カボチャ騒動
 
 「だって変でしょ」と寛子は納得しません。「今までわたしも店を手伝ってたのよ。そりゃあ、お母さんがいないとやって行けなかっんだから、収入の大半がお母さんのもとに行っても不服はなかったわ。だけど、近所付合いや盆・暮の贈り物はみんなわたしたちの家でやって来たのよ。ところが、送るのはわたしたちで、受け取るのはみんなお母さんだったんですからね。いくらあなたに訴えても、あなたは『おれがサラリーマンをやっていられるのはお袋のおかげだから、少々は我慢しろ』の一点張りだったんだから」
 「だって事実だろ」とテレビを見ながら和志がうるさげに答えました。
 「だから今まで黙って耐えて来たじゃありませんか」
 「黙って?」と和志は振り返りました。「さんざん聞かされて来たけどなあ」
 「それくらい言わないと、身が持たなかったのよ」
 「だから、それでいいじゃないか」
 「だけど、もう違うでしょ!」と、和志の乗り気のない態度に寛子はカッとしました。「今はあなたが店を切り回してるのよ。それなのに、お母さんたら、店番と称して表に出ずっぱりじゃない。そして何か配達品が届いたら、必ず自分が持ち帰って部屋で確認して、明らかにわたしたちに来たもの以外、全部、自分が仕舞い込むんだから」
 「あれには驚いた」と和志も同意しました。「昔からあそこまでキチンと分けなくてもいいとは、おれも思っていたよ。家族みんなでやっている部分も多いのだから、みんなで分ければいいと思ったこともたびたびあったけれど、あれがお袋のやり方だと考えたのさ。お袋がやっている間はお袋の好きにやればいい。その代わり、おれたちの代になったらおれたちの自由にさせてもらう気だったけど、甘かったなあ。昔は自分が『やっている』から自分のもの、今は自分が『やって来た』から自分のもの、要するに『自分のもの』が目的で、常に自分に都合のいい理屈を付けてくる」
 「今はあなたが理解してくれるから、わたしは気分的に楽になった」と寛子が言いました。「前はいくら言っても、分かってくれなかったんだから」
 「まさかこれほど金と物に執着しているとは思わなかった」
 「それはわたしも同感だわ。ここまでの人だと分かったのは、あなたがサラリーマンを辞めてからね」
 「お袋としては、まさかおれが40半ばで脱サラを決意するとは予期していなかったんだろうけどな」
 「だけど、お母さんは文句を言う権利がないはずよ。今までずっとあなたの手伝いをしているだけだというスタンスを取り続けていたんだから」
 「それなんだ!」と和志は溜め息まじりに頷きました。「おれに時間があると、慣れないといけないと必ず店の用事を言い付けたし、大きな会合などはおれが代表者だからと行かせたくせに、金と物は自分が殆ど巻き上げていたからなあ。」
 「盆・暮には銀行の支店長がわざわざ挨拶に来るものね」
 「いくら小銭を貯めてるんだろう?」
 「1億は下らないんじゃないの。分からないけど」
 「もう70なんだから、悠々自適の生活をして、旅行などに行けばいい、80を過ぎると行きたくても行けなくなるといくら言っても、聞かないものなあ。墓の下まで札束を持って行くつもりなのかな?」
 「まさか!」
 「どうするつもりだろう?」
 「後でわたしたちが頂くのよ」と寛子はシッカリと計算しています。
 「おれの方が先に逝くかも知れない」
 「わたしだって分からないわよ」
 「やれやれ…」と和志はまた溜め息を吐きました。「世の中によくある話だけど、ウンザリだ」
 「1年に1週間でいいから、お母さんの顔を見ないで過ごしたいわ」と寛子はいささか表情を和らげて、愚痴りました。「こんな家、現代では珍しい。どこでもたいてい親の方が子供に気を使っているというのに、うちはその逆なんだから」
 「だけど、おれは言うべきことは言ってるだろ」
 「だから、前ほどストレスが溜まらなくなったのよ」
 「しかし、10年前、お袋がおまえを泥棒呼ばわりした時には、おれはどうしたものかと本当に弱ったよ。そんな重要な内容をお袋やおまえの言葉だけで判断するわけには行かなかったしなあ」
 実際のところ、『寛子さんは2階の物を盗んでいる』と不意に母から告げられた時、和志はその意味が咄嗟には理解できませんでした。
 『どういうこと?』と問い直すと、
 父が危篤状態で入院していた間に2階の物置に置いていた贈答品の数々が無くなっていたと母は語るのです。
 『寛子さんを疑いたくはなかったのよ。だけど、いくら考えても、他に出入りできる人間はいないし、高価だから大事に仕舞っていた、まだレッテルも付けたままだった新品の下着を、自分の丈に合わせて裾を端折って寛子さんが着ていたものだから、あら、この人、そんな人だったのかと、その時初めて気づいたのよ。そう言えば、無くなったお盆が使われているわ、茶碗が使われているわで、もう疑いの余地がなくなった』
 『盗んだ物を相手の目の前で使うバカはいないぜ』
 『わたしも最初はそう考えたけど、そうとしか考えられないほど寛子さんは大胆な人ね』
 そう母に断定され、苛立った和志は、
 『お祖母さんの友達が日参しているだろ。そっちかも知れないし、単なる泥棒かも知れない』と不快げに言うのでした。『そんなあやふやな証拠で人を泥棒呼ばわりするものじゃない』
 そして和志夫婦がまだ借家住まいの時から使っていた布団や湯飲みまで盗まれた物だと母が仕舞い込み、寛子に訴えられて、和志が交渉してやっと取り戻しても、
 『赤の他人が2階の物置までウロウロと捜し回れるはずがない』と母は強固に言い張って譲りません。
 『お祖母さんが例の友達を使って盗ませたのかも知れない。あの頃しきりに来てたじゃないか』と再び和志が主張しても、
 『そこまで大胆ではなかろう』と母はなぜか庇い、『わたしは寂しい。せっかく苦労して貯めて来た、それもいい物ばかりごっそり持ち出されたのが寂しいのよ』と泣き出す始末です。
 しかしその寂しさのツケを妻に回されたのではたまりません。寛子に尋ねると、確かに2階の物置を物色したことはある、しかしそれは実家の母が送って来てくれたお盆がないか探していただけだと言うのです。
 『だってここはお客用のお盆はもちろん、普段のお盆もなかったのよ。お父さんが倒れてわたしたちが帰って来た時、お母さんがみんな仕舞い込んでしまったわ。それをうちの母に訴えたら、母が気を使っていいのを1つお中元に送って来てくれたのよ。それまでお母さんが仕舞い込んだから、わたしは、それを探していたの』
 それはしかし母に言わせると、「吉田家」宛てに来たのだから、自分宛てだと思ったと言うのです。
 『わたしは寛子さんの実家からあんないい物を頂いて嬉しかった。だけど、そんなに言うのなら要らない』と母は泣くのですけれど、そのお盆もまた盗まれたと言うのです。
 『母が気を使って家宛てに送ったのが悪かったのよ』と寛子は皮肉たっぷりに語ります。『ここのお母さんは家や店宛ての物は自分宛てだと解釈して仕舞い込むし、あなた宛ての物も自分が店をやっているのだから自分に来たのだと、今までずっと言い張っていたもの』
 要するところ、嫁・姑の確執だったのです。母は昔、和志に、
 『うちのお祖母さんは本当に欲が深い』と笑いながら語ったものです。『藤本さんから聞いた話だけど、終戦まもない頃のこと、うちの裏庭にまだあった井戸のほとりで1つのカボチャを藤本のお婆ちゃんと争ったのよ。2人とも1つのカボチャをしっかりと掴んだまま放さなかったと言うから、いかにもうちのお祖母さんらしい、欲に凝り固まった逸話だわね』
 『物不足の時代だったんだろ。衣食が足りなければ、人は礼節を忘れるものさ』と和志がいささか理解を示すと、
 『それにしても強欲だから、今でも噂されるのよ』と母は断言しました。
 かつて祖母と母との間に繰り広げられて来た確執が、今は母と寛子の間で続いているだけじゃないか、と和志は独り心の中でつぶやきました。リストラされる前に新天地を求めて家業に転身した身の上にこんな古典的な葛藤劇が降りかかろうとは、和志にとってまさに青天の霹靂だったのです。
 結局、女は猫で、男は犬なのかも知れない。見た目に男の方が大きく強く見えても、女の変わり身の速さと貪婪な欲望にはかなわない。1対1だと女の勝ちで、だから夫婦は時の流れと共に女の力が勝って行って、女の方が長生きできるんだ。70代で男は逝き、80代で女が逝くのが一般的だと言うから、10年の差がある。そもそも、事故死や病死も男が多いし、子育ても男の子の方が大変だ。
 男性社会で初めて五分五分が保たれるのであって、今や世の中は女性優位が確立しつつあるのだろうと、母と妻の決して自らを顧みることのない、エネルギッシュな闘いに悩む和志は冗談半ばに考えるのでした。
 そんな夢想を破るような鋭い寛子の声が、和志の背中に突き刺しました。
 「あと2年すれば、理恵も大学だから、長くてそこまでですからね。何度も言ってますけど、もうそれ以上、お母さんの勝手にはさせないから。人を泥棒呼ばわりしておいて、自分の方が今よっぽど泥棒をしてるじゃないの。わたし、そのことは絶対に忘れないし、許せない」