谷に住む人々3
 
 太一さんの祖父は薬の行商人でした。薬籠を背負って家々を歩いて回っていた祖父の姿が、70歳を越えて、太一さんの心にますます鮮やかに蘇るのです。
 「あの姿がわしにとって人生最大の教訓じゃったのう」と太一さんは家政婦に雇っていた同じ谷のフミさんにしばしば語ったものです。「人生、金が要る。金がないとプライドまで捨てにゃならんと、ガキの頃から教えられたもんなあ」
 「先生は成功されましたが」とフミさんは、こんな時繰り返して来た言葉をまた使うのです。「もう何も思い残すことはないでしょう」
 「沢山あるが。わしゃロマンチストじゃからのう」と太一さんは笑います。「まだあの墓の中に入りとうないで」
 太一さんは、谷の入口にあるY池の南の山肌を削って次々と高く広がっていく共同墓地の最上段を新たに掘り起こし、町のどこからでも見える広大な墓地を造り、すでに江戸時代の殿様のような巨大な墓を据えていたのです。
 『大きな墓を作ると子孫が迷惑するが』と谷の人々は陰口を吐いたものです。『大バカ(大墓)いうてから、頭のええ人は作りゃせん』
 「ふん」と太一さんは意に介しません。「死んでしまや、みんな闇の中じゃが。生きているうちに作るから墓も意味があるんで。大きいことはいいことじゃがな。そんなコマーシャルがあったのうや」
 「はい」と答えながらも、フミさんはどこか違和感を覚えましたが、もちろん雇い主の意見ですから、「ホントにそうでございますねえ」と愛想笑いをするのです。
 太一さん宅はY池の傍にあり、その背後に中世の城があった山が(今はその遺構と言っても山頂の平坦部の一部に残る石垣跡くらいでしたけれど)町の中に迫り出しているのです。その宅の裏から山頂まで、太一さんは私有地の雑木を伐り払って芝を植え、中腹に東屋を作り、山頂付近に観音像を建てているのです。ちょうど父から受け継いだ繊維会社が不振に陥り、同業者が次々と閉鎖していく中で、中央の大手企業と提携したコンピュータ関連の仕事が成功した時期でしたから、
 『わしらはあんな成金趣味はできん』と繊維から転身し損なった町の中小企業主たちから嫉妬半分、揶揄されたものです。『太一さんは成功者なんじゃから、黙っててもそれなりの尊敬を受けたろうに、あんな派手なもんを作るから、かえってバカにされるわなあ』
 「でも、あれはお母様の菩提を弔うためでしょう?」とフミさん。
 「それもある」と太一さん。「お袋の一生は働きづめの一生じゃったから、観音の生まれ変わりと子供が思うてもおかしゅうないが」
 「町のみなさんには先生のお優しい心が分からんのですよ」
 「フミさん、あんた、神社に行ったことがあるか?」
 「はい」
 「あすこに成政兄弟の大きな顕彰碑が建っとろう」
 「はい」
 「あの人ら、神さんか?」
 「まさか」とフミさんは笑います。「地域に貢献なさった大先生たちですがな」
 「そんなこと、分かっとる!」と太一さんはたちまち機嫌を損ねました。「じゃが、神さんの境内にあんなものを作ってもらうほどの貢献はしとらん。『大先生』などと呼ぶんはもっての他じゃ」
 「はい」とフミさんは恐縮しました。
 「ホントに政治家は得な商売よのう。口先ひとつで一財産こしらえて、お負けに名誉もタダで手に入る」
 成政兄弟は一時代前の政治家で、兄が農林大臣に就任して故郷に錦を飾った時、駅から小学校まで小学生と町の人々を動員して日の丸の小旗が振られた様子を、太一さんはつねづね半ば苦々しげに、半ば羨ましく思い起こしていたのです。そして、その顕彰碑が山城跡の北の麓の神社にできると、それと争うように、同じ山の南の山頂付近に太一さんは観音像を建立したのだから、母親の供養のためばかりではなかったのです。
 「今は神道の時代じゃないわ」と太一さんの理屈はいささか八つ当たり気味でした。「それに神さんは個人じゃ作れんから、わしゃ好かん。政治も所詮、国境を越えられん。ボーダーレスの時代にゃ金という目に見える力の方が大きいんじゃ。世界共通の価値観じゃしな。戦後の日本がここまで繁栄できたんも、政治のおかげじゃないで。経済のおかげで」
 「はあ…」とフミさんの頭ではもう太一さんに付いて行けません。世間で成功した人の気迫はわたしらとは違うと、ただ感心するばかりです。
 しかしそんな太一さんの意気軒昂は、成政兄弟や政治の世界に対するコンプレックスの裏返しでもあったのです。と言うのも、コンピュータ会社が軌道に乗ると、表向きは会長職に退き、自ら町長に立候補したからです。
 駅裏に大手スーパーマーケットを誘致し、区画整理を進めて所得および人口の倍増を公約に掲げましたが、そもそも駅裏に前もって入手した土地にスーパーマーケットを呼んで莫大な地代を得る算段なのだとすぐ知れ渡りました。そのため、一部の「良心派」から猛烈な反発を買い、
 『公私混同も甚だしい。出口候補は町政を自分の経済活動の道具に使おうとしている』などと訴えたビラが連日連夜、家々の玄関先に配られ、町長選への関心を高めた町民も多かったのですが、それだけで共産党候補に投票する人は殆どいませんでした。それに、太一さんは自分の会社の組織票だけでも悠々と当選できたのです。
 そしてスーパーマーケットはやって来ましたけれど、区画整理がままならず、結局、町の外を巡る広いバスパスとアクセスに失敗して、当初の売り上げ見込みに達しなかったマーケット経営者は10年間の賃貸契約が切れると共に撤退し、駅周りは昔の面影を残したまま次第にさびれて行きました。一方、郊外にはまた4車線道路が敷かれて、広々とした駐車場のある各種店舗が進出し、区画整理も進んで年々住宅で埋まって行って、夜、太一さん宅の裏からジグザグ道を登って東屋に着いて闇の底に広がる平野を眺望すると、彼の会社の周囲は暗く、町外れの交差点から東西および南北に延びている広い道路に沿って、きらびやかなネオンサインが明滅しているのです。
 「町の人間は結局、わしのおかげで繁栄するよりは滅びの道を選んだわなあ」と、フミさんと共に東屋の腰掛けに腰を下ろして夏の夜風に吹かれながら、太一さんは不快げにつぶやきました。「閉鎖的な町じゃからのう。古いプライドだけで生きとる」
 「でも先生、住むには今の方が静でいいですが」とフミさん。「わたしは夜は暗いもんだと思うとりますから、この方が落ち着きます」
 「じゃが、余りに寂しかろうが」
 「ネオンは遠い方がきれいに見えていいですが。あれは遠くにあって、たまに行くところじゃと思うとります」
 「あんたにゃ男のロマンが分かっとらんのう」と太一さんは苦笑しました。「わしゃまだロマンを捨てんで。捨てたらおしまいじゃけえのう」
 「じゃけど、先生」とフミさんは遠い夜空を仰ぎました。「ロマンに追い立てられるんもしんどいでしょうが。もうゆっくりなさったらよかろうに」
 「いいや!」と太一さんはまるで駄々っ子のように首を振りました。「わしゃわしの人生を貫き通す。同じ倒れるにしても前のめりに倒れたいと言うた坂本龍馬の心意気に、わしゃ惚れとるけえのう」
 「先生は若うていいですなあ」とフミさんはもう笑う他ありません。
 「わしゃ年など取らん!」と70歳を越えた太一さんは喉に痰を詰まらせながらも、夜の底に広がる暗い町に向かって大声を発しました。「まあ、見てみ。最後にまたみんなをアッと言わせてやるがな」