自殺クラブ
インターネット上のどこかにあるのではないかと、折に触れて探っていると、あったのです、「自殺クラブ」という名のホームページが。
それは濃紺色のバックグラウンドに一幅の絵画風の画像を添えた、とてもクラシックなレイアウトでしたけれど、その画像にはどこか見覚えがありました。一面に降りしきる深い雪に2、3の木立が傾き、雪野原の向こうは暗い夜で、手前に1人、赤マントの旅人が前屈みで雪の中を歩いているのです。濃紺色のバックグラウンドは旅人の心の色とも見えるのです。もちろん、赤いマントも心のシンボルには違いないのですが、それも暗い濃紺色に包まれてのことなのです。
そして、「あれだ」と思い当たったわたくしが、子供部屋の本棚から宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』の複刻版を取り出すと、そのハードカバーが予期したとおりに、「自殺クラブ」の原画だったのです。
「自殺に関心のある方々は少なくないことでしょう」とクラブの前書きは述べています。「そんな方々の少しでもお役に立ちたいと、ささやかなホームページを開設いたしました。本名、匿名、ペンネーム、どんな形ででも結構ですから、どんどんEメールをお寄せください。
もちろん、当クラブのテーマに関わるものに限ります。クラブの方で取捨選択して、公開しないメールも時に出て来るかも知れませんが、その場合はご容赦ください。
当クラブを通じて投稿者同士がやり取りされるのは大歓迎ですけれど、直接のやり取りはご勘弁ねがいます。と申しますのも、内容が内容だけに、何らかの事件に巻き込まれることを、小心者のクラブ主催者は恐れているのです。したがって、投稿にEメールのアドレスが添えてある場合、削除させていただきます。
それでは皆様方からのメールを心よりお待ちしています」
そして、人差し指のアイコンが指し示す「入り口」をクリックすると、届いたメールのタイトルの一覧が受信順に表示されました。
時々そのメールを開いては、ウソかホントか分からない投稿者たちの自殺談義をわたくしは喜んで読んでいたのですが、察するところ、年長者が大半でした。いわば大人が大人の高等な遊戯に耽る風情だったのです。ところがある日、「悩める17才」という若い女の子からメールが届いていました。
「憂うつなみなさん、こんにちは。わたしもとっても憂うつ。ホント、自殺しちゃおかなって気分でインターネットと遊んでいたら、こんなHPに出会っちゃいました。
おとなの人の深刻な憂うつに比べたら、わたしなんてガキのざれごとだろうなっていろんなメールを開いてみても、ダメです。立ち直れません。だれか助けてくれるとありがたいんだけどな……。
わたし、恋に悩む17才です。カレに新たな女の人ができて、しかも相手はセンセイ!.このセンセイっていうのが、わたし、どうしても許せない。臨時雇いの音楽教師で(ホントのセンセイが産休に入っちゃったんです)、しかも、生徒面してカレの家までノコノコと出かけて行くんですよ。これって、どういう神経?
そしてアレしちゃったというから、もう信じれない。カレのお母さんが階段を上がって来る音がして、あわてたセンセイ、上着とスカートしか着けられなかったんですって。下着はおしりの下にかくして不自然な格好でニコニコしてたっていうの。カレによれば、正座してぎこちなく重ね合わせた足の甲からブラジャーの紐が覗いてたっていうから、笑っちゃう。
きっとお母さん、疑ったにちがいない。だって、それでも疑わない母親なんて、母親とはいえないでしょ?
『分かんねえな』って、カレ、言うの。『オレんちのママ、干渉しないタイプだから』
『干渉しないことと無関心ってことは別でしょ』って、わたしが言っても、
『この場合、無関心でいてほしい』って、カレ、ニヤニヤするばかり。その上、『おまえはアソコまでやらせてくれないしなあ』って、見下ろすから、
『ばか!』って、見返してやった。『キスしたのも、わたし、初めてだったのよ』
『キスねえ』と優越感にみちた眼差しをカレから向けられて、わたし、ホントに口惜しかった。でも、センセイと体で勝負するのは、何だかミジメ。それに勝てる自信もないし……。センセイ、小ぶりだけど、とてもグラマーだから、カレはもう麻薬中毒状態なんです。
あんな奴、忘れようと思っても忘れられないのがシャクの種です。死にたい気分なんだけど、死ぬのは恐いし、先々もっといいことある気もするし……。
自殺クラブってとってもすてきなネーミングですね。死ぬべきか生きるべきか、だれかわたしに教えください」
この若い悩みには反響が大きく、数多くの返信が届きました。死に方を教授したものもあれば、優しく諭したものもあり、茶化したのも、同じ悩みを語る若い女の子のもあったのです。その中でも、ニセ紳士と称する投稿者のメールが、わたくしの目を引きました。
「キミが死ぬことはない」とニセ紳士は断言するのです。「相手が死ねばいいんだよ。カレでもセンセイでも、あるいはどちらでも、キミの好む方を殺せばいい。といっても殺人は犯罪だから、実際に殺すのじゃなくて、社会的に殺すことだね。だって、先生と生徒がそんな関係になってもいいの?.その先生、アフターケアまでする気があるのかな?.あれば、それはもう社会的に認知される行為だから、キミには負けカードしか残ってないけど、ないなら、いろんなカードを切れるから、楽勝じゃないのかな?」
それはもう冗談を超えたアドバイスとしか言いようがありません。案の定、わたくしがその話題を忘れかけていた3カ月後、悩める17才からニセ紳士に1通のEメールが届いていたのです。
「ニセ紳士さん、こんにちは。もう昔のことになるけど、実践的なアドバイス、感謝してます。わたし、『なるほど!』と思って、さっそく実行しちゃった。だってあのセンセイ、音楽のセンセイの代理であって、わたしの代理まで演じるの、職務違反ですよね?
だから、校長センセイに、こんな不謹慎なセンセイがいますよって、投書したんです。学校は上よ下よの大騒ぎになりました。中でもケッサクだったのは、わたしの元(!)カレが担任のセンセイに呼ばれて、
『ホントに行くところまで行ったのか?』って、問いただされたことです。
『はい』って、シャアシャアと答えたカレもカレだけど、
『ボクの質問の意味がホントに分かっているのか?.いわゆる男女関係を指してるんだぜ』って、重ねて質問した担任のセンセイ、少し鈍い。ま、まだ独身のセンセイだから、純情というべきかな。『肉体関係のことなんだぜ。もちろん、肉体関係とは何か、分かるな?』
『分かりますよ』と元カレ、思わず笑っちゃったそうです。『そんなこと、小学生だって知ってますよ』
『そりゃそうだが……』とセンセイ、威厳を取り戻すのに苦労したみたい。『確認だよ、確認!.こういうことは1つ1つキチンと確認して行かなくちゃならんのだ。万に一つの事実誤認も許されないからな』
『はあ』
いずれにしても、カレがあっさりと告白したものだから、知らぬ存ぜぬで通していた音楽のセンセイもあきらめて、とうとう、
『わたしは吉田クンを愛してます』って、校長センセイに宣言したんです。『カレが成人したら、結婚したいと考えています』
『今からその予行演習かね』って、校長センセイ、渋い顔をしたみたい。『ボクも木石ではないんだから、男女のアヤには理解を示したいんだよ。だけど、時と所、立場、人それぞれの状況、運不運、いろいろと考慮しなけりゃならんことがあるでしょう。失礼ながら、あなたはそれをすべてスッ飛ばして、「好きよ、好きよ」の世界にひたすらのめり込んで行ったとしか思えないんですよ』
『それが悪いことですか?』
『保護者あっての高校なんですよ!』と校長センセイ、さすがにムッとしたみたい。『あなたの、まあ何というか、衝動的な行動が多くの保護者の知るところとなり、警察沙汰になりかねない事態なんですよ』
『なぜですか?』
『レイプ事件だからです!』
『レイプ?』
『そう、あなたがいやがる吉田クンに無理やり肉体関係を強要したらしいじゃないですか、音楽の成績が下がることを脅し文句にして。音楽教室でも恥ずかしい行為に及んだらしいですな』
そう言うと、頭の禿かかった校長センセイの方が赤面してうつむいたけど、気を取り直して、
『ませたふりをしていても、所詮、高校生は高校生ですからな。あなたの手練手管の前には従わざるを得なかったのだと、吉田クンが正直に告白しています』と言って、小太りしてグラマーな音楽の代理のセンセイをグッとにらんだんです。
『カレに会わせてください!』と叫んだセンセイの顔、見たかったなあ。
センセイも自業自得なのよね。あんまりしつこいし、将来の約束まで迫るものだから、カレ、ウンザリしてたんです。
『やっぱり、レイコとまじめな恋愛に励んでいればよかった』なんて、わたしの前でホント、しおらしかった。
『もう遅い!』と言った時のわたし、レモンの薫りがスッと胸に入る気がしたほど、爽快だった。
『やり直し、利かないかなあ……』
『あなた、わたしより10年先を進んだのよ。分かる?』
『ああ、何となく……』
『10年、待っててくれたら、考えてもいい』
『10年!』
『そう』
『何とか頑張ってみる』と言ったカレの顔、狐憑きが落ちたみたいに昔のカレでした。
ホントにニセ紳士さん、感謝しています。わたしたちがこれからどうなるか、もちろん分からないけど、同じことが起きても、もう2度と死にたいなんて思わない。そんな気がします。
人生はやっぱり勝った負けたの世界で、負けてもいいけど、できれば勝ちたいですよね。自殺して人生から降りるのなんて、ホント、老後になって改めて考えればいいんじゃないかと確信した、この半年でした」