異安心
 
 仏壇文化が始まったのは、たぶん、江戸時代でしょう。それは仏教のエネルギーが衰退した時期と正確に呼応するという意見があり、教科書などにはそのように説かれています。
 しかし、それは仏教の国教化だという解釈も可能なのです。体制を変えるエネルギーが失われたのは、実は体制と融合した結果だというものです。
 そこには様々な事情が介在していたことでしょう。キリシタンの拡大を恐れた徳川幕府が宗旨人別帳を義務化し、あらゆる人々がいずれかの寺院に帰属しなければならないシステムが完成したわけですが、そもそも、何ら原型のないところにそうしたシステムを作り上げることは、不可能事ではなかったでしょうか?
 たとえそれが江戸期より可逆性があったにせよ、浄土真宗における門徒制度は江戸以前から存在していたに違いありません。
 織田信長の比叡山焼き打ちによって日本仏教が多大な損害を被ったのは周知の事実です。しかし、長島一向一揆の壊滅作戦もそれと同じ効果があったかどうか、疑問です。なぜなら、いわば当時の守旧派であった比叡山の天台宗と、燎原の火の如く広がっていた改革派の浄土真宗とを同一視してはならないからです。
 たとえば、島津藩によって260年間、禁止されていた真宗は、明治になると鬱勃と蘇り、たちまち真宗王国の1つを形成しているのです。石山合戦において本願寺の顕如がもし殉教していれば、それがかえって、地下に潜行したであろう真宗門徒の結束を強める事態に立ち至ったかも知れないのです。
 「『タラは北海道』とはよく言われることですわなあ」と、わたくしの意見にご講師は笑います。
 「そりゃまあ、その通りです」とわたくしも笑いました。
 「それにいま本願寺が焼き打ちにあったら、ひとたまりもないでしょう」
 「それもその通りです。今じゃ、真宗が既成教団の代表みたいなものでしょうから」
 「今、枠を広げようとすると、枠を壊すことになりかねない」とご講師は盛り皿の菓子に目を落とし、チョコレートをつまんで、包みを解いて口の中に1つ、放り込みました。「ここの隣のW寺のご住職は、布教使だけれども、わたしらは会うことがない。講師に誰もあの寺には招かれた者がない」
 「それはこの前、来ていただいたY先生も言っとられましたねえ」
 「Yくんはわたしとは20年来の付き合いです」
 「この地の布教使の中心人物でしょ?」
 「今、いちばん脂が乗っている1人でしょうなあ」とご講師はもう1つ、チョコレートを口に放り込みました。「隣とは言え、あなたもW寺さんに行くことはないでしょう?」
 「イヤ、報恩講では近くの寺々が互いに勤め合ってますから、行きますよ」
 「誰が講師に行ってます?」
 「この地の人は、少なくともわたしの記憶にはありませんねえ。確か、京都や九州の人が多いんじゃないかなあ」
 「でしょう!」
 「何かにつけて、独特なところがありますよ」
 「でしょう!」
 「枠を越える試みの1つかなとも、思いますけどね」
 「違うでしょう」とご講師は大きな声でハッキリと言い(午前の法話でも声が大きく、マイクの音がときどき割れて響くほどだったのです)、今度はタバコに火を点けました。「異安心ですよ。親類寺院にその方面で有名な人がいるんです」
 「そうですか」と答えつつ、この地は真宗の信心が薄いですからと常々語るW寺さんの口吻を、わたくしは想起したものです。
 そもそも、仏教の歴史とは異安心(=異端)の歴史だとも言えるでしょう。小乗仏教に対する大乗仏教、顕教に対する密教、聖道門に対する浄土門等々、それらすべてが仏教の新たな展開を示しているのです。ところが、浄土真宗に限って言えば、親鸞聖人が息子・善鸞の主張を異端と断じて以来、『歎異抄』にせよ異端を嘆いた書ですし、覚如には『改邪』があり、江戸期にはとりわけ有名な三業惑乱事件が起こるなど、異端のオンパレードです。
 「なぜなんでしょう?」とわたくしは尋ねました。「8万4千の法門と言って、仏教は相手に合わせた対機説法を標榜しているわけだから、異端は出にくいんじゃないでしょうか?」
 「まあしかし、それが仏教でないことには、話にならんでしょう」
 「W寺さんは仏教ではないのかしら?」
 「イヤイヤ」とご講師はフッとタバコの煙を面前に勢いよく吐き出しました。「そこまで極端だとは思いませんが、少なくともこの地のやり方とは違いますわな」
 「それこそいろいろな試みがあってよいわけですよね」
 「そりゃそうです」とご講師はせわしくタバコの灰を灰皿に落とします。「その辺りはあなたの方が詳しいと思いますが、ただ、布教使仲間では、あの人には異端の気があるというもっぱらの評判なんです。そりゃまあ、わたしは実際にじっくりと話したことがないから、分かりませんよ。しかし、ご当人にもそういう誤解を払拭しようという気がないことだけは確かでしょうな。われわれとは全然付き合われんのだから」
 「そういう人柄かも知れませんね」
 「そうかも知れませんな。真面目な、おとなしい方だから」
 「それに、どこからが異安心になるか、難しい問題でもありますよね」
 「信心の在り方がそのメルクマールでしょうなあ」
 「ただね、絶対他力は易しいようで、実はとても難しいところがあるでしょう。とくに現代のように、いわゆる自力が称揚されている時代ではね」
 「それが布教でも困難なところなんですわ」とご講師はどこかホッとした表情をして、身を乗り出すように語りました。「東京の築地本願寺なんて、その最たるもので、説教に行くところじゃありませんね」
 「そりゃまた、なぜです?」
 「みなさん、理性で聞こうとされてんですわ。それに、たまたま通りがかって、ちょっと聞いて行こうとされる方もあるから、まあ極端に言えば、道端で説教しているようなものですわなあ」
 「専門用語が何とかならないかなと思うことはよくありますねえ」
 「ははあ…」
 「いえね、ご講師の話について言ってるんじゃありませんよ」とわたくしはあわてて付け足しました。「仏教全般がいわゆる仏教用語に満ちあふれているでしょう。もうそれだけで、一般の人々には遠い存在に感じられてしまうんじゃないでしょうか?」
 「それは事実、ありますなあ。ただ、たとえば先ほどの絶対他力の教えなど、やっぱりそう述べる他ないでしょう。そりゃあ、いろいろたとえは出しますけれど、最後はその用語でまとめるしかありませんわな」
 「それは分かります。だけど、その説明にもまた専門的な用語が出て来ることがありますよ」
 「言葉に頼るってことかなあ…」
 「たとえばこういう説明はどんなでしょう?」とわたくしは思わず知らず頬がゆるんだものです。「真宗の信心は、信じるから救われているんじゃなくて、もうすでにアミダの願いによって救われているってことですね、われわれはみんな。だから、救われていると信じる喜びがそのポイントになるわけでしょう。
 理屈はそうでしょうが、じゃあ具体的にどういう心持ちかと言えば、なかなか難しい。よく聞く話は、お念仏は称えるんじゃなくて、自然に出て来るものだということですよね。だから、何かにつけて自然にお念仏が口をついて出るようにならなければならないと言われますよね。だけれども、それはなかなか現代人には受け入れ難いことだと思うんですよ。
 むしろ、こういう風に考えてはどうでしょう?.つまり、お念仏を感じる生き方を追及してみたらどうかということです。お念仏と言わずに仏と言ってもいいですけどね。『考える』ことは自我、つまり煩悩の所産だけど、『感じる』ところにこそ、実は仏がいるんです」
 「お念仏は要らないと言うことですか?」
 「イヤイヤ」とわたくしはまたあわてて手を振りました。「それは絶対に必要でしょう。しかし、われわれのお念仏はなかなか絶対他力とは言い難い。少なくとも、わたしはそうですから、お念仏を感じる功夫をしたらどうかと考えてるんです。何かそこにブレイクスルーがあるような気がしてならないんです。
 アミダはシンボルでしょう。聴聞とは、仏教の知識を得、考えることの、これまたシンボルですよね。いずれにせよ、少なくとも自我が外せないボクのような人間が仏教と関わるには、浄土真宗しかないと思い定めてはいるんですよ。社会生活を営まざるを得ない大多数の人にとっても、たぶん、そうじゃないかな。そういう人にも届く言葉が欲しいんですよねえ」
 「なるほど」とご講師は腕組みをしました。「しかし、今の本願寺教団を前提にすると、なかなか噛み合わないところも出て来るわなあ」
 「それって異安心でしょうか?」
 「そうじゃないでしょう」とご講師は笑いました。「ただ、ともすれば加持祈祷・おまじないの類いに流れがちなのが、ご門徒の信心なんですよね。現に今日の永代経法要にしたって、先祖供養のつもりの人が多いでしょう。お念仏は先祖を供養するためのものじゃありません」
 「なるほど」と言いながら、わたくしは思わず座布団の脇に置いていた永代経の案内をテーブルの脚元に移したものです。というのも、それに『永代経とは、先祖を供養すると共に、仏法の教えを聴く大切な行事です』などと書いて、ご門徒に配っていたからです。先祖供養をどう受け止めるかわたくしなりの考えがありましたけれど、もう1時が近く、
 「ごゆっくりなさって下さい」と言って、わたくしは座を立ちました。「午後は1時半からおつとめが始まり、ご法話は2時頃からお願いしたいと思います」
 本堂に回ると、午前は70人くらい来ていたご門徒も20人程度で、前には空いた座布団が目立ちます。地方によってはまだ4〜5日法座を続けるところもあるようですが、この地ではもう2〜30年来、1日で、しかも朝・昼ともに聴聞する門徒はめったにいなくなりました。テレビの普及が大きいとのことですが、いずれにせよ、時代の背景に退いたはずの伝統仏教にも、時代の波は確実に押し寄せて来ているのです。