受験時代
晩秋の川原はピューピューと冷たい風が吹き下ろしています。昨日までの小春日和がウソのようで、平年並みと言われても、今まで暖かかっただけにひときわ頬を刺す風の冷たさでした。しかし、それも出発直後のひと時でした。赤いジャージに包まれユッサユッサと胸を揺らしながら走るモエたちの体はすぐに温まり、青く透み切った空が広がって、広々とした川面に架かった橋の彼方に中国山地の峰々が遠く見えるばかりです。ハッハッハッと吐き出す同級生の息がモエの耳に響き渡り、確か去年までは軽やかに聞こえたはずのその音が、なぜか今年は重く辛く耳朶を打つのです。バレーボールをやめて5キロ以上増えた体重が予想以上にモエの脚力を奪っていた上に、もちろん、長時間机に向かう受験生活も影響していたに違いありません。
スラリと均整の取れた体に最近とみに肉が付き、風呂上がりに鏡に向かって、豊かになった胸や腰に自ら酔い痴れていたのを、モエは腹立たしく思い起こしました。そして、痛みの生じる横腹を押さえながら、一人前の女になるのは半年後でいいんだ。せめてマラソン大会まで48キロを維持したかったな。ああ、1カ月早まった!.などと後悔するのでした。
初め団子状態だった集団もK橋のたもとの折返し地点に着く頃にはとぎれがちな線状になっていました。川岸を巡る遊歩道に白い大きなUターン記号が石灰で描かれている地点にいる先生が指示したボックスに、モエも自分の名札を投げ入れ、今度は川を吹き下ろす風に背中を押されて引き返して行くわけですけれど、依然、腹痛が治まりません。リタイアしようかという思いがチラチラと脳裏をかすめましたが、モエのプライドがそれを許しません。バレーボールを始めた中学2年から毎年、10位以内の入賞を果たしていたマラソン大会でしたから、せめて30位以内で完走したかったし、その可能性はまだ十分あったのです。
ハッハッハッとまた背後に迫る吐息にギョッとして振り向くと、何とそれはチカでした!.思わず瞠目してチカをにらんだモエは、歯を食いしばって最後の力を振り絞り、キリキリと痛む腹を手で押さえ付けてチカをいったん振り切ったものの、またハッハッハッとコンスタントに吐息しつつ接近してくるチカに再び差を付ける気力も体力も、もうモエに残っていませんでした。
ゴールに辿り着いた後もそれが一番くやしくて、会う友人ごとに「チカに抜かされた!」と言い触らし、チカに向かっても直接「くやしい。受験でもチカちゃんに抜かされる気がする」とこぼしたものです。2人は同じ大学をめざしている、同じようなグルメでしたから、学校帰りによくあちこちと評判の店を自転車で巡り渡って食べ歩く仲だったのです。
冬休みに入るとクリスマス、大晦日、正月と続きますけれど、今年は正月2日に母の実家に2人の妹や母の後から父と夕方行って、夕食を共にしてお年玉を貰っただけでした。毎年必ず父が連れて行ってくれていたスキーも今年はおあずけです。そして昼型から朝型に勉強時間を変えて、1月15日・16日と、高原を切り開いて造られた広大なH大学まで、モエたちはセンターテストを受けに出かけたのです。
たいていの高校生はF駅改札口周辺に群がり、引率教師の点呼を受けていましたけれど、モエの学校は、そんな幼稚な真似はしない、自分で行け、と言うのです。服装も自由でしたから、白地に大柄なチェックの黒模様のコートを羽織ったモエは、臙脂のマフラーを首に巻き、下はタートルネックのセーターに軽い合成繊維の上着、スラックスという出で立ちで、鏡台の前でけっこう時間を費やしたのでした。高原ゆえに2、3度温度が低いから厚めに着て行くように先生から指示されていたのです。
チカたちと駅で待ち合わせて新幹線に乗り、30分ほどでH駅に到着し、予約していたタクシーに乗り合わせて大学に到着すると、緑葉を失ったプラタナスの並木を透かして冬の陽が明るく降り注いでいました。東の山々の上の透明感ある青空に太陽が淡く輝き、幾棟も並んだ工学部のベージュの高い側壁に細かい光の断片をばらまいています。まだ新しいキャンパスは木立も若くいろんな建物が漫然と四方に広がり、受験生たちが所々に群れ集まっているばかりでした。
「私、ここを志望してたんだけどなあ」とチカが手袋を嵌めた手に息を吹きかけながらつぶやくのを耳にしたモエは、
「負けんよ」と宣言しました。「私、チカちゃんには負けんからね」
まず英語から始まり、英語の得意なモエは時間が余りましたけれど、午後の数学、それも2つ目の数学Uに至って第1問に何と30分近くかかってしまいました。サラサラと紙面をすべる周りの受験生たちの鉛筆の音がモエの頭の中を掻き毟り、消しゴムで消す音も、その白い消しゴムと白い紙面と擦り合う様子ともども鮮やかに、モエの頭に焼き付いて離れません。
やっと解けて第2問に移ると、もう時間がなく、俄かに震えはじめた手は自由に動かなくなりましたけれど、幸いマークシート方式です。解答番号を塗りつぶすだけだから何とかなったのです。第3問、4、5、6問と、カッとした頭で機械的に解いて行き、終わってホッと吐息した時にはちょうど試験時間の80分が経過したところでした。
「はあ!」とモエは大きく溜め息を吐いてぐったりと机の上にうつぶし、試験官に促されて廊下に出て、別の試験会場で受けていたチカたちと落ち合うと、「数Uは、何よ、あれ?.あんなややこしい計算、時間内にできるわけないじゃん」とみんな口々に批判しました。
ホッと安堵したモエが、
「チカ、できた?」と問うと、
「一応、全部埋めたけど、自信ない」
「そう」
そうか…。ま、いいか、とモエは心の中で自らを納得させたものです。チカのことだから、埋めたからにはきっと合っているだろうけど、私と五分五分だもの。数学は彼女の得意科目だし…。
その日、理科が終わったのは6時が近く、新幹線で帰宅した時にはすでに8時を回っていました。翌日は国語と社会があり、翌々日は学校に登校して、自己採点をしなければなりません。その結果をいろんな受験業者に送り、志望校の合格可能性を知った上で、どの大学を実際に受験するか決めるためです。
800満点中716点だったモエはまずまずだと胸を撫で下ろし、チカに問うと710点だったと言います。
勝った!.とまず凱歌を上げましたけれど、危ないところだった、とすぐ反省の弁が湧きました。やっぱりチカは力を付けて来ている。でも、待てよ…。
傾斜配点があり、どの大学も800点満点で評価するわけではありません。それぞれの大学が独自に得点に比重をかけますから、モエとチカが志望している大学の傾斜配点で2人の得点を計算し直したところ、チカの方が4点上回っていたのです。
「そうなの?」とチカは納得しかねる風でしたけれど、
「負けんから!」とモエはまた宣言しなければならなくなりました。
案の定、チカはB判定、モエはC判定を貰い、数点の差とは言え、モエは2次試験で逆転しなければなりません。センターテストと違って、2次試験では問題の大半が記述式で、国語の添削を受けに学校の秋山先生の研究室を訪れる度に、
チカちゃんも来てますか?.とか、先生は受験で失敗しなかったんですか?.とか、モエは何か話して帰りたがるのです。
「失敗したさ。だから浪人もしたんだ」と、秋山先生は何の屈託もなく語るのでした。「現役の時には数学ができなくてねえ。6問中、誰でも解けそうな第1問が解けただけで、150分あった試験時間の大半をただ周りの鉛筆の動く音や消しゴムを使う音、それに合格を確信したような静かな熱気に包まれながら、いつまでもジッと机に坐っていなくちゃならなかったのは、非常な苦痛だったね。途中退席しようかと何度も考えたくらいさ」
センターテストでの数学の思い出がまだ生々しかったモエは、ウンウンと大きく頷きました。
「だから、予想通り落っこちた時、数学ができなければ何回受けても入らないと、心底から痛感したよ。英語、国語は何となくやってても何となく力が付き、何となく点になったから、おれの場合、受験勉強といえば数学がすべてだった。
それに確かに吉川さんの言う通り、常にどこかで必ず競争意識が働いていたな。だから、吉川さんのようにその相手をハッキリさせて頑張るのも正直でいいかも知れない。それは結局、勉強の最終目標が1つ上の学校に合格することだからだろうね。そういうシステムの上に、今の学校教育はできてるんだ。学問のために学問をすると語った森鴎外の主人公のような人物は、ますます減ってるんじゃないの?
得点という共通の物差しによる競争心を子供の時から身に付け、大人になると、今度はお金という共通の価値観で競争するようになる。日本の資本主義が成功した秘訣さ。
競争するには常に先がなくちゃならないだろ?.ゴールがあれば、そこに到着するとそれでおしまいだけど、いったん火の点いた競争心はどこまでも燃えつづけるものね。欲望の肯定とは、そういうことだ。
だけど地球という、人の欲望の炎が燃え盛っているグラウンドには限りがあることが、最近みんなに分かり出して来た。もちろん、昔から知ってた人もいたけどね。宇宙に飛び出せばいいと言う人もいるけれど、地球で生まれた生命体をそこまでグロテスクに成長させるのは不遜な気が、おれにはするな。もっとも、それは次の時代の問題だろうけど…。
そもそも、生まれ死ぬ人の命には必ず限りがあるわけだろ?.だから自分の欲望にもどこかで折り合いを付けなくちゃ、結局、不満を残して、あるいは自己欺瞞に被われて、死ぬことになる。要するに空間的にも時間的にも、人はどこかでその限界を知る必要があるんじゃないのかな」
いささか不満げなモエを見て、先生は笑いながら付け足すのでした。
「これはもちろん、40才を過ぎてから徐々に実感して来ることさ。若い頃からそういう思いを抱く人もいるだろうけど、吉川さんは大きな夢を抱き、その夢に向かって突き進めばそれでいいと思うよ。そのために人と大いに張り合うことも、ちょうどスポーツに勝ち負けがあるように大事なことさ。ルールのある生存競争が生き物の定めなんだから。だけど、自然のルールを破壊できるまでに人間の科学の力が大きくなったのも事実だろうね。
それから、夢は希望の象徴であると共に、はかなさの象徴でもあるってことも、心のどこかで意識しているといいだろうな。きっと役に立つ時が来るよ」