ミッション・スクール
N女学院の創立50周年記念に際し、隣県の女学院にいろいろと相談したのだと、川上先生は言います。その学校では昨年50周年記念があり、日本各地でここ数年、50周年を迎えるミッション・スクールが多数あるというのです。
「なるほど、GHQ占領下に雨後の筍のように林立したわけですね」とわたくし。「宗教といっても、権力の傘の下で伸びるものだから」
「そういうことです」と川上先生。「ほんとは市内に建設したかったんですが、資金難で、街はずれの丘の上になってしまったんです」
「だけど、今じゃ格好の学園地区じゃありませんか。街なかの学校もどんどん、郊外の山の上に移っていますしね」
「まあ、ケガの功名でしょうねえ」
「それに、今や私学の時代だし」
「おかげさまで、生徒減の中にあっても生徒が集まってくれますから、ホッとしています」
「つぶれていくのは、公立からでしょう」とわたくし。「先進国はどこもその傾向らしいですね」
「授業料が安いことがいちばんの魅力ではなくなったんでしょう」と川上先生。
「今や東大に入学するためには、親が中間管理職以上でないと、学費が持たないらしい」
「やる気のある、しかし経済的に恵まれない子がかわいそうだなあ」と研究室の奥の席から皿山先生。「ボクは東大に3度挑戦したけど、それも今の子には夢のまた夢なのかな」
「そもそも、今の子に3度やり直すガッツがあるかしら?」とわたくし。
「今の子は優しいよね」
「そうですね」とわたくしも賛成です。「10年前から、生徒の気質が変わりましたよね。それまでは荒削りだった代わりにガッツがあった。それが最近は、とても心優しいけれど、バイタリティーに欠ける生徒が増えましたね。もっとも、それはボクが教えた学校での印象ですけど」
「それは、J先生の印象だろうなあ」と皿山先生は笑います。「ボクはこの地に戻って以来、荒削りな生徒の面倒ばかりみてきた」
「先生は妥協しないから」とわたくしも笑います。「だいたい教師というものは、『寄らば大樹の陰』的存在でしょう」
「だけど、ボクは生徒の言いなりになることと生徒の人権を守ることとは別問題だと思う」
「それは、ぼくも賛成です。教師は人格を磨かないとダメですよ。そして教師にとっての人格とは、何よりも教科の学力を付けることでしょう」
「しかし一部の教師は、学力を付けることは差別・選別教育だと声高に叫んでいる」
「結果平等を求めてますよね。だけど、たかが学校の勉強じゃないですか。それに必要以上の付加価値を付けているのは、むしろ教師じゃないでしょうか?.学歴主義の根源だと受験勉強を批判するけれど、生徒にとって迷惑千万な話ですよ。そこには、いわゆる勉強に対する彼らのコンプレックスが透けて見える。それは、東大を落ちて早稲田に行ったジャーナリストたちが、官僚批判をしてるのと同根ですよ。むしろ、たかが勉強なんだよという姿勢を貫きながらも、しかし勉強を教えるべきでしょう」
「ははは!」と皿山先生。「J先生も辛辣だなあ!」
「もう教員じゃありませんから、言いたいことを言わせてもらいます」
「いずれにしても、結果平等だと個性が育たないだろうなあ」
「もちろん、いろんな価値体系を社会が用意する必要はありますけどね。たとえば、東大に合格できる学力と、西武の松阪投手の野球能力とどちらが偉大かと言えば、もちろん、松阪でしょ?.そういうものをもっと体系的に社会が用意することが、日本の次の発展には不可欠でしょうね」
「文部省はゆとりを言うけれど、学校が与えるゆとりなんて、ホントのゆとりじゃないよ」
「そう!」とわたくしも賛成です。「受験生の学力が落ちてるって、今や大学で問題になってるでしょ。どんどん勉強を教えるべきですよ。そして、それ以外のコースもどんどん作って行くべきでしょうね。そういう意味じゃ、ミッション・スクールは元来、学校色が鮮明だから、未来を先取りしている」
「単に古臭いだけなのかも知れません」と川上先生。「現に、ミッション・スクールの魅力に惹かれてくる子供なんて、それこそ奇蹟的に少ないんですよ。大半は、進学校として受け止めています」
「だけど、それだけじゃないでしょ?」
「さあ、どうでしょう」
「ボクはいろんな階層の人と話す機会が多いけれど、N女学院のしつけは高く評価されてますよ」
「それはありがたいことです」と、窓側の席の川上先生が頭を下げます。
「ボクが宣伝したわけじゃありません」とわたくしは笑います。
「私学にとって、地域の評判は死活問題なんですよ」
「それは公立にとっても同じことだろうけど、公立の先生にはそれが分からないんですよね」
「と言うか、分かっていても、私立ほど切実な問題意識にならないんじゃありませんか?.私立の場合、それは受験者の増減としてたちまち経営に反映しますから」
「そうでしょうねえ」とわたくし。「それにしても、まさかミッション・スクールの生徒を教えることになろうとは思いませんでした」
「うちは座禅合宿もあるような、変な学校なんです」と川上先生は笑います。
N女学院は午前の授業が終わる4校時の最後に必ずチャペルの鐘が鳴らされ、生徒も教師も、頭を垂れて黙祷するのです。ところが、奇遇にも丘続きの東側に寺の伽藍が南に向いて聳え、時に授業中にその鐘の音がゴーン、ゴーンと鳴ることがあるのです。
「ミッション・スクールに来て寺の鐘の音を聞くとはなあ……」などとわたくしが言うと、子供たちは笑い、
「先生は本当にお坊さんなんですか?」と聞く子もいます。
「うん」
「なぜ、頭に髪の毛があるんですか?」と重ねてその子が尋ねると、笑いたい盛りの女の子たちはドッと笑います。
「うちの宗派はそういうタイプなんだ。結婚もしてるし、肉も食う」
そう答えると、この学校の子供はもうそれ以上追及しませんけれど、それは教員時代の20年間、何度も子供たちから聞かれたことなのです。僧侶は剃髪しているという観念が広く行きわたり、それはまた、決してまちがいではありません。しかし浄土真宗の場合、正確には非僧非俗がその本来の立場なのです。それは一歩まちがえると、不僧不俗とでも言う他ない、いわゆる生臭坊主の危険性を常に孕んでいるのです。
1年契約の講師という、自由で曖昧な身分のわたくしは、余裕があると、時に丘を降りて周囲を散策するのです。振り仰ぐと、丘の上に、ベージュのチャペルを戴いた校舎が聳え、緑陰の香の薫る坂道を下り切ったところに、修道女の研修センターが木立に囲まれて見えます。その右手のグラウンドの向こうは小学校の校舎、歩道を隔てて幼稚園の園舎が並び、幼稚園から高等学校まで13年間をN女学院で過ごす子も少なくないとのことです。
『シスターはなぜシスターの道を選ばれたのですか?』と、同じ国語を教えている、50半ばの猪原先生に尋ねると、
『一口では言えませんけれど、ここを卒業したことが直接のキッカケになっています』
『キリスト教の精神って、平たく言うと、どんなことです?』
『そうですねえ……。奉仕の精神ではないでしょうか?.わたしがシスターを志したのも、神への奉仕にこの身を捧げたいと考えたからなんです』
『神を信じておられるわけなんですね?』
『そうでないと、こういう人生は選べません』
『失礼なことを申しました』
『いいえ』と猪原先生はゆったりとした、いささか甲高い声です。『先生は率直だから』
『率直とぶしつけとが紙一重で同居しているんですよ』
『わたしは気にしていません』
『いずれにせよ、シスターが自ら選び取った人生だから、いささか羨ましいですね』
『先生だって、自分で決めたから、寺をお継ぎになったんでしょ?』
『そうですけど、寺に生まれなかったら、縁がなかったのは確実です』
『後悔なさってるの?』
『後悔はありません。どう生まれるか選択できないのが人生なんだと、仏教では常々説いているところですしね』
『それなら、よろしいじゃありませんか。そもそも日本は仏教国ですし』
『そう思われます?』
『思います』と猪原先生。『こういう立場にいると、他の人以上に、その実感がありますねえ』
『そうですか……』
丘を巡る疎水を散策しながら、そんなやり取りをわたくしは思い出していたのです。疎水の水は清く速く、車が行き来できるように広いセメントの橋を架け渡した玄関先に、観音笹が風にほのかに揺れる家があります。道沿いの柳の枝の葉も、日の光を散らしながら緑鮮やかに風に揺れ、きっと、田圃では雨を呼ぶ蛙の声がかしがましいことでしょう。燕が空低く円を描いて飛ぶ熱い季節も、そう遠い未来ではないのです。
西に向かう広い道路に出たわたくしは、信号のある四つ角を渡って、北から降りてくる車の多い道まで歩きました。そして回転寿司の店に入って、昼のひと時、独りきりの食事を楽しんだのでした。