新春座談会
 
 毎年正月2日に、法蔵寺さん一家は奥さんの実家を訪問するのです。先に奥さんと次女と三女が行き、夕方、法蔵寺さんが長女と共に車で30分ほどの奥さんの実家に着くと、居間のテーブルにお節料理が並び、奥さんの姉夫婦とその3人の子供がすでに訪れていて、大人と子供たちで部屋中いっぱいでした。そして、奥さんの母と妹は隣の台所で調理にいそしんでいました。
 奥さんの姉に勧められてその夫の隣に坐った法蔵寺さんは、およそ1年ぶりに目にする姉夫婦の子供たち(長女が高校2年、次女が高校1年、長男が中学2年のはずでしたが)の成長ぶりに驚きました。と言うか、眉を細く剃った長女や茶髪の長男にいささか違和感を感じたのです。
 「これがどうなるか、おれは心配だ」と姉の夫は長男を指して言います。「おれもいろいろ悪さをして育ったけど、けじめちゅうものを知ってた。ところがサトルと来たら、いくら言って聞かせても分からん。人間がまだ甘いよ」
 「お父さんがどれだけ気苦労を重ねて仕事を請け負っているか、この子たちには分からないのよね」と言いながら、奥さんの姉がハマチの刺身を盛った小皿を夫に渡し、法蔵寺さんにも渡しました。
 缶ビールの栓を開けた姉の夫は「どうぞ」と法蔵寺さんのグラスに注ぎ、新しい缶ビールをもらった法蔵寺さんが今度は姉の夫に注ぎながら、
 「昔は真冬でもビールの方がよかったけど、今は熱燗ですねえ」と言いました。「ビールは腹が冷える」
 「ミチエさん、日本酒はまだか?」と姉の夫が言い、
 「もうすぐよ」と奥さんの姉が答えます。「ねえ、お母ちゃん、お酒、温まった?」
 「はい、どうぞ」と奥さんの母が徳利3本と猪口3杯、盆に載せて来ました。「まだあるから、冷めないうちにどんどん召し上がって下さいね」
 「どうぞ」と姉の夫に勧められた法蔵寺さんはその酒を猪口で受けてから、そのお返しに「どうぞ」と姉の夫に徳利を差し向けます。
 「サアちゃんもどうだ?」と姉の夫はテーブルに着いた奥さんの妹に徳利を向け、
 「ありがとう」と奥さんの妹が猪口を差し出しました。「わたし、お酒は嫌いだけど、なぜかお正月は飲めるのよね」
 「それは、飲もうと思えばいつでも飲めるってことだよ」と姉の夫が言います。
 「それが違うの。普段飲むとすぐ酔っ払っちゃうの」
 「それはおかしいなあ!」と姉の夫は大袈裟に驚きました。「気分もあるけど、酒を飲める飲めないは体質の問題だよ」
 「奈良漬けで酔う人もいるしね」と法蔵寺さんが言い、
 「そうですわね」とテーブルに着いた奥さんの母が頷きます。「わたしの知り合いにもそんな人がいますもの」
 「その人も辛いね」と奥さんの妹が言います。「お酒の香りを嗅ぐだけで酔うわけでしょ。ちょっとした集まりにも参加できないじゃん」
 「それはね、サアちゃんの発想だ」とまた徳利を差し向けながら、姉の夫が言いました。「今の若い女の子は違うけど、サアちゃんくらいの年輩だとお酒を飲まない人、いっぱいいるよ」
 「まあ、それじゃあ、わたしは何者なわけ?」
 「古い新人類だ」と姉の夫が言い、みんなドッと笑い、
 「サアちゃんは昔からわが道を行く芯の強さがあったわね」と奥さんの姉が言いました。「わたしはとても真似できなかったわ」
 「ミチエちゃんだって強かったじゃない」と奥さんが姉に言いました。「みんなの猛反対を押し切って、好きな人と一緒になったんだもの。わたしがいちばん平凡人よ。20代のうちに結婚しなきゃならないと周りから急かされて妥協したしね」
 「何よ、それ?」と奥さんの妹の甲高い声がさらに甲高くなりました。「わたしに対する皮肉?」
 「それよりニシダくんに失礼よね」と奥さんの姉も言い、
 「わたしは口下手だから」と奥さんがそっと法蔵寺さんを窺っても、法蔵寺さんはいつもにまして無表情なままです。
 「あんたは昔からそうだった」と奥さんの母が笑いました。「もっと言葉に気をつけなさいといくら注意しても、直らなかったもの」
 「お父ちゃんもそうだったでしょう」と奥さんが言い、
 「言い訳無用!」と奥さんの妹が断じます。
 「だけどサアちゃん、結婚は大事だよ」と大皿に盛られた煮物を取り箸で取りながら、いささか酒に酔って赤ら顔の姉の夫は、まじめに口を尖らせます。「40才を過ぎてまだ独身だなんて、こう言っては失礼だけど、お母さんの教育にも問題があったな」
 「わがまま放題に育てたから、反省してます」と奥さんの母が言うと、
 「そんなこと、ない」と奥さんが言い、
 「お母ちゃんは結構厳しいところあったわよ、ねえ?」と奥さんの姉も2人の妹に同調を求めるのです。
 「しかし、今の現実が全てを物語ってるよ」と姉の夫がなおも食い下がると、
 「わたしだって悩んだんだから」と奥さんの妹が反駁するのです。「何度も自殺しようと考えたけど、あの人がいるから死ねないと思いとどまったもの。そういう人がいたから、ある意味でわたしは幸福だったと思うけど、自殺したい誘惑に駆られた経験のない人なんて、信じられない」
 「おれは人間が単純だから、そんなこと、1度も考えたことないな」と姉の夫が反駁しました。「おれの家族はみんなそうだった。そんな贅沢な悩みに煩わされる余裕なんてなかったよ」
 「何が贅沢よ?」
 「贅沢だから、贅沢と言ったんだ。だから、親の教育が間違ってる」
 「フミオくんの考え方は要するに男尊女卑なのよね」
 「どこが?」と姉の夫はいささかムッとし、
 「まあまあ、正月だから楽しくやろうよ」と奥さんの姉が仲介に入りました。「2人は同級生だから、それでも楽しいのかも知れないけど、はたの目にはハラハラドッキリだから」
 そして次々と大皿が回されて、ブリの照り焼きや、サラダや、クワイ・コンニャク・昆布などの煮物や、ハマグリの塩焼きや、マツタケをちょっと加えた澄まし汁が賞味され、
 「お父さん、ご飯にする?」と奥さんに問われて、
 「軽く」と答えた法蔵寺さんは、軽く盛られたご飯を食べました。それからまた皿で回されて来た、松葉で2つずつ串刺しにされている、炒られて翡翠のように艶やかなギンナンの実を口にしました。
 「久々に食べるとうまいですね。昔はそうも感じませんでしたけど」
 「お宅には大きなイチョウの木がありませんでした?」と妻の母に尋ねられ、
 「ありますが、20年前、枝を全て切り払って以来、実がならなくなりました」と法蔵寺さんは言いました。
 「不思議ですねえ」
 「雌株が雄株になるわけないから、近くに雄株がなくなったんだろうとのもっぱらの噂です」
 「昔は学校にもたくさんありましたけどね」
 「火事の延焼を防ぐためだったらしいです」
 「今はどこも鉄筋ですものね」
 「時代が変わったと言うことでしょう」
 「でも、キョウスケさん、いつの時代でも教育と宗教の大切さは変わらないと思いますのよ」と妻の母が語り出すと、
 「ついに出た、お母ちゃんの十八番が!」と妻の姉が囃し、
 「お母ちゃん、今日はお正月よ!」と妹が諭しても、
 「教育や宗教を語るのに暮れも正月もありません」と母は意に介しません。「お父ちゃんに先立たれてから、わたしたちは死と背中合わせに生きているんだなってつくづくと感じていますの。それだけ年を取ったのだと子供たちは気軽に言いますけれど、そのせいだけじゃありません。子供の気持ちを大事に、大事に育てて来て、こんな大人にしてしまったことを反省してるんです。だから、孫の教育にはわたしの二の舞を踏ませたくないんですのよ」
 「お母ちゃん、わたしたちは不肖の子なの?」と妻の妹が甲高い声で尋ねると、
 「あんたたちにもいいところはたくさんありますよ」と母は微笑み、
 「キョウスケさんのお仕事はとても大切なものだと思いますのよ」と法蔵寺さんに向かって語るのです。
 「仕事と言うと、選択の結果、従事したような響きがありますけれど…」と法蔵寺さんは応えました。「ぼくにとって寺は持って生まれた運命のようなものですね。若い頃はいろいろ迷いましたけれど、迷うということは、結局、その意志があるということでしょう。カントがどこかで『君の個人的情熱が普遍的真理と合致するように情熱せよ』と語っていて、学生時代のぼくの心をとらえたのも、きっと仏教に対する秘められた思いからに違いありません。
 いろんな宗派があっても、仏教のめざすところは一つなんですね。ちょうど富士山に登るルートはいろいろあっても頂上は一つなのと同じことです。めざすのは悟りの世界であり、それは要するところ自分を捨てることでしょう。ところが現実世界は自我のぶつかり合いだから、この世で悟りを得るためにはまず出家しなければならないんですよね。
 しかし大多数の人々にそんな真似はできないから、空間的に出家する代わりに、時間的に死後の世界で悟りをめざそうというのが浄土真宗の考え方です。それが往生極楽です。そしてその確信を阿弥陀仏によって与えられるわけで、そう信じることこそ、真宗の信心のポイントです。それはもちろん悟りそのものではありませんが、無信心な生活を営む人々と比較できないくらい深い喜びをもたらしてくれる、と真宗は説くんですね」
 そう語る法蔵寺さんの言葉をみんな黙って聞いていたのですが、それはもちろん、家族の一員だからです。そもそも、5人の子供たちはみんなテレビの前にうつ伏せになってテレビに没頭し、受験を間近に控えた法蔵寺さんの長女1人だけがやや離れて、世界史の年表をブツブツと憶えていたのです。
 さよなら。さよなら、またね。カズコちゃん、今度、薄切りのクワイのフライを持って行く、とてもおいしかったから。忘れないでよ、などと別れの挨拶を交わして、冷たい星がきらめいている夜の道路に出る頃、みんな法蔵寺さんの話など忘れているのです。
 それでも法蔵寺さんの心に何の悔いもありませんでした。どんな場であれ、語りたいことを語りたいように語ることだ、と強く意識して来ていたからです。そして「浄土」がまさに、語りたいその核心になって来ていたのです。