朝の光景
 
 I谷のおタケさんが亡くなった時、享年85才だと知って、わたくしは驚きました。そのシッカリとした物腰から少なくとも70半ばを越えていないと考えていたからです。ご主人によると、家事全般はおタケさんの仕事だったというのです。I谷に店は1軒もなく、自転車で谷を出て住宅で埋め尽くされた盆地のほぼ中央にあるスーパーマーケットまで、毎日のように買出しに出ていたというのです。
 「自転車で、ですか?」とわたくしは驚きました。「しかも毎日?」
 「ええ」とご主人。「わたしら夫婦はサラリーマンですから、家事はお袋がやってくれてたんです。必要な物を言ってくれれば買って帰ると言っても、実際に自分の目で確かめないことには気が済まなかったんです」
 「雨の日も?」
 「ええ。合羽を着て出とりました」
 「運動にはなったでしょうねえ」
 「本人にもそのつもりがあったようです。K町にもよく出かけていました」
 K町と言えば、山1つ越える格好になりますから、さらに大変です。また、畑仕事も日課の1つだったというのです。家の背後に覆いかぶさった急傾斜の山肌を縫う小道を登って、白いガードレールの切れ間から最近出来た広い舗装道路に出、また小道に入って、なだらかな、日当たりのよい段々畑に至るのです。
 早朝の山の空気はさわやかです。櫟林の向こうに、谷の南の山を削り芝生を植えて整地された建設中の水道局の建物が、足場と共に空に黒い影を刻んでいます。見慣れた山の光景が、こうして日々、少しずつ変化していくのは、おタケさんにとっていささか寂しいことでした。「せめてわたしが死ぬまで、昔どおりであって欲しい……」と時折考えても、谷の人々みんなが喜んでいるのですから、口に出しては言えません。「大きな道がまた出来とるなあ。朝・晩の車がさらに増える」と、間接的に非難するばかりです。
 実際のところ、おタケさんが通う段々畑の後ろに墓地があり、その下を巡るように舗装道路が作られたため、街に勤めに出る車が朝のひととき、まるで幹線道路のように連なって、その道路から谷に降りて来て、谷間の奥の道を上がって山の上のゴルフ場を抜けていくのです。ところが、水道局の前の道路が完成すると、墓地の下を巡っているその道路と谷のほぼ中央で連結しますから、通勤車の増加は目に見えているのです。
 そうであっても、谷の人々の要請もあって道路が敷かれたわけだから、これまたおタケさんには不服が言えません。
 「そういう時代じゃわなあ……」とつぶやきながら、おタケさんはトマトやナスビの生長ぶりを確認してから、下り勾配の畑の南に降りていきました。気に入らなくても水道局の建築状況を眺めることが、日課の1つになっていたのです。
 すると、一段下の木立の枝に、何やら大きな布のような物がぶら下がっているではありませんか。しかし布にしてはいかにも重量がありげで、しかも足がヌッと出ているのです。足?.まさか!.と半信半疑のまま、強い好奇心にも動かされ、しかし転ばないように足元の土の感触を無意識ながら確かめつつ、おタケさんはソロリソロリと畑をさらに下っていきました。
 しかし、間違いありません!.確かに人間が枝からブラリと垂れ下がり、むこう向きにガクンと首を垂れていたのです。それでもひょっとして何かの錯覚かも知れないと心のどこかで願いたいおタケさんは、ダラリと垂れて靴のない2本の足の先を巡って、改めて振り仰ぎました。いかにも重たげな頭髪の陰から、生気を失った眼がそこにはありました。
 「ヒエッ!」と思わず後ずさってよろめくと、「ヒエッ!」ともう1度洩らした後、おタケさんは息せき切らせて畑に上がっていくのです。上がると、畑の向こうの小道を今度は下っていって、舗装道路に出て小走りに降りていって、ガードレールの切れ間からまた山肌の小道を下って、隣家の玄関に駆け込みました。
 「源さん、源さん、大変じゃ!」
 「朝早くからどうしたんな?」と、納屋のわきの花壇の世話をしていた源三さんが、温厚な顔をして現われます。「顔が引きつっとるで」
 「う、う、上の畑で首吊りがあったんじゃ!」
 「ウソじゃろう」
 「ウソじゃ思うんなら、来てみてや」
 「ホンマな?」
 「とにかく来てみてや」とおタケさんは源三さんの腕を引くのです。
 腕を引かれながら、その温厚な表情は崩さず、
 「ホンマなら、えらいことじゃがな」と源三さん。
 おタケさんに連れられてその場所に赴くと、確かにまだ若い男が首を吊っていて、もうかなり高く昇った6月の太陽を全身に浴びながら、物そのものの重みのままに垂れ下がっていたのです。そこから急に傾斜がかかった下り勾配に木立が鬱蒼と茂り、眼前は空が大きく開けているのです。ムッと蒸れるような大気には光が充満し、その圧力は堪えがたいものがありました。
 カーン、カーンと真向かいの丘の上の水道局の建物は、それでも単調に建設されつづけていたのです。……
 「あれはフィリピン人じゃないかと思いますなあ」と、母に花の苗を持って来てくれた源三さんは、最後にそう結論を下しました。「わしはフィリピンに出征しとったから、分かりますんじゃ。警察がどう判断したか知りませんがなあ」
 「出稼ぎの人でしょうかねえ」とわたくし。
 「さあ、どうじゃろう。分からんなあ」
 「この辺にはブラジルの日系2世がたくさん来てますよね」
 「ブラジルもタイも中国も、たくさん来とりますがな!」
 「生きることは大変だけど、死ぬ気になれば、案外簡単なのかも知れませんね」
 「だけど、ご住職、そういう気にはなりたくないですなあ」
 「そりゃそうです!.とにかく生きることですよ!.そして一瞬なりとも、生きていてよかったと心から感謝できる時間を持つことでしょう」
 「それもまた難しいことでなあ、ご住職!」と言いながら、源三さんは深い皺の寄った目元に穏やかな表情を湛えているのです。