小さな犠牲者
 
 寺まで帰って速度を落とすと、ちょうど通用門の前の路面で血まみれの猫が手足をまだヒクヒク動かしていました。その馴染みある手足の動きに、「タマだ!」とわたくしは気づき、境内の駐車場に車を乗り捨てて近寄って、やはりタマだと確認してから、あわてて庫裏に入って、玄関で悠長に靴を磨いていた妻に、
 「大変だ。タマが轢かれた」と訴えたのです。
 「ええ!.どこで?」
 「寺の入口だ」
 奥から出て来た2人の娘が、
 「ホント?」と言い、「タマ、タマ!」と口々に呼びながら、妻について出て行きました。
 2階で法衣を平服に着替えてまた降りて、玄関先に血まみれのタマが運ばれ来ているのを目にして表に出ると、妻はバケツの水を撒いて路面に赤黒く広がっている血跡をタワシと箒で洗い落としています。
 「これ、なかなか落ちないよね」と車が通過する度によけながら、妻が言います。
 「やれやれ、また死んだか」と嘆息しながらスコップを納屋から出し玄関先のタマを手にすると、まだ温かく、馴染み深い毛ざわりがします。わたくしに付き従って畑に出る間、「さっき出ていったばかりのに……」と次女と三女はべそをかいていました。
 つい半年前、交通事故で亡くしたミケの隣に、また穴を掘り、今度はタマを葬らなければなりません。わたくしはここ3年間で他にイタチ2匹とハト1羽を葬っていて、澄みきった秋の日差しに包まれて体が温まり背中に汗を催しながら、いずれは畑一面、動物の墓標で埋まる幻影がチラチラ揺らめいてやみませんでした。
 実際のところ、交通事故で亡くなる人と動物とどちらが多いか、俄かに断言できないことでしょう。少なくとも地方に住むわたくしは圧倒的に動物の礫死体を目撃する機会が多く、ネコもイヌもヘビも、タヌキも、時にイノシシも、突進する車に跳ね飛ばされ、朝見て夕方また同じ道を通ると、たいていペチャンコの鞣し革と化しているのです。夏の陽にユラユラ立ち上がる陽炎は、単なる陽炎ではありません。あれは成仏し損なった小さな犠牲者たちの霊が嘆いているのだと誰か語っていましたけれど、あながち妄想だとばかり言い切れないのです。
 「お宅の猫、気の毒じゃったなあ」と、しばしば妻が畑の手伝いをしてもらっている隣家のSさんがやって来て、言いました。
 「これで2匹目です」とわたくしはスコップをふるいながら言うのです。
 「おお、そうじゃわなあ」
 「もう飼えませんよ」
 「わしも11年間、飼ってた犬がおってなあ。これは天寿を全うしたが、先立たれると情が移ってしもうて、もう他のは飼う気がせなんだ」
 「なるほど」と言いながら掘り起こした穴の大きさを目測し、タマを納めると、手足も頭もまだ柔らかく、難なく穴底に納まりました。
 土をかぶせてスコップで叩いて固め、掌ほどの石を乗せると、2人の娘はシクシク泣きながら両掌を合わせます。わたくしも掌を合わせ、
 「女房はまだ表におりました?」とSさんに尋ねると、
 「わしが来る時は、一生懸命、道を磨いとっちゃった」
 「そうですか」とわたくしは腰を伸ばしました。
 サツマイモやダイコン、コマツナ、モロヘイヤなど、見ると、実に雑然かつ貧相に妻が育てている野菜が並び、小石の列で隔てられた母の畑は、ダイコン、ネギ、サツマイモが畝に沿って豊かに濃い葉を茂らせています。
 「どうしてこうも違うのですかねえ」とわたくしが言うと、
 「お母さんは上手じゃなあ」とSさん。
 「お袋はうまく育てているのだから、土のせいには出来ないな」とわたくしは笑います。「これで女房の理屈が1つ、成り立たなくなったわけだ」
 「じゃが、奥さんは一生懸命、やっとられるからなあ」とSさん。
 「それもまた、女房のよく使う自己弁護の1つなんです」とわたくしはまた笑います。
 実際、わたくしがサラリーマンだった20年間、あと5分、早く弁当を作ってくれと何度わたくしが注文しても、妻はその5分を縮められませんでした。毎朝、イライラしながらわたくしが「まだか?」と急き立て、キッチンで弁当のおかずを詰めながら「靴を履いてて」と背を向けたまま妻が答える茶番劇が、繰り返されて来たのです。それが現在、妻と子供たちの間で繰り返され、しかしそれも、ここ数年でなくなることでしょう。子供たちは大人になり、わたくしたちは老い、母はさらに老いゆくことでしょう。
 結局、何も変わらないのが人生だろうかと、Sさんの去った後の畑を眺めながら、わたくしは感慨に耽りました。妻は後追い仕事に追い立てられ、わたくしが苛立ち、母は親の体裁を繕いながら常に自分の利益を細かく計算する日常が、多分10年たっても、3人が生きている限り繰り広げられることでしょう……。
 ふと見ると、カシの垣根の上で1尾の小鳥がせわしく鮮やかな褐色の尾を振り、翻って木立の中に飛び込みました。あれは2度、鴨居の隙間から朝の廊下に迷い込んでガラス窓の外に出られなくなり、廊下の畳に紫色の糞を落としながら飛び去ろうと何度も羽をバタバタさせていたシジュウガラに違いありません。少年時代、山の中で掌にしたメジロ以来、実に30年ぶりに野の鳥のふくらみを掌に包み込んだわたくしは、「これが生命だ!」と実感し、空に帰してやる快感を味わったものです。
 本堂の裏に広がる大空に樹齢400年と言われるイチョウが、20年前に枝を払ったけれどもまた伸びて、サワサワと緑深く秋風に揺れています。そしてまもなく色づき、舞い散る落ち葉で黄色く墓地を埋め尽くすことでしょう。それもまた生命であり、あれほど大量の落ち葉をいつの間にかビニール袋にまとめて捨ててくださる門徒の世話もまた、生命の1つの表われに違いありません。それは墓地に眠る先祖を思う気持ちの表われであってみれば、形は違うにせよ、今は亡き人々もまた大きな生命の中で安らぎ、憩い、時にこの世に働きかけているとも言えましょう。
 自分の命の殻に閉じこもって安んじていられるのは、せいぜい10代半ばから30代までのことなのです。自分を超えた大きな命の吐息に聞き耳を立てる心の静寂こそ、今のわたくしには何よりも大切なことに思われてなりません。
 とは言え、道路の血痕を洗い終えて畑に回って来た妻に、
 「もう、埋めたの?」と問われると、
 「いけなかったのか?」とわたくしの口調はいささか険を含んでしまいます。
 「待ってくれればよかったのに。出来ればタマの最後を見たかったな」
 「いつ終わるか分からないあなたを待ってたら、それこそおれの予定は狂いっぱなしだ」
 「ちょっと残念ね」と妻はわたくしの反応にお構いなしに愚痴をこぼし、
 「仕方ないさ」とわたくしもまた、妻の反応にお構いなしにスコップを納屋に返しに行くのでした。