裸のつき合い
女優の吉永小百合さんはテニスや乗馬などスポーツ好きだと知った時、意外の感を受けると共に、彼女のイメージが新たに膨らんでいったものです。そして週に何度かスイミングに通っていると最近どこかで読んで、また新たなイメージが付加されました。平泳ぎ、クロール、背泳ぎ、果てはバタフライまで一通りこなし、水中は自由な魚になった気分だとのことですから、半端ではありません。
確かに大きく腕を振って水をかき、手に集めた水をグイと後ろに押しやる時の、体がスーッと前進する軽やかさは、水中ならではのものでしょう。ゴーグルをはめた目にタイルの水底が音もなく移動していくさまが映り、息をつぎに顔を上げると、鉄骨の露出した天上に平行に並ぶ蛍光灯の光の列が眩しげです。昼間のこととて客は少なく、静かに足の甲で叩く水の音ばかりが時々耳に届きます。そしてそれも、水中で叩けば少しも聞こえず、ゆったりと水にさす腕にまつわる音ばかりが、6コースある25メートルプールに淡く響くのです。
スイミングスクールの経営するレストランの窓が大きくプールに向かって刳られていて、薄青色のガラス越しに時に人影が動いても、わたくしたちには見分けがつかないし、第一、そちら方向には注意が向きません。それは、泳いでいる人間を、コーヒーを口にしたりステーキを頬張りながら、テーブルに着いたレストラン客が眺めるための窓なのです。
若いインストラクターの指導を受けるお年寄りの群れが立ち上げる波にしばしばあおられ、コーナー間に張られた浮きロープに引っ掛かることはあっても、独り静かにクロールを楽しみ、腿を高く上げて水中歩行を繰り返し、また泳ぎ、週に1、2回、1時間ばかりスイミングすることがここ数年のわたくしの習慣でしたが、その水中で久しぶりに(およそ1年ぶりに)昔の同僚の奈良坂先生に会ったのです。
この春、定年退職した先生は、胃を全て切除し、そのリハビリも兼ねてまたスイミングに通い出したというのです。なるほど、おなかに大きな縫合の痕がありますし、また、顔も体もでっぷりとしていた先生の体全体が、かなり萎縮してもいました。
「80あった体重が、50近くまで落ちたんだ」と先生。
「ええ!」とわたくしは驚きました。「ぼくより10キロ以上少ないじゃありませんか」
「それでも、今は60近くにまで回復したけどな」
改めて水面に揺れる先生の体躯を眺めながら、
「でも、まだぼくより少ないですね。そうは見えないけど」
「そりゃあ、あんたとは身長が違う」と、160少々の先生は177あるわたくしを仰ぎました。「あんたはもっとあっても、いいんだぜ」
「これでも5キロ太ったんです」
「もっとあってもいい」
「70になったら、悩み出すでしょうね」
「じゃが、もう他の悩みがなくなったろう」
「そんなことはありません」と言って、水中に体を投げ出してわたくしは泳ぎ出し、先生は何ヶ月も固定していたために極度に筋肉が衰えた右腕を用心して上げ上げ、歩き出しました。そしてしばらくしてまたゴールで行き会うと、
「あんたはCさんが死んだのを知っとるか?」と先生が言葉をかけるのです。
「ええ!」とわたくしは驚きました。「まだ60にもなられんでしょう?」
「57じゃ」
「信じられませんねえ。どうされたんですか?」
「脳溢血よう。カニやイカが好きで、頭にコレステロールが溜まるタイプじゃったけえのう」
「そうだったんですか……」
20数年前、新任先の教員室の笑いの中心にいた、ずんぐりとした体躯と四角い顔のC先生が鮮やかに蘇りました。教育学部を出ていながら、自分は教員に向いていないと言うのが口癖で、空き時間には常にイヤホンを耳に当ててラジオで株価情報の収集に精を出し、50を過ぎて学習塾の講師に転職したのだと聞き及んでいましたけれど、あんなに血気盛んだった人がこんなに早く亡くなろうとは、まさに人の世の無常を思うほかありません。
「後を追うようにKさんが死んだのも、知らんじゃろうなあ」
「ええ!」とまたわたくしは驚きました。「ホントですか?」
「こっちは58じゃった」
C先生のツッコミとK先生のボケとは教員室の名コンビでしたから、他の研究室からも同僚がしばしば集まって、笑いが絶えなかったのです。そのK先生は手術の失敗で急逝したのだと聞き、わたくし自身、知己に先立たれる年齢が来たのだと改めて思い至りました。新任の頃、40を越えた先生たちが、自分の健康話と他人の出世話に夢中になるのが不可解だったものですが、その気持ちが理解できる年代に今、わたくしは到達していたのです。
「M先生はどうされてるか知ってます?」と、人の良さそうなその細面が懐かしく思い出されて尋ねると、
「ピンピンしとる」と奈良坂先生。「あれほど他人の気持ちが分からん人も珍しかった。それでいちばん迷惑したのが、Tさんよのう。そのTさんも今は長患いで元気がない。図々しいのが長生きをして人のいいのが早死にするとは、よう言うたものだ」
そう言いながら、先生は水面に浮き沈みしているおなかの縫合の痕を手で撫でているのです。確かに人は、死ぬまで自己擁護に終始する存在に違いありせん。その自覚に立って、それを超えた世界を願うか否かがその人の生き方の分かれ目でしょうけれど、裸の体をつき合わせているプールの中で議論になって、剣呑な空気を招きたくなかったわたくしは、
「じゃあ、先生の嫌いだったW先生はお元気なんでしょうね?」と笑って水の中に身を投げ出すと、奈良坂先生の執拗な声が、
「あれがくたばるはずがない!」と後から追いかけました。
それには関わりなく、わたくしは自由な魚の気分でゆったりと泳いだのです。そしてゴールに着いて振り返って、ドッとお年寄りの団体が入って来て俄かに波立ち始めたプールを眺めわたすと、その向こう隅に付いている金属製の梯子の手摺りに手をかけて、緩慢な足取りでプールサイドに上がっていく奈良坂先生の小さな姿をありました。大勢の人の甲高い声と水しぶきに背を向け、静かに独りシャワーを浴びて、その影は更衣室の方角に消えていくのでした。