栗野先生
 
 フルコースのおいしい店があると聞いて、わざわざ下見に出かけた妻は、店の構えの貧相さに意欲を削がれたようです。
 「だって小さなうどん屋のような暖簾がかかってたのよ。とてもフルコースって雰囲気じゃなかった。ねえ、ミッちゃん?」と妻が言うと、共に下見をした長女が「うん」と、賛成するのです。
 食卓の椅子に坐っていた妻は、再びタウン誌のグルメのページをめくって、F市の駅裏のホテルの地下にあるバイキングはどうかと言います。昼なら1500円で、夜だと3000円になるが、
 「昼は子供がムリでしょう」と妻。
 「オレもムリだ」
 「どう思う?」
 「いいよ」
 ここ数日、会席料理の続いていたわたくしは、むしろさっぱりとした家庭の味が懐かしかったのです。しかし、子供たちにとって外食は大きな楽しみでしたから、約束した以上、出かけないわけには行きません。
 まだ日の暮れないうちに車で出かけ、ホテルの前で妻と3人の娘を下ろして駐車場に駐車して、ホテルの地下にあるバイキング専門店に降りていくと、妻たちが入り口のカウンターの前で待っていました。ほぼ中央にさまざまな料理が並び、それを囲む形で壁に沿ってテーブルが並んでいるのです。予約席を確認すると、わたくしたちはさっそく広皿を片手にして、スパゲティやらサラダやら鰹のタタキやらハムやら鮨やら、好みに合わせて盛り付けました。
 たまたま隣のテーブルに陣取っていた中年の婦人の1人は、先日の市議選で落選した婦人候補だったのです。デパートの前の4つ角に立って道行く人に手を振っていたのを目撃していたわたくしは、慰労会かなと思いつつ、広皿に少しずつ、出来るだけ数多く取った品々に口を付けました。食べ終わると、ウエイターが皿を片付けてくれ、2皿も食べると、もう満腹です。小ぶりのショートケーキをいくつか小皿に取って来て、それぞれを一口に頬ばり、薄く切られたメロンやパイナップル、それに小粒のブドウで喉を潤おし、紅茶を飲んで、一息入れて子供たちの食べっぷりを眺めていると、大きな掌がわたくしの肩を軽く押さえます。振り仰ぐと、10年間、同じA高校に勤務していた栗野先生でした。
 「元気?」と彼は穏やかな表情で問うのです。
 「お久しぶり」とわたくし。「先生はまだA高校?」
 「そう」
 「長いなあ」
 「16年になる」
 そして2人して、いろんな先生の異動を語り合った後、
 「月日の経つのは早いなあ」とわたくし。「A高校にいたのが、つい昨日のようだ」
 「先生はまた、なぜ辞めたんだ?」と栗野先生。
 わたくしはソッと、隣のテーブルで談話に耽る落選候補の婦人を指さし、
 「知ってる?」
 「ああ、江田さんじゃないか」
 「ああいうことばかりやってただろ。教育界か政界か分からないところがあったわなあ」 
 「それでイヤになったの?」
 「副次的にはね」とわたくし。「それにこの地の教育はルソー的過ぎる。つまり、子供を完結した存在として認める傾向にあるだろ?
 『子供の思いを汲み取る教育』というスローガンが、そのことを端的に示しているわな。だけど、少なくとも日本のようなマスプロ教育の現状では、それは砂上の楼閣じゃないの?.結局、目に付く1人、2人の子供を追いかけていって、大半の子供が置いてきぼりにされるのが関の山だ。
 なるほど、他の地方の点数主義とか偏差値教育は、単一の尺度で物事を推し量る競争社会の、いわば準備段階になってるわな。就職すると、点数の代わりにお金が統一の尺度となって、資本主義社会の歯車の1つとして組み込まれるわけだ。
 だけど、そのアンチテーゼを学校教育、しかも公教育という場で行なうのは、そもそもムリがあるんじゃないの?.文部省がゆとりの教育を標榜するのもおかしな話だけど、6年一貫教育の私学が繁盛するだけさ」
 「難しい言い方をしてるけど、要するに学校は勉強を教えていればいい、と?」
 「そう!」とわたくし。「知る喜び、教える楽しさをまず先生たちが持たなきゃ話にならない。日常的にそういう授業がなされていれば、子供たちにとって、受験とか偏差値とかは二の次になると思うけどな」
 「それはエリートの話でしょう」と栗野先生は腕にグッと力を入れてわたくしの肩を揉むのです。「Jさんはいつまでたっても、勉強が苦手な子供の気持ちが分からないんだなあ」
 「ベタッと子供の心を推し量ることばかり先にして考えるから、そういう評価しか出て来ないんだよ。学歴社会の反映を先生が背負っているから、その負い目を湖塗するために、子供、子供と言いたがっている」
 「そうかなあ……」
 「オレはそう感じてたけどね」
 「じゃあ、どうすればいいんだ?」
 そう率直に問い返されると、わたくしにも妙案があるわけではありません。
 「現役の先生たちで考えてください」と言って、栗野先生が手渡してくれたグラスにビールを受けました。「ところで今日は何?」
 「柔道部の顧問会議の打ち上げなんだ」
 「なるほど」と、わたくしは向こうのテーブルを陣取っている、ごつい体格の一団に目をやりました。「ところで、先生はまだ独身?」
 「うん」と栗野先生はまた腕に力を入れてわたくしの肩を揉みます。「誰かいい人を紹介してくれ」
 「自分で探しなさいよ」とわたくしは応じながら、まだ池田先生と結婚に至っていないのだと知りました。栗野先生が離婚したのは池田先生と再婚するためだという噂を、同僚だった時に聞き及んでいましたから、それからもう5、6年が経っているのです。大柄で筋肉隆々の栗野先生と美人の池田先生とのロマンスが降って湧いたように持ち上がった時、みんな、そのアンバランスな組み合わせに驚いたものです。しかしまだロマンスのままだとすれば、そこにどんな事情が介在しているにせよ、それはほろ苦い彩りを帯びざるを得ないことでしょう。
 「大きな先生ね」と、挨拶をして立ち去っていく栗野先生の背中を目で追いながら、妻が言います。
 「体育科の先生なんだ」とわたくし。
 「いかにもそういう感じね」
 「でも、優しい目をしてたよ」と長女。
 「うん、優しい人だ」とわたくしは肯定しました。「ある年齢に達すると、たいてい優しくなるものさ。生きるってことは、自分1人ではなし得ないと、分かって来るからね」