賽銭泥棒
 
 「お気の毒で見ていられなんだ」と三田村のご主人は言いました。「どうしようか?」
 「うちで買い取ろう」とすぐ奥さんは乗り気になりました。「土足で踏みつけられた親鸞聖人のお軸があると知りながら、そのまま見過ごすのは、わたしゃ寝覚めが悪い」
 ご主人は奥さんの返答を予期していたに違いありません、秋の日暮れは早く、もう外は暗くて、店が閉まっているかも知れないと奥さんが止めるのも聞かず、明日になると誰か購入するかも知れないと、ご主人は居間のタンスの引出しから現金を出して、車に乗って商店街に取って返したのです。そして、土足の跡が確かに何カ所か残っている親鸞聖人と蓮如上人の、大きな2幅の掛け軸を大事そうに脇に抱えて帰って来たのです。
 「これは在家の物ではなかろう」と奥さんが言うと、
 「在家で使うには、大きすぎるわなあ」とご主人も同意見です。
 そこで表具屋に修復してもらって(こちらの方が骨董屋で買い求めた時よりはるかに出費がかさみましたけれど)、奥さんが法話会のある度に通っていた善福寺に相談に行ったところ、住職は留守で、応対に出て来た、日ごろ懇意にしている坊守が、
 「これはわたしの実家の寺のお軸です!」と、座敷の畳の上に広げた掛け軸を見て、驚きの声を発しました。「ほら、軸の裏に山田村法雲寺とあるでしょう。うちのことです」
 「まあ、ほんとじゃ!」と、今度は三田村の奥さんが驚く番です。山田村の法雲寺は、山中にある、今では跡継ぎがなくて、隣村の寺院が管理している荒れ寺でしたけれど、古寺巡礼が趣味の三田村の奥さんが何回も訪れている寺だったのです。「そう言えば、この春お参りした時、お堂の中を覗くとずいぶん簡素になった感じがしたけど、あの時分はもうこのお軸はなかったんじゃろうか?」
 善福寺の坊守は大きく頷き、この夏、祖父の命日に訪れた時、本堂も庫裏も荒らされた後で、本堂の床下の隠し納戸まで踏み込まれていたというのです。
 「1人でお参りした時は1000円、2人以上の時は2000円と、必ず賽銭箱に納めることにしとったけれど、それも盗られたんでしょうねえ」と三田村の奥さんが残念そうに言うと、
 「賽銭箱にお賽銭があった試しがありません」と坊守は言うのです。
 ただ、さすがにご本尊だけは気が咎めたのか、あるいは売り物にならないと判断されたためか残っていて、今、親鸞聖人と蓮如上人の絵像が戻ったのだから、とりあえず寺の結構は維持できると喜ぶ坊守の姿に三田村の奥さんも喜び、帰ってご主人に事の次第を報告すると、その奇縁を驚くと共に、ご主人もまた、「それも仏さまのご加護だろう」と喜んだのでした。
 ところがそれから数日経って、善福寺の坊守から電話があり、盗難の届けを出していた警察に掛け軸が戻ったと連絡したところ、誰が持って来たのかと執拗に問いつめられ、返答に窮したというのです。警察はその人物が窃盗犯かも知れないと疑って、いくら坊守が、信心深い、日ごろ懇意な人だと擁護しても、
 「掛け軸は売り物にならないから、良心が咎めて返しに来ることは、この手の盗難ではよくあることなんです。犯人だと決め付けているわけじゃありません。どういう経緯で手に入れたのか、そこのところを詳しく伺いたいだけです」と警察は主張して譲りません。
 そう聞くと、三田村の奥さんはドキッとしました。知り合いの骨董屋から入手したと言えばいいのでしょうが、まだ若い骨董屋は、決まり悪そうに掛け軸を差し出した人物の身元の確認を怠っていたのです。こういう物を売りに出すのはよほどの事情があってのことでしょう、規則違反だとは承知していたんですが、お気の毒で、名前もろくに聞いていないんですよ、と骨董屋は三田村のご主人に語っていたのです。
 「まずいわねえ」と奥さんが言うと、
 「まずいなあ」とご主人も同意します。「下手をすると古物商の免許を取り上げられるかも知れない」
 「あそこにはまだ幼いお子さんが3人いるはずよ」
 「そうか。それもまずいわなあ」
 「まずいわねえ」
 それから、警察から事情聴取の呼び出しを受けたらどのように釈明したものか、奥さんにとって眠れない夜が続きました。骨董屋のせいにすれば、彼の生活を窮地に陥れることになる一方、黙っていれば今度は自分が疑われ、枯れ野に放った火のように(実際のところ、三田村の奥さん自身、今まで何度も火付け役に回っていたのです)近隣一帯に噂が広がるかと思うと、それもまた辛いことだったのです。……
 そこまで語り終えると、
 「あなたには喋りたくて喉の奥がウズウズしてたんですよ」と三田村の奥さんは実際に喉元を指さしながら、3人坐っている中年の婦人の、すぐ横の人に言いました。「だけど、わが身が可愛いんじゃなあ。自分が疑われるのが恐くて、先日、あなたに長電話した折りにも、このことは語れなんだわ」
 「そのお気持ちは分かりますよ」とわたくしは頷きました。「誰だって警察沙汰には不慣れだから、警戒しますよね」
 「それそれ!」と奥さんは角張った顔を今度はわたくしに向けて、人の良さそうな細い目で大きく頷くのです。「警察が関わるだけで、半ばやましいことをした気分になりますものねえ!.他人事でもそうだから、自分の事となると、なおさら強くそのことが胸に来ました。夜が来れば来たで今日は無事に暮れたとホッとし、朝が来れば来たで、今日こそ警察が来ないだろうかと不安に思う毎日だったんです」
 「結局、まだ犯人は捕まらないんですか?」
 「それがまあ、つい最近、捕まったって、善福寺の坊守さんから聞きました。しかも、夫婦の泥棒さんだったんです!(と、奥さんは泥棒にも「さん」付けです).今は2人とも暗いところにいるからわたしも安心ですが、そうでなかったら、今でも口にはチェックですよ」と三田村の奥さんは実際に右手の指で口に一文字を描いて見せました。
 「それはよかったですわねえ!」と3人の婦人たちも口々に喜びます。それは、決めかねていた態度が決められて、ホッとした感じでした。
 「それもこれも、みんな仏さまのご加護のおかげです」と、三田村の奥さんは改めて、久々にわたくしの寺を訪れて初めて目にする、先年寄進された鎌倉期の阿弥陀立像に合掌礼拝し、3人の婦人もそれに習って合掌礼拝するのでした。