神神の微笑
 
 N女学院の教師や事務員には修道女が少なくなく、廊下などで行き会うと、「おはようございます」とか「ごくろうさまです」などと、挨拶を交わしてくれるのです。グレイの修道衣をまとったその人たちは、もう中年の人が大半でしたけれど、どこか「純潔」の気配が漂っています。また、「処女」がまだ意味ある世界が想われて、たとえば出家した瀬戸内寂静などにはブラウン管越しであってもとうてい望めない、「聖域」がイメージされ得るのです。プラトンの第7書簡に窺われる純潔な魂の伝統が、こんな形で、あるいは西洋には脈打っているのではなかろうかなどと、わたくしは空想を逞しくしてみたくもなるのです。
 図書の手伝いをしている娘さんは修道女見習いで、1年間、いわば適性検査を受けているとのことです。
 「特別のことをするわけじゃありません」とその娘さん。「一生、続けられるかどうか、自分自身に問いかける期間なんです」
 「東京からこんな地方に来ると、いろいろと戸惑う面があるんじゃありません?」と、司書の先生が作ってくれたミルク入りの紅茶をすすりながら、わたくしは尋ねました。
 「修道院と学校の中で1日の大半を過ごしていますから、そういう感覚はありません」
 「どうしてまた、修道女をめざしたんです?」
 「どうしてでしょう?」と、目のクリンとした小柄な娘さんは、コンピュータのキーボードを叩く手を休めて、わたくしに聞き返します。「ミッション・スクールに通っていたことが大きいでしょうね。だけど、同じ学校に通っていても姉は全然関心がなかったから、それだけではないのでしょう」
 「姉妹は何人ですか?」
 「2人です」
 「親は反対しませんでした?」
 「『ああ、そうか』って感じ」と娘さんは笑います。「だって、反対しても首に鎖を付けて家に閉じ込めておくわけにも行かないでしょう」
 「そりゃ、そうだ」
 「J先生はお寺さんなんですよ」と、図書カードを整理しながら、司書の先生が言いました。
 「そうなんですか?」と娘さんはちょっぴり驚きます。
 「そう」とわたくし。「仏教とキリスト教だから、近いというべきか、遠いというべきか……」
 「それは近い関係でしょう」と娘さんは屈託なく断言します。「今の世の中で同じ宗教に身を置いているんですから!」
 「宗教は何となく胡散臭く思われてる時代だからなあ」
 「ほんとは大切なことなんですけどね」
 「オウムなんかの影響が大きかったわなあ」
 「それもあるでしょうけど、根本は、今の人々は来世を信じていないからじゃありません?」
 「なるほど」とわたくし。「あなたは信じているわけだ」
 「信じたいというところですね」と娘さんはクリンとした瞳に曇りのない光を湛えるのです。「だって、死んでしまうと何も残らないというのでは、余りに寂しくありません?」
 「だけど、今の人は信じていない……」
 「だからきっと、心の底では寂しいんだとわたしは思います」
 「だけど、なかなかそれに気づかない……」
 「ええ、いろいろな快楽が心を麻痺させてくれますから」
 「だけど、麻痺している人には、いくら説いてもムダだわな」
 「人に説くことより、まず自分が信じたいんです」
 「特にキリスト教でなくてもよかったの?」
 「たぶん」と答えながらも、娘さんは何ら迷う素振りはありません。「自分がその環境にあったということでしょうね」
 「ミッション・スクールの意義も、そう考えると、小さくないなあ」と言って、わたくしはグイと紅茶を飲み干しました。「猪原先生も同じことを仰っていた」
 「ええ」と娘さんが何気なく振り向いた中庭の藤棚は今、紫の花の花盛りです。
 鴨長明は西の空に咲いた藤の花に阿弥陀来迎図の紫雲を思い、きれいに刈り込まれたミッション・スクールの中庭は、わたくしにフランス庭園の人工美を想起させて止みません。確かに大学も高校も、ミッション系がどこかハイ・イメージを醸成しているのは、そこに西洋文化の薫りがするからでしょう。
 島崎藤村の時代ならずとも、たとえばわたくしの少年時代、町なかに出来た教会はひどく目に眩しかったものです。そんな瀟洒な雰囲気を小さな自己の世界に煮詰めた上で、軽井沢を舞台にして、堀辰雄の小説など出来上がったのでしょうが、今、わたくしの町の教会にかつての輝きはありません。
 芥川龍之介が『神神の微笑』で巧みに指摘した日本人の信仰の特異性は、やがて遠藤周作によって大きく再確認され、G8の1つという経済大国となった現代でも、日本を規定しているに違いないのです。それはたとえば、衆議院議員の3分の1は2世議員である事実にも、なにがしか反映しているはずです。衆議院は歌舞伎の世界ではないという批判は、しかし、歌舞伎は世襲制でかまわないという、これまた日本的な発想を前提としているのではないでしょうか?
 「全て、天皇制の問題に集約されるように思うんですけどね」とわたくしは、猪原先生が案内してくれた、3階の礼拝堂から中庭を見下ろしながら言いました。そこには、先日、修道女見習いの娘さんと眺めた藤棚が緑濃い広がりを見せ、一偶に白亜のマリア像が心持ち前屈みに立っています。
 「そうですか?」と猪原先生。
 「シスターにはたぶん、その感覚は分からないと思います。自由意志で自分の人生を選択した人には、天皇制はピンと来ないでしょうから」
 「わたしはそれほど強い人間じゃありませんのよ」
 「いずれにせよ、誰もが志す道じゃない」
 「そうかも知れませんけれど、人のことを考えながら自分の生き方を決めるわけには行きませんものね」
 「それが1つの強さじゃありません?」
 「そういう言い方もできるかも知れませんねえ……」と、先生はどこかまだ若さの残る声でつぶやくのです。「でもそれは多分、神の強さでしょう」
 「『復讐するは我にあり』という、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に掲げられたエピグラフが、ボクにとっての神のイメージを決定付けているのかも知れません。
 それから、キリスト磔刑図も……。あれは確か、左の脇腹に槍突きの跡の血を滴らせるとか、両手足を釘付けにするとか、一定の約束事があるんでしょ?.美術図鑑だとそんなに感じなかったんですが、実際の画をヨーロッパを訪れて見てまわった時、『復讐するは我にあり』という言葉が納得できたものです。ああいうものを毎日拝んでいると、とても静寂の境地には至れないでしょうね。仏教とは本質的に違うものを感じました。
 あるいは、ニーチェがキリスト教にはルサンチマンが流れていると指摘したというのも、頷けましたねえ」
 「恐いばかりじゃありませんのよ」と心持ち顔を上げてわたくしを見上げながら、先生は微笑みます。「現にわたしたちは、むしろマリア様のもとに集っているのですから」
 「だけど、神の後ろ盾抜きには考えられませんよね」
 「それは当然です」
 わたくしは改めて礼拝堂を眺めて、
 「まだ新しいんですねえ……」と話題を変えました。そして、木製の椅子の列が緩やかな傾斜で正面に向かって下り勾配を作る、まだ木の香りがするような、広い空間の空気を胸一杯、吸い込んだのです。天上まで届く窓の上部にはステンドグラスが填め込められて、そこにふと、厚い暗い壁で囲まれた教会に神秘の光を投げかけていた、ヨーロッパを旅した時のステンドグラスの荘厳さが二重写しとなりました。
 「ここは改装してまだ3年と経っていません」
 「そうですか。いやあ、今、N女学院は評価が高まっているからなあ」
 「それは進学校としてでしょ?」
 「ええ」
 「わたしなど、むしろ寂しく思っていますのよ。シスターをめざす子が、以前と比べると、格段に少なくなりました」
 「なるほど」
 「ただ、進学にも力を入れないことには生徒が来てくれませんから、頭の痛いところです」
 「図書室にシスター見習いの人がいるじゃないですか」
 「ああ、あの人……」と猪原先生は言葉を濁すのです。「あの人は街の人だから……」
 「それは関係ないと、彼女が言ってましたよ」
 「それは心強い」と先生は優しさのこもった甲高い声で、取りあえず喜ぶ風でした。
 「今の若い人の気持ちはわたしには分かりませんけれど、きっとやってくれるでしょう。そう信じてあげないといけませんよね?」
 そう言って見上げる先生の表情には、どこか若い娘のような媚態が匂うのでした。