谷に住む人々2
冬になると、西に開いた谷に向かって、遠く西を流れる大きな川を下って平野を渡った強風が吹き付けるのです。その川が中国山脈を抜ける地点に広がったC市に因んで、谷の人々は「Cの包丁風」と呼んでいましたが、確かに町から谷に入った途端に、たとえ町は穏やかな小春日和であっても、冷たい強い風が肌を刺して吹くのです。風は真っ直ぐ谷を登り、南の山斜面が迫り出して墓地になった一角にぶつかり、冬の墓参りは冷たいやら、花立てに厚い氷が張るやら、いったん雪が降るとなかなか溶けないやらで、大変です。その代わりその奥は風が遮られ山もなだらかでしたから冬でも暖かく、数十本の梅の林が共同管理されていました。「Y谷の梅林」と言って、町が作った観光案内にも紹介されていましたけれど、幅が狭く奥行きの深い林だけに通りすがりの人の目には付きにくいのでした。
3月に入る頃一斉に梅の花が白く清らかにほころび、2000円の会費を払えば谷の誰でも「梅の会」会員になることができて、年に1度、梅の花の下で2、30人が集って、酒宴を楽しんでいたのです。
今年もまた日暮れ頃、2人、3人と梅の下に集って来て、
「よう、久しぶり」と巧さんが長老格の馨さんと敏晴さんに手を振りました。
「おお、巧さん、あんた、ええんか?」と敏晴さんが尋ねると、
「胃はもうない」と巧さん。「全部切ったわ」
「酒が飲めなくなってしもうたなあ」と敏晴さん。
「なあに、1合までなら構わんと医者が請け合うてくれた」
「ほんまな。わしの知らんうちに、どんどん医学が発達しとるなあ」
「知らん方がええで」と巧さんは茣蓙の上にヒョロリとした腰を下ろし、馨さんが差し出してくれた猪口に酒を受け、「ここ5、6年、わしゃ病院通いの毎日じゃったわ」と酒をあおりました。「飲んでも酔うのに時間がかかるしなあ」
「そりゃまた、どうしたんかのう」と馨さん。「病気して、さらに強うなったんな」
「違う、違う」と巧さん。「胃の代わりに腸で吸収しとるんじゃ。じゃから、みんなの酔いが醒める頃こっちは酔い出すから、ピンと来んわなあ」
「ほう!」と馨さんは感心し、「人間の体は便利にできとるのう」とうまそうに酒をあおります。
「いつお目にかかっても、馨さんはお元気ですなあ」
「へへへ」と顔の皺をクシャクシャにして笑っても、皺の深い馨さんの表情はさして変化しません。「酒が飲めるんだけは、ありがたいことじゃ」
「お幾つになったんですりゃあ?」
「もうぼちぼち85かのう」
「わしより10も年上ですか」
「わしももうすぐ80で」と敏晴さん。
「わしゃ80まではムリじゃな」と巧さん。
「何の、まだ若いが。土の下で冷たい石を抱くんはまだ早いで」と敏晴さん。
「いや、もういつお迎えが来てもおかしゅうない」と巧さんは細面の顔を上げ、梅の花に彩られた山の上に昇っている明るい月を仰ぎました。「今夜が辞世の月になるかもしれん」
「縁起でもないこと、言いなさんなや」と敏晴さん。
「わしも最近、勉強してなあ」とちょっと猪口に口を付けて、巧さんが語りました。「縁起ちゅうんは、全てが縁があって起きるという意味らしい。じゃから、今ここでわしとあんたが酒を酌み交わすのも何かの縁で、それには原因があり、結果も伴なうと言うことじゃが。それを一言で言や因果じゃわな」
「難しいことは分からんが、われわれは同じ谷の人間いうことじゃろ」
「それも何かの因縁じゃろなあ」
「そういうことは、巧さん、いくら考えても切りがないで」
「じゃから、考えるというより感じることじゃわな」と巧さんは梅の花の下で笑顔を交わしている人々を懐かしげに眺めるのでした。「そういう風に人生を受け止めると、何かホッとするんじゃわ」
「さすが元校長じゃわなあ」と、顔の赤くなった敏晴さんはもう巧さんの言葉を根気よく追う気力を失くしていました。「いくら年を取っても、理屈だけはシッカリしとる」
巧さんは苦笑して、後は時に酒を受け、しきりに人に酒を勧めて、まだ寒さの残る早春の夜風の中で久々の梅の会を楽しんだのでした。
それからまた元気に民生委員やら地区改良委員やら、谷の有力者が町議選に出た時の選挙対策本部長やら、頼まれると「分かった!」の1つ返事で引き受けていた巧さんでしたけれど、夏に入って食事が喉を通らなくなり、再検査・再入院という事態になりました。
「もうダメじゃろうな」と巧さんが独り言のようにつぶやくのを耳にしながら、ベッドの傍の椅子に腰かけた奥さんは黙っているだけです。
「そんな気弱になっちゃ、治るものも治りませんよ」とここ数年繰り返されて来た慰めの言葉もかえって空しく響くことを、奥さんも巧さんも知っていたのです。
たまたま隣には70前後の寺の住職が入院していて、C型肝炎が完治せず、結局、肝臓を半分切り捨てたとのことでした。
「肝臓はまた復元してくるから、まだええですなあ」と巧さん。「わしの場合、場所が悪くて手術できんのですわ」
「わしじゃ言うて、またいつ再発するか分からんのですぜ」と、恰幅のいい、太い眉毛が顔の外まで出た住職が、音量のあるだみ声で言うのです。
「和尚は真宗ですか?」
「M町の満願寺ですらあ」
「これも何かの縁でしょうなあ。生まれたからにはいつか死ぬわけじゃから、わしがあちこち体を切り捨てながら徐々に命を削らにゃならんのも、何かの因果でしょうなあ」
「へっ、知ったことか!」と住職の大きなだみ声に一喝されて、細面で痩せたタイプの巧さんは思わずベッドの上でビクンとしました。
「いくら進歩した言うても、人間の医学はまだこの程度と言うことじゃが。見てみんさい、この病院にはまだ元気に働いとってもいい人間がウジャウジャおるが。病気や事故がなけりゃ、人間の体は80から90までは大丈夫じゃ言いますで。100までは知らんがなあ」
アッと目から鱗が落ちたような純真な顔をして巧さんは、
「そりゃそうですなあ!」と、ベッドが小さく見えるほど大きな住職を仰ぎました。
「そうは言うても、病気になったものは仕様がないわなあ」と住職はカラカラと笑います。「後はナムアミダブツしか残っとらん。あんたも真宗門徒でしょう。ようお念仏しんさいや」
「失礼ですが、ご住職」と巧さんの口吻にいささか敬愛の情がこもっていました。「極楽ちゅうもんはあるんでしょうか?」
「あんた、家の座敷にある金ピカの仏壇を思うとってんか?」
「いや、よう分らんのですらあ」
「わしにも分からんわ」とグッと身を乗り出した住職の大柄な体を前にして、ベッドの上に横たわっていた巧さんは思わず顔が引けました。
「じゃけど、お釈迦さんやアミダさんがそう言うとってんじゃし、親鸞聖人がそう言うてんじゃから、まちがいなかろう」
「はあ…」
「あんた、自分の頭で納得せんことにゃ信心できんのか?」
「そうでもありゃんせんが…」と巧さんは歯切れが悪くなるばかりです。「ただ、仏教教義の根本は因果説じゃと思うとりますから、それと極楽とどう関係するんか、わしにゃまだ分からんのですらあ」
「あんた、信心は理屈じゃありませんぜ」
「はあ…」
「わしら、出家などできん。そりゃ寺におるから葬式や法事にゃ行くけど、自分の中から煩悩をキッパリと捨て切ることはできん。じゃけど悟りたいわなあ。この世に生まれてよかったと、心から思いたいわなあ」
「そりゃもう…」
「するとあの世、つまり極楽でも浄土でもええが、そこに行ってアミダさんの導きで悟らせてもらう他なかろう。もっといい方法があるんなら、わしが教えてもらいたいわ」
「極楽いうんは、悟るための場所ですか?」
「そりゃそうじゃがな!」と住職は大声でまた一喝しました。「悟りを目指さん仏教なんぞ、あろうはずがないが」
「そりゃそうですなあ…」
まもなく住職は退院していき、点滴を続けていた巧さんは、次々と訪れる見舞客に愛想良く応対していましたけれど、この冬いっぱいは持つだろうと語っていた医師の予想に反して、晩秋のある夜遅く様態が一変し、翌朝早く亡くなってしまいました。そしてその翌日、寺で行われた葬儀には千人近い人々が参列し、葬儀屋の職員たちが1日がかりで飾り立てた祭壇の中央に巧さんの面影を実によく捉えた大きな遺影が掲げられたのでした。その後お礼に来られた奥さんと息子さんに、
「あんな盛大な葬儀は初めてでした」とわたくしが言うと、
「本人もさぞ満足したことでしょう」と奥さん。「最期は本当に穏やかな表情でしたから、それが何よりだったと思っています。同じ病室でたまたま真宗のお坊さんに出会えたのも何かの因縁だと、そのことを本人は殊のほか喜んでおりました」
満願寺の老院を思い浮かべながら、わたくしは深く頷きました。
「それもご主人の志があったればこそ、意味ある出会いになったんでしょうねえ。むしろ、いろんなチャンスを逃す人の方がはるかに多い今の世の中で、奇特なことですよ」