虐殺記念館
 
 東の窓を開けると、町に迫った山々の稜線から木の葉が舞い上がり、白い葉裏を返して波立つ山肌は、まるで巨大な風が足跡を残して渡っているかのようでした。そして、低く垂れ込めた灰色の雲が空全体をゆっくりと渦巻きながら巡り、ときどき大粒の雨が透明な筋を斜めに引いて降りつけているです。
 「どこに行くの?」と妻が聞き、
 「ちょっと本屋まで」と傘を手にわたくしが答えると、
 「まあ、こんな日にも?」と妻は驚きました。
 「ちょっと外に出ないと、落ち着かないんだ」と言い残して外に出ると、強風が体にまとわりつき、小降りの雨の中を傘をささずに境内を横切って、車に乗り込みました。散歩か水泳か、1日に1度は日課の運動を心がけていたわたくしは、スイミングプールは今日は休館日だったことを思い出し、まさか歩くわけにも行かず、以前から気がかりだった、隣町のY教会が数年前に作った虐殺記念館に行こうと思い付きました。
 その教会はわたくしの寺とつき合いの深い寺の近くでしたから、その寺を訪れるたびに、左手の民家の屋根越しに、鐘のある、壁に十字架の懸かった尖塔が望まれたものです。
 「今度の神父はやり手なんだ」と寺の老院は常々口にしていました。老院自身、40半ばまで中学教員を続け、辞めるとすぐ幼稚園経営に乗り出して、周囲の寺から嫉妬まじりに『商売人だから……』とささやかれていた人だけに、近くの教会がクローズアップされることを苦々しく感じていたのでしょう。
 「ヨーロッパに留学していた時、アンネの親戚筋と懇意になったらしい。その関係から、ユダヤ人虐殺の資料をいろいろ手に入れることが出来たようだ」と老院は教えてくれました。「この近くの人間は殆ど行かないけれど、遠くからたくさん来てる。特に小中学生の見学コースになっているのが大きいわなあ」
 ときどき寺の参道前の広い道路に大型バスが停車しているのは、そのためだったのです。教会は狭い道に面して民家や田畑に囲まれ、普通車数台分の駐車場しかなかったのです。初めてわたくしが目にする教会は、高く突き出た赤煉瓦風の尖塔が目立つだけで、背後の礼拝堂は周囲の住宅とそれほど違わない、クリーム色の小ぎれいな建物でした。教会の右脇にある入場無料という案内板を見てから、蔦模様の装飾を施した鉄門をくぐって、狭い通路を辿ると、神父の住居の奥にまだ新しい、広く張り出した庇を支える太い飾り柱が庭に並んだ、半円筒形の赤い屋根の記念館がありました。
 わたくしは傘立てに傘を立てて入口を入って、広間の中央に据えられた台の上の大きなガラスケースに収められたアウシュビッツ捕虜収容所の模型をまず眺めてみたのです。それから、周りの壁から天上まで届く高いガラスケースの中に陳列された、髪の毛や衣服や装飾品などの遺品や、遺影や記録写真や、虐殺の歴史をまとめたパネルなど眺めて回っていると、
 「お出でなさい」と神父さんが入口から声をかけました。「こんな雨の日にようこそお出でくださいました。今日はお仕事はお休みですか?」
 「平日は休みで、休日にあるようなものです」とわたくしは微笑しました。
 「と言うと?」
 「寺なんです。この近くの寺にもよく来ています」
 「なるほど、そうでしたか」と神父さんは顴骨の出た四角い顔に笑顔を浮かべました。「正因寺さんと同じ宗派ですか。すると、親鸞聖人が始められた仏教ですね?」
 「ええ」
 メガネの奥の黒豆のような目がよく動く神父さんはしきりに頷き、
 「よろしかったら2階も見てください。休憩室もありますから、コーヒーでよろしかったら、お入れいたします」と2階へ上がる階段の手すりに手をかけました。
 「いいんですか?」と思わず気持ちをこめてわたくしが尋ねると、
 「もちろん、構いません」と階段を上がりながら振り返った神父さんは、薄い唇に微笑を浮かべました。「同じく宗教に関わる者として、ご交際に与れれば、わたしこそありがたいことなんです。何しろ日本は仏教国ですから」
 2階の陳列台は北面の壁にあるだけでしたが、その代わり映写室と休憩室があり、南向きの広い窓ガラスに激しく叩きつける雨の音を耳にしながら、わたくしは神父さんの作ってくれたコーヒーを口にしました。
 「いや、少しも皮肉はありませんよ」と50前後の神父さんは、禿げかかった額を撫でながら言うのです。「わたしは日本は仏教国だと本当に考えています」
 「しかし、葬式仏教だとか、葬儀と法事だけやっていて、それは本来の仏教ではないとか、いろいろと批判があります」
 「それはささいなことです」と黒い目を和やかに細めて、神父さんはおいしそうにコーヒーを飲むのです。「人々の間に広く深く浸透するために一番大切なポイントを、日本の仏教は押さえている。死後の世界をどのように解釈するかが、信仰に至る第一歩なのですから」
 「なるほど」とわたくしは頷きました。「その点に関して、ごく素朴な質問をさせていただいてもいいですか?」
 「どうぞ」と神父さんは静かに頷き、その四角い顔にまじめな表情を浮かべました。「あなたに満足の行く答えが与えられるかどうかは別として、誠実に答えることがわたしの務めです」
 「キリスト教では愛を言いますよね?」
 「はい、とても大切なことです」
 「それは何となく分かるんですが、イエスの復活もまた、信じなくちゃならないんですか?.死んだ人間がまた生き返るなんて、どこか抵抗がありませんか?」
 「ですけれど」と神父さんは細い唇に微笑の影を閃かしました。「それは、形を変えて仏教でもしきりに強調されていることではないでしょうか。たとえば、昔の高僧伝を見ると、誰々はお釈迦様の生まれ変わりだとか、観音様の生まれ変わりだとか、よく出て来ますよね。そもそも、恵信尼は親鸞聖人は観音菩薩の生まれ変わりだと信じていたのではありませんか?.その親鸞はまた、法然を勢至菩薩の生まれ変わりだと語った手紙が、確か恵信尼にありましたよね」
 「よくご存じですねえ!」とわたくしが驚くと、
 「キリスト教に近い宗派ですから、それなりの関心を前々から抱いていたんです」と神父さん。「イエスの復活もそういう方向から類推していただければ、理解し易いのではないでしょうか。もちろん、キリスト教の場合、あくまでイエスの復活であって、他の人間に生まれ変わるわけではありませんが、そこは一神教と多神教の違いでしょうね」
 「なるほど」とわたくしは、むしろ神父さんの仏教理解の深さに驚いて黙り込みました。
 「今度はわたしの方からささやかな質問をさせてください」と、丸い籐椅子にゆったりと腰掛けた神父さんは、宗教談義を楽しむ風でした。
 「納得の行く答え方はできないかも知れませんが、どうぞ」とわたくしもまた、神父さんと同じ受け答えにならざるを得ません。
 「阿弥陀仏は実在の人物じゃありませんよね」
 「ええ」
 「そういう架空の人物を信じられることが、わたしには不思議でならないんです。そこが、わたしがキリスト教に向かった一つの分岐点とも言えるのですが、あなたはどのようにお考えですか?」
 「阿弥陀仏はシンボルだと思います」
 「シンボル?」と、神父さんは予期せぬ答にいささか戸惑ったようでした。「どういう意味ですか?」
 「つまり、衆生救済のシンボルが阿弥陀で、阿弥陀のいる極楽は悟りのシンボルだと思います。煩悩から逃れられない凡夫とは、要するところ、われわれ一般人のことでしょう。煩悩は一言で言えば自我に他なりませんから、凡夫とは近代人、もう少し正確に言えば近代的社会人だと言っていいのではないでしょうか。また、極楽とは死後における悟りの保証に他なりません。だから、それを強調する浄土真宗は、死の自覚に基づく生き方を説いているのだと、少なくともぼくは考えていますけどね」
 「なるほど、とても理知的な説明ですね」と言った神父さんの薄い唇に皮肉の影が閃きました。「ただ、いささか理知的に過ぎる気がしないでもない。そもそも、理屈から信仰に入る人は少ないんじゃないでしょうか?.それに、そういう人は目新しい理屈を前にすると、えてして動揺するものです。極端から極端へと走り、きわめて非人間的な行為に及ぶことも少なくない。今世紀の共産主義運動はその典型でしょう」
 「ぼくとしては、今の自分の考え方はそのようなものだとしか答えようがありません」とわたくしが率直に述べると、
 「いずれにせよ」と神父さんはそれ以上、追及しませんでした。「確かに死の自覚こそ、汲めど尽きせぬ宗教の源泉に違いありませんよね」
 「そうですね」
 「イエスの復活も、死からの復活に他ならないのですから」
 「それはしかし、あらざる希望を人々に与える考え方だと、ぼくには思われるんですけどねえ」とわたくしが苦言を呈すると、
 「シンボルを信じるより、わたしは実在した人を信じたい」と神父さんは笑いました。「似ていて違い、違うようでいてやはり似ている。それでいいのかも知れません」
 風雨はまだ激しく、神父さんに勧められて映写室で1時間ほどのユダヤ人虐殺のドキュメンタリーを観て、夕暮れの戸外に出てみると、低く垂れ込めた灰色の雲と西の山並みの間に、茜色に染まった静かな空が覗いていました。
 「台風は去ったようですね」と神父さんは西陽をほのかに受けて、その目を細めました。
 「来ても、この地はこの程度ですよ」
 「最初、あなたがお出でになったのを見たとき、驚きました。何しろ台風が直撃すると報道されていましたから」
 「穏やかな風土なんです」と言うわたくしの表情も自然と穏やかになりました。「子供の頃はそれが物足りなかったものですが、今では感謝しています」
 「ふう!」と神父さんは溜め息を吐きました。「虐殺記念館と名付けたのは、無意味だったかも知れません」
 「?」
 「初めは日本人が好むような英語の名前をいろいろと考案したのですけれど、それではこの地の人に強いメッセージを送れないだろうと考えて、あえて刺激的な名前にしたのです。それに、初め有力な候補だったメモリアルホームという名は、近くに出来た葬送会館に先に付けられてしまいましたしね」
 そう言ってわたくしを見送りながら、神父さんは何とも言えない苦笑を洩らしたものでした。