犬猫霊園
 
 浄土・穢土と言っても、この世が浄土にもなれば穢土にもなる、そう語られる方が現代人にはマッチするに違いありません。そもそも、浄土とか穢土とか、まるで時代遅れの古着にしか思われないことでしょう。ところが不思議なことに、生活水準が向上し、いわゆる文明の利器が広範囲に渡って普及すると共に、冠婚葬祭もまた、煩雑化の一途を辿っているのです。恋愛結婚した若者は自ら取り仕切って、余分な親類縁者は招かず、会費を集めて行なう会食パーティ方式の披露宴が増えているとは言いますけれど、葬儀がなくなるとはまず考えられません。
 地方はまだ親類とか家とかを基盤とした門信徒制度が色濃く残っています。ところが、個々人が各地から集まって大をなしている都会、とりわけ東京の場合、それはとっくに崩壊しているといいます。それでも人は死にゆき、今後、高齢化社会に伴なってますます死にゆくわけで、葬儀関連市場は10兆円産業とも20兆円産業とも試算されているのです。
 たとえば人が亡くなると、昔は、あるいは地方は町内会の人々が世話をしたものですが、都会だと葬送会館がいっさいの面倒を見てくれます。むろん、参列に加わった人々に差し出されたお茶一杯にせよ、後できちんと請求書の明細に書き加えられますけれど、金銭で済むならば、現代人はむしろそちらを選ぶでしょう。あるいは他の選択の余地がないと言った方が適切かも知れません。
 「秋深し隣は何をする人ぞ」という芭蕉の句には隣人に対する親しみの情があります。しかし、現代人が同じ句を詠むと、その意図は全く違ったベクトルを指すことでしょう。それは東京に限らず、地方都市にも徐々に波及している反面、昔ながらの風習を残す地域は次々と過疎化しているのです。
 江戸期に確立した生活様式が、戦後の高度成長に伴なって崩壊しつづけ、今後、人と人との結び付きの根幹に何を置くべきか、試行錯誤が始まっているのだと言えるかも知れません。
 オウム真理教、ライフスペース、法の華三法行と、世間を騒がす新興宗教は枚挙にいとまがありませんけれど、それもまた、新しい価値観を求めての1つの負の現象だとも考えられましょう。時代が進歩すると宗教は消滅するという考え方が極めて偏狭かつ恣意的なものであったことは、現代の世界情勢を鳥瞰するだけで明らかです。
 そもそも、「生き死に」は理性的でもなければ科学的でもありません。たとえ脳の構造が全て解明されたとしても、「生きる」とはその脳の内側で喜怒哀楽することに他なりません。いくら脳を外側から科学し、たとえその行動や感情を予見できたとしても、それはその人に影響を与えることはあっても、決してその人自体を染め上げることは出来ないのです。
 いわゆる「伝統仏教」は葬式仏教・法事仏教に成り下がっていると言います。「お経が読めるだけでいい」とも「坊主丸儲け」とも言われますけれど、儀式を儀式として受け入れることは大切でしょう。その先は個々の僧侶の力量にかかっているとは言え、まず「儀式ありき」で何ら差し支えないはずです。そもそも、たった数百の家が1つの寺院を支えている日本は、ある意味で、きわめて宗教的な民族だとも言えるのではないでしょうか?.1つの小さな町にいろんな寺院、いろんな宗派が混在することが珍しくないわけですから、またある意味で、きわめて自由で平等な社会だとも言えましょう。
 それは何も人間に限ったことではありません。10年間連れ添った犬のタローに死なれた時、土井の奥さんは隣の水谷の奥さんから初めて、犬猫霊園の存在を知らされました。早速連絡すると、
 「お迎えに行きましょうか?.それとも直接来ていただけますか?」と霊園の係員が問います。
 「来てもらえるんですか?」と奥さんは喜びました。
 「はい。ただし、距離に応じて交通費を頂きます。1キロ1000円ですから、お宅の場合、8000円かかります」
 「じゃあ、連れて行きます」と奥さんは今度はあわてなければなりません。「タローのお骨も拾いたいから」
 「火葬に参列される場合、10000円かかります。共同墓地に埋葬されれば、5000円ですみますが、個別墓にされると、30000円からランクに応じて50000円、70000円、100000円と費用がかかります。また、それ以上を希望される場合は個別相談となります」
 いろいろな条件を提示されて頭が回らなくなった奥さんは、受話器を手で塞ぎ、
 「あなた、どうする?」とご主人を振り返りました。
 「他にないのだから、そこに頼むしかなかろう」とご主人が難しげな思案顔で答えると、
 「そんなこと、分かってるわ」と奥さんは苛立ちました。「どれにするか相談してるんじゃないのよ」
 「うーん」とご主人は腕組みをしたまま考え込み、
 「早く、早く!」と奥さんがせかします。「電話の向こうで待ってるのよ」
 「とりあえず車で行こう」とご主人は断を下しました。「タローの骨を拾わないと化けて出るかも知れない」
 そこでそう返事をして、水谷の奥さんに貰った案内図を頼りに、土井夫妻は車で北に向かって山の中に入り、急斜面をグルグルと登っていく狭い舗装道を辿りつづけました。振り返ると、山々がその裾を延ばしている平野は春の霞に煙っているのです。所々にポッと梅か何かの花のほの赤い群がりが窺え、
 「きれいねえ!」と奥さんが感嘆しても、
 「おいおい、注意をそらさせるなよ」とご主人は前を見つめハンドルを握ったままです。「運転をまちがえると、谷底に真っ逆様だからな。だいたい、助手席のおまえが重すぎて、ハンドルを取られるんだ」
 「タローと一緒なら、本望だわ」とムッとした奥さんの口調は思わず深刻になり、
 「おれはいやだね」とご主人は半ば冗談顔です。
 坂道を登り切って眺望のいい、風の強い高台に出、畑の中の小道を進んで、電柱の電線を引っ張り込んでいる、「○○犬猫霊園」という看板が掛かった鉄柵の中に入って行って、スレート屋根の建物の前の駐車場に駐車しました。霊園案内図を見ると、「○○産業」とあり、建設業を主体とした会社の経営だったのです。
 「ははあ、考えたな」とご主人は感心しました。「昔のように田んぼや畑の隅に埋めるわけには行かなくなったから、こんな商売が成り立つんだろうなあ」
 「あなたが川岸に埋めに行ってくれればよかったんですよ」
 「それでよかったのか?」
 ちょっとの沈黙の後すぐ、
 「やっぱり困る」と奥さん。「それじゃ可哀相だわ」
 「それ見ろ。ここしかないだろう」
 ご主人が受付の係員に申し込むと、奥から別の係員が車付きのステンレスの荷台を押してやって来て、タローの亡骸を運び上げると、合同葬は12時からですと告げました。
 火葬場の前は広いフロアで、廊下を隔てて待合室、供養室、位牌室、事務室が並び、供養室を覗くと、ロウソクや花々で飾られた仏像の周囲に犬や猫の位牌が並んでいました。ちょうど1組の老夫婦が1つの位牌の前に香華を手向け、合掌しています。その供養室に位牌を祭るには年5000円の維持費が必要で、3年滞納すると取り除かれるとのことです。建物の裏に広がる個別墓の場合も、維持費を3年滞納すると取り除かれ、整地されてまた新たな墓として売り出されるとのことです。
 「犬の墓に5年も10年も参るわけには行かないものなあ」と待合室でご主人が言うと、
 「あなた、今そんなことを言わなくてもいいでしょう!」と目頭を赤くした奥さんが怒りました。「今はタローの火葬の最中なのよ。そんな不謹慎なことを言って、タローが成仏し損なったらどうするつもり?」
 「春と夏には坊さんが来て供養してくれるって言うじゃないか。しかも5、6人で!」とご主人は茶化します。「おれたちが死んでもそれだけの坊さんを呼ぶことは出来ないぜ」
 「あなた、来ないつもり?」
 「ここに任せればいいさ」
 「わたしは来たい。少なくともこの秋は必ず来るから」
 「おいおい、参列費が10000円かかるんだぜ」
 「わたしのへそくりを使います!」
 「ふう!」とご主人は溜め息を吐いて、テーブルの上のポットのお茶を湯飲みに受けてから思わず周囲を見回すと、『ポットのお茶は無料です。ご自由にお飲みください』という札が壁に掛かっていました。
 タローを荷台に載せて運んで行った係員がまた現われて、
 「合同葬の皆様、まもなく火葬が終了します。位牌室に皆様のペットの位牌を掛けますので、ご確認ください」と告げました。「なお、秋の供養祭の参列費は今年から15000円となりますので、ご了承ください。当霊園へのお参りは自由ですが、ロウソク、線香、お供えのご持参はご遠慮ください。何分にもペットのことでございますので、当霊園で用意している品をご使用ねがいます。また、確認の封書が年1回届くと思いますが、電話番号、住所等を変更された場合、必ずご一報ねがいます。当霊園は皆様の願いと熱意の上に成り立っている犬猫専用霊園です。その点をご理解の上、今後ともご協力の程、よろしくお願い致します」