなさん、お上がってください」と勧めながら自らは添えられていたビニール風呂敷に包み始めましたから、他の者が箸を付けるわけにもいきません。法蔵寺さんはたいていその場で食べましたけれど、他の寺の葬儀ではあり、12時開式でまだ11時半だったこともあって、やはりビニール風呂敷に包みました。
 ちょうど廊下の外の庭いっぱいに枝ぶりのいい松が幹をくねらせて緑鋭い葉を茂らせ、梅の花がほのかな紅にほころびかけています。その南の新しい家に今は喪主の家族が住んでいるが、数年前までここが自宅だったのだと信行寺さんが言いました。
 「法語カレンダーがたくさん掛かっていますね」と、紅殻塗りの柱のあちこちに打たれた釘の頭に掛けられたカレンダーを見回しながら法蔵寺さんが言いました。「信心深い人だったんですか?」
 「信心の定義に依りますね」と信行寺さんは笑います。「部屋の周りに法語があると魔除けになると信じていた人だから」
 「ははあ、なるほど」と法蔵寺さんも笑い、「それが1つのキッカケになって真宗の信心に目覚めたのなら、それも方便として役に立ったわけでしょうね」
 「方便じゃなくて、目的なんですよ」と信行寺さん。「現世利益のない宗教など、この地の人は見向きもしません」
 「心の平安にまさる利益はないでしょうに…」
 「やっぱりお金だとか、健康だとか、地位や名誉だとか、みなさん、それは欲深くていらっしゃる」と信行寺さんは嘲笑気味に口を歪め、ナムアミダブツと口に出しました。
 「伝統仏教は宗教というより半ば風俗・習慣になっていると思いますが、それはそれで大切だと思いますねえ」と法蔵寺さんは日頃の主張をまた繰り広げました。「言ってみれば家の仏教、あるいは葬式仏教と言っていいかも知れません。それは仏教の世俗化で、江戸時代、門徒制度が確立して以来、仏教は堕落したとしばしば指摘されますけれど、純粋な信仰に生きた人が、古来、はたして何人いたでしょう?.逆に全く宗教に無関心で生きかつ死んだ人が、はたして多かったでしょうか?.やはり、大半の人はとりわけ死を前にした時、宗教的なものにすがらざるを得なかったんじゃないでしょうか?.そうした欲求に仏教が応えてきた事実を、何も自虐的に反省する必要はないと思いますけどね。
 そもそも、江戸時代からもう150年近く経ってるんですよ。単なる封建制度の遺物として門徒制度を否定するのは、余りに観念的でしょう。せいぜい数百軒の門徒が1カ寺を支え、それが日本全国に網の目状に張り巡らされている事実、寺と門徒との間に細く長い交流が保たれてきた事実は、たとえば寺だけでは経済的に苦しくて世俗の職業に従事しながらも、寺の維持を最優先にしてきた寺族の努力の結果でもあるわけでしょう。それはもっと強調されていいことだと思いますけどね。
 もっとも、それが今後とも未来永劫に保証された寺の在り方だとも思いませんけれど…。地方はまだ地縁・血縁が強いから可能でしょうが、それでも人口の移動が激しいし、特に東京は全く新しい巨大な人の集合体だから、今までのやり方が通用するわけがない。現に、葬式は葬式産業が仕切り、心の安らぎは新興宗教が請け負って、オウムとかライフスペースとか法の華三法行とかが跋扈した結果、伝統仏教の身の置き所がないですよね」
 「地方も分かりませんよ」と、袴をはき役僧の有吉さんに色衣を着せてもらいながら、信行寺さんが言いました。「わたしが住職になってからでも、どんどん変わっていますから。信心は薄れ、お念仏が門徒の口から聞かれなくなる一方です」
 「うちの寺はもっとひどい」と笑いながら、法蔵寺さんも紫地の袴をはき、草色の色衣を羽織った上に、役僧の小島さんに手伝ってもらって金襴の七条袈裟をまとい、信行寺さん、若院さんの後から式場に向かうために庭を降り、春を予感させる明るく青い空に咲きかけている梅の花を眩しげに仰ぎました。
 「紅梅ですかねえ?」と後ろに付き従う小島さんにそっと問いかけると、小島さんも振り返って仰ぎ見、
 「そうでしょうねえ」と答えました。
 「咲く花もあれば散る花もある。世の中、そうでなくちゃ困りますよね」と法蔵寺さんがささやき、その意味を察してか、小島さんはニヤリと頬をゆるめるのでした。