桜葉影の揺れる家
 
 高層住宅が重なるように居並ぶ丘を登り切ると、桜並木の緑豊かな浄水場公園があり、その駐車場に駐車して、秋山さんは丘の東斜面に建つ中原女史の家を訪ねました。
 笹の葉の揺れる庭石の前を降りて玄関に立ってブザーを鳴らすと、
 「どうぞ」と中原女史の声がします。
 秋山さんがドアを開けると、すぐに広い洋室で窓辺にソファがあり、窓ガラスに桜の木の葉が風に揺れて映り、青い静かな影を室内に落としています。窓の外に張り出しているコンクリの礎には手摺りが巡らされ、白いテーブルと2脚の椅子のあるベランダになっています。そのテーブルの上に1匹、それぞれの椅子に1匹、コンクリの床に1匹、都合4匹の野良猫が、しかし野良にしてはゆったりと横たわっていました。
 「去年は1匹じゃありませんでしたか?」と秋山さんが問うと、
 「まあ、よく憶えていらっしゃること!」と中原女史は驚きました。「夫に先立たれて、ついつい餌をやってたら、どんどん増えてきました」
 「野良猫と飼い猫とでは明らかに表情が違いますよね」
 「うちのはどちらですか?」
 「中間でしょう」
 「そりゃそうですわね」と笑いながら、中原女史は洋室の奥にある、踏み段を踏んで上がる8畳の和室に秋山さんを招きました。そこは東も南も窓でしたから、さらに眺望がよく、桜の木の葉隠れに広がる街の屋根の彼方に新幹線の高架が見え、遠い瀬戸内の午後の海が丘陵の合間にチラチラと光っているのです。
 中原女史が作ってくれたコーヒーを飲みながら、あぐらを掻いて座椅子の背もたれにもたれかかって、
 「今年の作品はけっこう面白かったですね」と秋山さんは言いました。
 「あら、そうでした」と中原女史。「先生は何が一番良かったですか?」
 「『兎の園』ですね。確かな観察眼と文章力を感じました」
 「誰が読んでも同じなんですね」と中原女史は頷きながら、「生え染めた子兎の歯を『塩粒のような』とたとえたあたり、わたしは思わずアッと叫んでしまいました」
 「そこはぼくも強く印象に残りました」
 「素晴らしい才能ですよ」
 「檻の中で逆さ吊りになって死んだ兎の描写も良かったですね」
 「ほんと、そうですね」
 「あれだけの描写は単なる想像とはとても思えない。兎を飼った経験のある方じゃないですか。あるいはペットショップを経営しているのかも知れない」
 「そりゃそうでしょう。想像だけではとてもああ緻密に描けませんよ。」と中原女史もコーヒーに口を付けながら、「夫の描き方も魅力的でしたよね。最後の『もう1匹探してくるよ』と店を出て行くところなど、その落胆した心情と妻に対する優しさとがとてもよく出てましたもの」
 「そうでしたね…」とつぶやきながら、秋山さんは、そうだったかな?.と自問しました。まあいいさ、1から10まで評価が一致するわけではないのだから。
 「入選は『兎の園』でいいですよね?」
 「異存ありません」
 「次は佳作ですけれど」
 「そこからが難しくなる」
 「どの作品も一長一短がありますものね」
 「そう」と応えて、秋山さんは紙袋いっぱいに詰めて来た応募原稿のコピーを取り出し、ワープロ打ちした批評文を中原女史に渡し、女史の批評文を受け取って、2人はしばらく互いの批評に目を通しました。
 「先生は『ミミズは思考する』に対する評価が高いですね」と中原女史。「むしろ『兎の園』より高いんじゃありませんか?」
 「評の最後に『文学の領域にまで昇華し得た力量を高く評価したい』と書いてるからじゃないですか?」
 「そうです」
 「実は読み直した後、そう書き直したんです」と秋山さんは告白しました。「この作品は現実と観念の間を揺曳しているところが一番の魅力ですよね。ところが、作品の中頃、主人公が実際に病院で暴れ出す場面があるじゃないですか。それはちょうど、今ここでぼくたちが窓ガラス越しに桜若葉を眺めている、そのガラスを破って実際の空気を吸い込んでじかに桜若葉に接するような、決定的に異質な世界に遭遇することだと思うんですよ。しかも、暴力的な手段によって!.だけど、それに見合うだけのリアリティーを勝ち得ていませんよね。いわば取って付けたようでしょ?.そこに最初ひっかかったんですけれど、読み直してみて、それほど気にならなかった。そこで、ああいう評に変えたんです」
 「実はこの作者、わたしと同じグループの文学仲間なんです」と中原女史が打ち明けました。「わたしもあの場面が気になって、『どうしてあんな不自然な展開にしたのよ?』って聞くと、『苦し紛れに何となく』と言うんですよ。あんまり深く考えちゃいないんです」
 「いずれにせよ、人によって好悪の別れる作品には違いないでしょう」
 「そりゃそうです」
 「その点、『兎の園』は誰にも好感を持たれると思いますね」
 「じゃあ、やっぱり入選が『兎の園』で、『ミミズは思考する』は佳作でいいですね?」
 「それが妥当じゃないですか」
 今年は応募作が多く、佳作をもう1編出さないかと中原女史が提案し、秋山さんも賛成でした。すると、女史は『母の死』が興味深かったと言うのです。母の死に際して葬式にまつわる数々の疑問を考察した議論小説で、中原女史は次のように述べるのでした。
 「実はわたしも夫を亡くした時同じような疑問を持ちましてね。他人事とも思えなかったんです。夫は画家で自由人でしたから、葬式も戒名も要らないと言い残していたんです。だけど、いざ先立たれると、周囲がうるさくて、わたしも葬式を出さざるを得ませんでした。戒名も先祖に合わせた方がいいと和尚に言われて、長たらしい院号を付けてもらって、高いお金を払った上に夫の画も1つ寄贈したんです。今から考えると、勿体ないことをしました。だから、この作者の意見、わたし、とても理解できるの」
 「ただ小説としては、いかにも理屈っぽいですよね」
 「そうね」と、中原女史は中年にしては若くハキハキした声で笑いました。「わたしは怨念で読んだのかも知れない」
 「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中に『大審問官』という有名な章があるのをご存じですか?」と、窓の外で日の光に揺れる5月の桜若葉を仰ぎながら、秋山さんは尋ねました。
 「知ってますよ!」と中原女史は当然だと言わんばかりの強い口調です。「ちょうど文学仲間と読書中の作品ですもの」
 「あの大審問官という人物をどう評価すべきだとお考えですか?.彼は再来したキリストに向かって、
 『おまえは信仰に最も大切なものは自由だと考えたが、自由の重みに耐えられる人間はごく一部だ。自由意志から信仰に向かう人間はさらに少ない。大多数の人間は誰かにすがって、その人の言葉を信じて心の平安を得る他ない。そういう信仰はたとえ偽りであっても、おれはそういう人々のために偽りつづけたい』と大見得を切りますよね。すると、キリストはその大審問官に黙ってキスするわけですよ。ブルッと身震いした大審問官は、
 『この町を出て行け!.2度と来るな!』と叫ぶけれど、この大審問官の姿勢は、教団というものの本質を鮮やかに照射しているんじゃないでしょうか?」
 「どういう風に?」
 「つまり、教団は信仰に至るジャンプ台であって、そこに信仰そのものがあるわけじゃない。しかし、ジャンプ台は多くの人に必要なんです。自力で信仰に至ることができるのは、限られたごく一部の人間だけなんだから。言ってみれば、泥沼にこそ蓮の花が咲くという仏教の比喩がその機微をよく表現してると、ぼくは考えていますけどね」
 中原女史は大きく目を見張って、
 「先生は信仰家なんですか?」と確かめました。
 「とんでもない!」と秋山さんは笑いました。「ただ友人に坊さんがいるから、少しその影響を受けているだけです」
 「うちの菩提寺の和尚はがめついだけだから」と、中原女史は飲み干した秋山さんのコーヒーカップにまたコーヒーを注いでくれました。「坊さんもいろいろですね」
 「そりゃ人間、いろいろでしょう」
 「やっぱり『母の死』は佳作から外しましょう」と中原女史は断を下しました。「わたしの思い入れから来た評価ですから。夫のことを思うと、どうしても冷静になれない部分がまだ残ってるんですの。そのことを今回、改めて感じましたわ」
 結局、入選と佳作を例年通り1編ずつにとどめ、ただ今年はレベルが高かったから、どちらも雑誌に掲載してもらうように事務局と交渉してみる、と中原女史が言いました。隣県では入選作品に100万の懸賞金を出してるんですよ。こちらは10万ですもの。せめて掲載くらいしないと、地域文学の振興を図ると言ったって、かけ声倒れで終わりますよ。
 「そうですね」と秋山さんは口に出して言い、どうでもいいけどな、と心の中でつぶやいたものです。文学の形態が急変している現在、地方自治体にその道先案内役を期待しても、とうてい無理な話なのだから…。
 「猫がいませんね」と窓の外のベランダにさりげなく視線を移した秋山さんが言いました。「散歩かな?」
 「そりゃ猫だって1日中寝そべってちゃ退屈ですもの」と中原女史が応えました。「下の神社をうろついてるんでしょう」
 「この下は神社なんですか?」と秋山さんが立ち上がって窓を開け、小鳥のさえずりを耳にしながら覗き込むと、なるほど、桜の幹の向こう、密生した楠の葉の陰に緑青を帯びた神社の屋根が窺えました。「ここは絶好の居住空間ですねえ。高層マンションあり、公園あり、森あり、神社あり、さらに海まで見えるんだから」
 「いいえ!」と中原女史は強く否定しました。「坂に建った家は老後が大変です。60を過ぎてから、転居先を間違ったと夫はいつもこぼしてましたもの」