肉体は滅びても…
秋山はトヨタ・コロナを駆って、インターチェンジの途中にある料金所の、庇の信号灯が緑に光るゲートで減速し、道路端の箱の口から自動で差し出されたチケットを抜き取りました。そして東に向かう高速道路に入って、たちまち時速100キロを計測したのです。助手席の橋上は40代に入って俄かに白髪が目立つようになり、学生時代以来蓄えていた口髭も半ば白く染まっています。
「中風の具合はどうだ?」と秋山が聞くと、
「悪い!」と断定的な橋上の口調ばかりは昔と変わりません。「ビールは一切やめたよ」
「ついこの間まで飲んでいたよね。日本酒は悪いが、ビールならかまわないんじゃなかったか?」
「逆だ。だけど、ビールの方がうまいから、そっちにしてただけさ」
「おれは毎晩、ワインをグラス一杯飲むことにしてる」
「ほう!」
「フランス人にアル中はいっぱいいるけど、脳卒中はいないと言うんだ。親父も妹も脳出血で倒れただろ。この年になると、家系の血筋を意識するようになるな」
「妹さんも亡くなったのか?」と橋上が驚き、
「いや、生きてる」と秋山は笑いました。「だけど、いちおう快復するまでに10年かかったさ。薬の副作用でぶくぶく太り続けて、小柄な体にも関わらず、一時期、60キロあったんだ。それが心臓の負担になり出してから、いろんなリハビリをして、ここ数年やっと元に戻った。すると今度は皺が目立って来て、今や中年のおばさんさ」
「あんたの腰の具合はどうなの?」
「良からず悪しからずだ」
「まだプールに通ってるのか?」
「ああ」と秋山は頷きました。「おかげで水泳だけは高校時代よりずっと自信がある」
次々と現われる幾つもの細い長い橋の下をサッと彼らの車は通過して、山々の傾斜面に広がっている田畑の中をまっすぐ突き抜けて行きました。そして、南に開ける平野とその彼方にかすかに光る瀬戸内海を時に視界に捉えつつ、中国山地の南端をゆったりと上り下りしながら延びている山陽高速道を走りつづけたのです。
「高見は元気になったかなあ」とハンドルを手に前方を見つめながら、秋山が言いました。「おれの知り合いが去年、C型肝炎を悪くして手術してね。肝臓は4枚重ね合わせた形になってるらしいんだけど、その1枚を切除したんだ。手術は成功したけれど、全く元通りというわけには行かないらしい。腹を切ると、どうしたって体力が消耗するしね」
「肝臓はまた再生されるんじゃなかったか?」
「4枚それぞれの一部分ならそうだけど、元から取ってしまうと、その1枚分は再生できないらしい」
「肝機能が4分の1失われたわけか」
「そう」と秋山は頷きました。「高見はC型じゃなかったよな?」
「確かB型だった」と橋上は応えました。
「どっちが悪いんだろう?」
「さあ」
料金所を出、K市の北バイパスを走って新幹線の高架を潜り、そこから2つ目の信号のある四つ角の、駐車場の広がっているスーパーマーケットで土産を買って、秋山と橋上はおよそ3年ぶりにかつての学生仲間の高見の家を訪れたのです。3年前はちょうど手術の後でしたから、筋骨逞しかった高見も見た目にも明らかに衰弱していましたが、
「どうぞ」と2階の自室に案内してくれた今回は、もう若くないにせよ、かなり快復していました。
久々に秋山が来る気になったのは、今年の年賀葉書にLinuxでランを構築したから遊びに来ないかと高見が書いていたからです。なるほど、東と南を大きな1つ窓にした明るく開放的な洋室にパソコン用の机が2つあり、普通の机の上にも薄手のノートパソコンがあって、いずれも細いケーブルで繋がれていました。そのケーブルはドアの下から廊下に出ていて、階段の隅を這って、1階の子供部屋と台所にあるパソコンにも繋がっているとのことです。
家庭でランを構築する必要性が分からなかった秋山でしたが、サーバー・コンピュータ1つをインターネットと接続すれば、後はランでどのクライアント・コンピュータでもインターネットが利用できると言うのです。
「なるほどね」と秋山は納得しました。「アメリカではインターネットで注文すれば、2〜3時間後には自宅に品物が届くシステムがかなり普及しているらしい」
「これらもみなそうさ」と幾つものパソコンやプリンタを指して高見は言うのです。「わざわざ出かけて買ったものは1つもない」
「おれたちの街は今、郊外に大型店舗が目白押しなんだ。広い駐車場を有して、車客を目当てにどんどん増えてるんだけど、そうなると、車のない年寄りだけの家では日々の食料品の買い出しにも苦労している。隣近所の小さな店が次々と無くなっているんだから…。もう少しパソコンが使いやすくなれば、そこらあたりも解消されるだろうな」
「そりゃすぐだ」と高見も、橋上ほどではないにせよ、断定的でした。「10年とかからないんじゃないの」
「そうだなあ」と秋山は頷きました。「10年前、おれがパソコンを扱うようになろうとは、夢にも思わなかったものな」
「だけど、10年は長い」と、高見の一種天の邪鬼的な性格は昔のままでした。
「おいおい、すぐじゃないのか?」
「10年と言や、おれたちがここに移り住んでからの歳月だもの」
「まだそんなものか?」といささか意外の感に打たれつつ、秋山は窓の外に広がる竹林を眺めました。高見家の西の道路に沿って住宅が密集しているにもかかわらず、東南の竹林の向こうはずっと空き地が延びています。道路を造る計画があり、その計画が実行される場合は転居するという誓約書に、高見はサインしていたのです。
「あそこも道路、ここも道路だな」と秋山はその細面に似つかわしい薄い唇を皮肉に歪めました。「いずれ日本中が道路で埋め尽くされるんじゃないか?」
「仕方なかろう」と高見は断言しました。「必要なんだから」
高見はO県、橋上はH県の教員で、それぞれの県の公教育を一くだり批判した後、私立高校に勤めている秋山が一番恵まれているという結論に達しました。そんなことはないと秋山が反論すると、じゃあ、公立に来るか?.と橋上が口髭の下でニヤニヤ笑いながら問います。いやあ、H県は遠慮しとくよ。O県に来ないか?.と高見に畳みかけられて、それも遠慮しておこう、と秋山は笑います。それにしても人生は摩訶不思議だ。あれだけ恋愛にこだわったおれが結局まだ独りで、高見や橋上は女房・子持ちなんだから。
独りがいいよ、と2人は同時に言いました。できることなら、学生時代に戻りたいや。
子供は幾つになったんだ?
高見は長男が高校1年、長女が中学1年の2人の子持ち、橋上は大学院まで進んで結婚が遅れたため、長女が中学1年、長男が小学5年、次男が小学3年の3人の子持ちでしたが、次男が大学4年の時に定年が来ると愚痴ります。
いいじゃないか、と秋山は笑いました。1年くらい退職金で何とかなるさ。
橋上もフッと笑いを洩らしましたけれど、常日頃深刻に考えることがあるためか、いつもの軽口を叩きません。
「坂道を転げ落ちるように、これからの人生は早いだろうなあ」と秋山はひょろりとした長身をソファにもたせかけて、白い天井を仰ぎながら言うのです。「たちまち子供たちが成人して、その親は人生の表舞台から一歩退くことになる。そういう立場を忌避したおれは、これからますます世の中と疎遠になるだろうな」
「それが賢い選択さ」と橋上が吐き捨てるように言いました。「一般の人生に乗り遅れたと焦ったおれがバカだったよ。遅れに遅れりゃ、追い付こうという気にもならなかったはずなのにさ」
「それも人生だ」と高見はどこか達観した風でした。「去年の暮れ、近くにメガパークという凄い総合店舗が来たんだ。映画館も7〜8館あるし、4〜5000台駐車できるんだ。話の種に夕飯でも食いに行かないか?」
北バイパスをK市の西外れまで走ると、田んぼの真ん中に巨大な建造物が聳えていて、楠や椋の巨木が風に揺れている広い駐車場は駐車した車でいっぱいでした。K市やO市ばかりでなく、県外から来る人も多いと、自らの車から降りて2人のところにやって来た高見は言うのです。秋山や橋上自身、県外の人間に違いなく、
「ここからプレジャーランドまで車で10分だ。あそこは駅に近いから、関西からも遊びに来るんだ」と高見が言い、
「おれの学校からも忘年会で行ったことがある」と橋上が言いました。「夜の入園料は半額だったし、けっこう店があった」
「居酒屋はなかっただろう?」と秋山が問うと、
「西洋の真似事だからな」と橋上はフンといった調子です。「あそこは洋館造りの食堂で埋め尽くされた通りがあるだろ。女はああいうロマンチックな雰囲気に弱いのさ。ただ、男はメニューにこだわらなくて決められないし、女はあれもこれも食べたくて決められなくて、右往左往したよ」
「それはあるなあ」と秋山は頷き、その日の3人もその通りでした。メガパークの大店舗の一角に幾つも軒を並べたレストランを3人はどこでもいいと譲り合いながらブラブラし、結局、家族向きに造られたごく平凡な和食店に入ったのです。
「ビールを頼もうか?」と高見が問い、
「おれは要らない」と橋上が答えると、
「どうして?」と高見は驚きました。「下宿で2人してよく一升瓶を空けてたじゃないか。日本酒にしようか?」
「いや、もうどちらも止めた。そもそも高見は無理だろう」
「ということは、昔一番酒に弱かったおれが、今では一番飲んでいるわけか」と毎晩ワインを欠かさない秋山が言いました。「人生、細く長くという好例だな」
「おれに残る楽しみは食うことだけさ」とメニューを目で追いながら橋上が言うのです。「死ねば何にも残らない身だから、せめて食う時だけは満足したいや」
「橋上らしいなあ」と高見は笑います。「肉体は死んでもその霊魂は生きつづけると信じている人も多いんだぜ」
「勝手に信じてくれ」
「何か信じないと、だんだん寂しくならないか?」
「おれは30才以後ずっと寂しい人生だから、何が来ても慣れてるさ」
「それとこれとは別問題だ。死後にはまた別の人生が待ってるかも知れないじゃないか」
「高見と違って、おれは物理を学んだから、霊魂とか精神とか興味ないね」
「霊魂は物理的な現象でもあるんだ」と、高見は若い頃からの信念を久しぶりに披露しました。「死にかけた時、おれはそのことを再確認した。たとえ死んでも全てが無に帰すわけじゃないと確かに感じたんだから」
「それは、死にたくないという高見の願望の所産だ」と橋上は半ば白い口髭の下で笑いながらメガネを外し、おしぼりで顔を拭きました。「死を直視できる人間なんて少ないからな。おれだって余命幾ばくもないと宣告されたら、急いで何かを信じるようになるかも知れない」
「そういうものかな」と言いながら、高見は注文を取りに来たウエイトレスに3人の注文を告げました。「秋山もそう思う?」
「これは知り合いの坊さんの話だけど…」とまず前置きをしてから、秋山は語りました。「仏教では、肉体と分離して永遠に生きつづける霊魂の存在を説かないらしい。なぜなら、その霊魂というのは、どこか自意識の影を引きずっているからさ。仏教の根本は無我だからね。ただし、生きるためにはどうしても、自我を主張しなければならないことも多い。逆に言えば、自我を捨てれば、生きながらに無我の境地、つまり悟りに至れるわけだけどね。そのためにはまず出家して、社会の外に出ることが要請されるんだ。
しかし、大半の人間に出家など不可能だから、そういう人々のための悟りの道がアミダによって説かれている、それが極楽だ、とその坊さんは言うんだけどね」
「それはたわごとだ!」と橋上は湯飲みのお茶をがぶりと飲みました。「死ぬことが極楽に行くことなら、それはただ、死体に蜜を振りかけて甘い、甘いと陶酔に耽っているようなものさ」
「ストレートでないなあ」と高見も首を横に振りました。「人の霊が極楽に行くんだと素直に説けばいいのに。みんな、そう信じてナムアミダブツと称えてるんじゃないの?」
「反論は坊さんにしてくれ」と秋山は笑いました。「おれは聞いた話を伝えただけだから。だけどさ、人生を峠にたとえると、ちょうどおれたちはその下り坂に差しかかったところだろ。今までは上り坂ですぐ目の前の坂道を辿ることに精一杯だったけれど、これからは見通しがいい。それに下りは早いから、その先に何があるのか、どうしても気になるわなあ」
橋上も高見もそれには答えず、運ばれて来た和食の盛り合わせに箸を付けました。広く明るくまだ新しい店内は、休日ゆえに家族連れでにぎわい、どこから集まったかと思うほどの多くの人々が、食後、通路に出た3人の周りをまだ足繁く行き交っているのでした。2重のガラス扉になった広い玄関を出ると、駐車場はもう夜が深く、今度はF市に来いよと言って高見と別れた秋山と橋上は、白いトヨタ・コロナに乗り込み、ラッシュ・アワーのように混雑してのろのろ運転だったバイパスを抜けて、高速道路に上がりました。そして、雲が低く降りて星明かりもない西の空をめざし、先を行く車の赤いテールランプを追ってひたすら帰って行きました。