六甲下ろし
わたくしはソファに横になってリモコンのボタンを押し、朝のワイドショーを選びました。そして「まだサッチーをやってるぜ」と妻に教え、サッチーこと野村夫人に対する批判のもろもろを聞き流しました。
「もう2カ月が来る。いい加減にやめてほしいよ」
「普通、何か次の事件が起きて、前の事件は忘れられて行くんだけど、今回は珍しいわね」と、流しで朝食の片付けをしながら、妻が言います。「最近、事件らしい事件がないでしょう」
「それにしても、しつこい」
「サッチーは報道関係者にも恨みを買ってたんじゃないの?.でないと、こんなに次々と批判者が現われないでしょう」
「芸能人の楽屋裏を延々と聞かされているようで、不愉快だなわ。だけど、視聴率が高いから続けてるんだろうから、これまた動機が不純だわなあ」
「世間でもよくある感情問題なのよ。だから、みんな他人事に映らないんじゃない?」
「平和と言や、平和だわな」
「多分サッチーはこれほど人を傷つけて来たことに気づいてないのよ。だけど、これだけ叩かれても滅入らないというのは、すごい人ね。ミッチーもすごい。普通、公共の電波を使って、あれだけの批判は出来ないものよ」
「野村監督の批判になったら、オレは怒るぜ」
「お父さんはそういう心配をしてたの?」
「当たり前だろ。婆さん同士のいがみ合いに興味はないよ」
「野村監督は関係ないわよ」
「それは分かってるけど、万が一が心配なんだ」
「ない、ない!」と妻は笑うのですが、10数年ぶりの阪神タイガースの躍進に野村新監督の手腕が大いに与っていることは、誰もが認めるところでしょう。
そもそも、スポーツは一瞬の花を競うゲームでしょう。ルールがあって、競争があり、明確な勝ち負けがあるわけですから、およそ仏教、あるいは宗教の下からは出まれようがありません。生きる証し、生の躍動が目指されることを考えれば、およそ宗教の正反対に位置しているとも言えましょうが、わたくしはプロ野球が好きです。
相撲は悠長に過ぎ、サッカーはスピーディーに過ぎていて、プロ野球がちょうど、多くの日本人のスピード感覚にマッチしているのかも知れません。
初めてプロ野球を観戦したのは、小学4年の夏休みに広島に行った時です。叔父に広島市民球場に連れて行ってもらい、夜空に高く輝く照明塔のカクテルカラーによって照らされたグラウンドで、広島・巨人戦を見たのです。長島がホームランを放った時、球場がワッと湧いて辺りの大人たちは総立ちの喜びようでしたから、レフトスタンドだったのでしょう。叔父に肩車してもらって再びグラウンドを視野に入れると、そこには遠く、長島選手がゆっくりとグラウンドを回る姿がありました。
テレビで放映されるのは巨人戦ばかりだったこともあって、わたくしはそれから巨人を応援するようになったのです。しかし、阪神の江夏投手の確か2年目は、彼1人で巨人全体をねじ伏せるほどの快投ぶりでした。甲子園球場がシーンと静まり返る中で江夏が繰り出す速球が次々と、王、長島を初めとして巨人の各打者のバットに空を切らせる場面が、今も目に鮮やかです。これはとんでもない投手が現われたと子供ながらも感動したものでしたが、しかし、江夏が巨人に通用した期間はそう長くなかったはずです。広島には最後まで通用していましたが……。
長島が引退すると共に、阪神というチームを応援し出したのは、関西の大学に在学中だったせいもあるでしょうが、むしろ、当時売り出し中の掛布の魅力も大きかったにちがいありません。
結局、掛布がもっとも輝いたのは、48本のホームランを放って初めてホームラン王のタイトルを手にした年でしょう。その年わたくしは甲子園球場はもちろん、広島球場、後楽園球場、横浜球場等々、10数試合を実際に観戦に行ったものです。
「それから負け犬根性が身に付いたのね」と妻は揶揄します。「阪神ファンはマゾだって噂よ」
「優勝もしたよ」
「1度だけでしょう」
「村山の時代に2度してるから、少なくとも3度はしている」
「ホント?」
「バース、掛布、岡田で打ちまくった時はハレー彗星が近付いた年だったから、次の優勝までには70数年かかるとからかう人も多かったなあ」
「まだ早いじゃない」
「早い」とわたくしも同意せざるを得ません。
「お父さん、ダメ!」と、この春、俄かに阪神ファンになった次女がたしなめます。「今年は優勝よ!」
「また最下位だとあきらめてたら、5位でも4位でも満足できるだろう」とわたくし。
「やっぱり負け犬根性だ!」と妻がからかい、次女には不服でも、たまたま今の阪神が好調だというだけでは、わたくしは単純に喜ぶことはできません。
テレビで7回裏の甲子園でジェット風船が客席を埋め尽くして、オレンジや青や緑や黄色等々カラフルに上を向き、軽快な曲と共に一斉に夜空にシューと舞い上がる様子を画面で見るたびに、次女が「行きたい」と繰り返し、わたくしも10数年ぶりに甲子園球場を訪れてみたくなるのです。
「絶対に認めない!」と来年、大学受験を控えている上に、広島ファンの長女が聞き入れません。「わたしの身にもなってちょうだい」
「ミッちゃんも行けばいい」と次女。
「行けるわけないでしょう」と長女。「受験生なのよ!」
今まで茶の間にばかりいて団欒か勉強か分からなかった長女が、高校3年になったこの春からさすがに自室にこもることが多くなり、その隙を見計らって、
「ミッちゃんに内緒で行きたいなあ」と次女がヒソヒソ声で言います。
「バレるだろう」とわたくし。「どういう言い訳をするんだ?」
「夕食を外で食べて来たって言って、ミッちゃんにはおいしいお土産を買って帰るのよ」と次女は半ば冗談顔です。「ミッちゃんは食い意地が張ってるから、きっとだまされるよ」
「だけど、試合はふつう夜の9時、10時に終わるから、その日のうちには帰れない」
「泊まればいいじゃない!」と次女がさらに目を輝かせます。
「ますます言い訳が難しくなるじゃないか」
「あっ、そうか!」と次女は食卓の椅子に坐ってテレビの野球中継を見、わたくしはソファに横になって見ているのです。
「広島は昔は弱かったって、ホント?」
「ウン、今の阪神みたいだった。だから、阪神は巨人に負けても、広島に勝って帳尻を合わせてたものさ」
実際、広島がリーグ初優勝した年、江夏が勝利を得た後、「ここは甲子園だ」と名セリフを吐いたことが、まだ長島ファンだったわたくしの心にも強く残っています。父と2人でテレビで広島・巨人戦を見て、たいてい広島が負けて残念がりながらも、明らかに父は楽しんでいました。勝ち負けより親子の団欒に重きを置いていたからでしょうが、そんな父を、成長するにつれてわたくしは疎ましく感じたものです。
「お祖父ちゃんは広島ファンだったのか!」と次女。「ミッちゃんと同じだったんだ」
「そう」
「ミッちゃんとお祖父ちゃんとお父さんとアキちゃんの4人で、広島・阪神戦を見に行きたかったな」
「ホントだね」と、ふと心から、わたくしも同意しました。「お祖父ちゃんにももっと長生きしてほしかったな」
「写真を見ると、お祖父ちゃんはお父さんに似てるね」
「うん」
「だから、きっとアキちゃんにも似てたんだ」
「うん」
「ねえ、お父さん」
「うん?」
「アキちゃんはお寺を継がないかも知れないけれど、それでも、お父さんやお祖父ちゃんを継げるわね?」
「あっ、ついに本音が出た!」とわたくしは冗談っぽく言いました。「今まで継ぐと言ってたけど、やっぱり違うんだな」
「違う、違う!」と次女は笑いを洩らします。「たとえ話よ。アキちゃんは寺は継がないかも知れないけど、お父さんやお祖父ちゃんは継ぎたいの」
「もう継いでるじゃないか」
「?」
「だってお父さんの子なんだから、お祖父ちゃんの子の子でもあるわけだ」
「あっ、そうか!」
「ミッちゃんが無事、大学に合格できたら、来年こそ甲子園にみんなで行こう」
「お母さん!」と、流しで夕食の後片付けをしていた妻に次女が声をかけます。「お母さんは巨人ファンでしょ?」
「そうよ」
「甲子園に行く?」
「家に独り残るのはイヤだ」
「決まった。みんなで行こう!」と次女。
「よし、行こう!」とわたくし。
しかし、長女は自室で机に向かい、末っ子も自室です。末っ子は野球には関心がなく、ベッドで漫画を読んでいたのです。
こうして3人が娘盛りになっていく中で、父に反抗的だった自分の10代を、わたくしはちょっぴり後悔したものです。