預かり物
 
 山の麓の、町外れでカーブした道沿いの自宅の前で、曽我のお婆さんは小さな手提げを膝に置いて捨て石に腰を降ろし、丸い顔と目をして、わたくしを待っていました。車を停めて乗せて、
 「S市に向かえばいいんですね」とわたくしが確認すると、
 「大きな河があるじゃろう。その河沿いを走ってもらわんことには、わたしには分からん」とお婆さん。
 「S市までは違う道路でも構わないでしょ?.S市を越えて河に出れば、それでいいですよね?」
 「へえ、そうしてください」
 そこでわたくしは、Uターンして町を抜けてそのまま北に走り、広い道路に左折して入って、西に向かいました。
 「天気がよくなって良かったですねえ」とわたくしが語りかけると、
 「へえ、何ですか?.わたしは近ごろ耳が遠くなって、よう聞こえん」と後部座席のお婆さん。
 「天気がよくなって良かったですね!」
 「へえ、そうです」と会話の糸口がつかめると、いつものお婆さんの愚痴が始まりました。「わたしゃあ、もう息子とは縁を切ろうと思うとる。あの子が来るたんびに、家の物がなくなるからなあ。警察に届けても、息子に盗られるんは、盗られるとは言わん言われて、相手にしてもらえん。今度の13回忌には、あれはもう呼ばん。もう1人の息子と京都の娘だけ呼ぶ」
 「もう1人の息子さんは四国でしたよね?」
 「へえ、香川じゃが」
 「だから、四国ですよね?」
 「四国いうと、海の向こうの四国ですか?」
 「ええ」
 「息子は海の向こうんじゃありません!」とお婆さんは強く否定しました。「京都の向こうですがな」
 「しかし、香川県は四国ですよ」
 「わたしには、よう分からん」とお婆さんは笑います。「京都の向こうの遠い街にいるんですがな」
 「じゃあ滋賀県ですか?」
 「滋賀じゃあない!」とお婆さんはまた強く否定するのです。
 そんなやり取りにふと、朝、
 『浄玄寺さんですか?』とS市の奥のお婆さんの親戚宅から電話がかかって来たことを、わたくしは想起したものです。
 『はい』
 『朝の8時じゃと聞いて待っとるんですが、来てくださるんですか?』
 『朝の8時?』
 『へえ、そう聞いとります』
 それはもう10時過ぎのことでした。2時間以上、そのお宅では待ちわびていたことになるのです。
 『曽我さんとは昼の1時に待ち合わせてるんですよ。昨日もその件で曽我さんと打ち合わせたばかりなんです。そちらに確認してみてください』
 『姉さんのところに電話したら、寺に聞いてくれと言われたんですがな』と電話の向こうのお婆さんは言い、すぐに『おおかたまた、姉さんが間違えたんでしょう。それじゃあ、昼からですね?』
 『たぶん2時までには着くはずです』
 『分かりました。よろしくお願いします』
 この前、曽我のお婆さんのお宅に墓参りに赴いた時にも、時間が食い違っていたのです。
 『やれやれ…』と心でつぶやいていると、突如、
 「ああ、金沢じゃった!」と後部座席でお婆さんは大声を出しました。「どうも物忘れが激しくなりましてなあ」
 「はあ、なるほど…」
 『それにしても』とわたくしは疑ったものです。『これからお骨を受け取りに行く息子、先年S市で亡くなったという息子、先日の墓参りに来ていた息子、今日家の留守番に来ているという娘、京都の娘と、オレが知る限りでも5人の子供がいるはずだけれど、それだけかしら?』
 実はこれまで、お婆さんの内輪話を聞くたびに、新たな子供が分かって来ていたのです。
 S市を抜けて大河に出て、河に沿って西に走り、しばらくすると河は線路と共に大きく北にカーブしていましたけれど、道路は西にまっすぐ続いています。橋を渡って線路を横切り、道沿いの店でA町を尋ねると、案の定、河に沿って北に向かわなければなりませんでした。
 引き返して橋を渡って北に入ると、川幅が狭まり、急斜面が次々と重なるように迫り出している、深い山の中の、しかし広い舗装道路を、信号がないため猛進する車を追って80キロ近いスピードで走っていると、
 「そうそう、この道じゃった」とお婆さん。「川向こうの山斜面に大きな家が見えるはずじゃけえ、少しゆっくり走ってもらえんかのう」
 しかし、前後が80近い速度で走る中でわたくしだけ落とすわけには行きません。お婆さんが「家が増えてよう分からん」と迷った辺りで、わたくしは迷わずハンドルを左に切って川を渡り、狭い道を登りました。
 そして車を停めると、車から降りた膝の悪いお婆さんは、1歩1歩ゆっくりと歩を進めてそれと思われる家を訪ね、玄関に鍵が掛かっていて裏手に回ると、まもなく2人の老婆が挨拶を交わす声が響きます。そして曽我のお婆さんと連れ立って、細面のお婆さんが現われたのです。
 「まあ、遠いところをようお出でくださったのう。お爺さんは上の墓で待っていますけど、まずお茶を召し上がって休んでくださいな」
 玄関の表札には「曽我」と掛かっています。実は曽我のお婆さん夫婦が跡取りだったにも関わらず、K町に出たため、A町の曽我家を今の次男夫婦が継いでいたのです。一時期、この地に住んでいた曽我のお婆さんの初めての子が3才で亡くなり、そのお骨がここの墓に預けられていて、今日、50年ぶりに受け取りに来たのです。
 「まあ、ホントに久しぶりじゃわなあ」と座敷でお茶をつぎながら、次男のお婆さん。
 「わたしゃあ、足が悪いから、ここで失礼しゃんす」と曽我のお婆さんは縁に腰かけてお茶を飲んでいます。
 ご仏壇に合掌・礼拝したわたくしは、川向こうに勇壮に広がる急斜面の、冬枯れして茶色っぽい山々を仰ぎました。その麓の河に沿って線路が走り、狭い平地は田畑と共に北の山間に向かって結構家々が込み合い、殊にこちらの西斜面に多く集まっているのです。あちらこちらの畑に1本2本と白や赤の梅がいま花盛りで、4月になると桜の花も数多く咲くのだと次男のお婆さんが教えてくれました。
 家の裏の斜面をうねるように這っている道を登って、屋敷跡にある墓にわたくしを案内する途中で、
 「姉さんはお骨を宅急便で送ってくれと言って来たんですがな!」と次男のお婆さんは打ち明けました。「ホントに常識がない!.わたしゃ、そんなことはできんと怒ったんです」
 「宅急便というのは、余り聞きませんねえ」
 「信心も何も、ありゃせん。『呼ばん、呼ばん』言うて、事ある毎に文句を言うてじゃが、口やかましいし、膝も悪いから、出来るだけ連絡せんように気を使っているんですがな」
 「なるほど」と、お婆さんに従って狭い急な、手すりの付いた坂を上ると、そこが、樒や榊が人の丈ほど伸びてこんもりと茂る、屋敷跡でした。丸太を割った腰掛けに腰かけていたお爺さんが立ち上がり、ヒョイと頭を下げると、ヨチヨチと危なかしげに足を引いて歩いて来ます。脳梗塞で半身不随を煩っていたのが、日々のリハビリでようやくここまで快復したのだと、お婆さんが解説してくれました。口をモゴモゴさせて何か言っても、わたくしには聞き取れず、お婆さんもその表情からお爺さんの意図を汲み取っているようなのです。
 屋敷跡の奥の一段高い地が曽我家の墓所で、わたくしの読経のあと、足も腰も悪い、しかし骨壺の位置を知っているお爺さんの指示に従って、お婆さんは墓石を動かし、その下から1つの骨壺を取り出しました。
 「お祖父さん、寂しゅうなるなあ。今日、孫は自分のところに帰るで」と言いながら、お婆さんはその壺を水で洗い、ハンカチで包むのです。「和尚さん、これでいいですかな?」
 「いいんじゃないですか」
 「これはどうしましょう?」と、こぶし大のガラス瓶を、お婆さんは乳母車の物入れの中から取り出しました。
 「何ですか、それは?」
 「姉さんがお骨を入れてくれ言うて、持って来たんですがな」
 「それじゃあ、入りませんわなあ」
 「持って帰って、渡しときましょう。こんなもので『盗った、盗った』と言われたくないから」
 「はあ…」
 『早うしてくださーい』と遠い声がした気がして見下ろすと、坂道の角まで曽我のお婆さんが上がって来ていて、その姿はとても小さく、背中を丸めて丸い顔を上げ、『留守番の娘がいるから、4時までに帰らんといけんのじゃあ』と叫んでいます。
 「何じゃ言うとるんですか?」と次男のお婆さん。
 「4時までに帰りたいようです」
 「そうは言うても、ここをお爺さん1人で下ろすわけには行かん」とお婆さんは言って、乳母車を持って急な坂を前にしたお爺さんの下に回り、乳母車を両手で支えて後ろ向きにゆっくりと下りていくのです。外股加減にヨチヨチと、お婆さんの励ましの声に誘われるように下りていくお爺さんの背中を眺めながら、ふと、わたくしは「夫婦」を感じたものです。
 家に帰ると座敷に用意していたプラスチック膳詰めの料理をナイロン風呂敷に包みながら、
 「ゆっくりしてもらうつもりじゃったけど、仕方ないわなあ」と次男のお婆さん。
 「まあ、そんなに気を使うてもらわんでもええのに」と曽我のお婆さん。
 「もう用意したんじゃから」
 「いつもすまんなあ」
 「また来てなあ」
 「あんたもなあ」
 車に乗ったわたくしは、窓ガラスを開け、別れの挨拶に出て来たお婆さんに、
 「これで一安心ですね」と言葉をかけると、
 お婆さんはヤレヤレと言いたげに表情をしかめました。
 帰りはその道順が分かっていただけに、1時間で十分帰れるメドがありましたが、それでも交通渋滞にでもぶつかると4時までに着かない不安もあって、わたくしはスピードを緩めませんでした。
 「久しぶりに行かれたんですか?」と後部座席のお婆さんに声をかけると、
 「あの人の息子の結婚祝い以来じゃろうなあ」
 「というと、何年前なんです?」
 「さあなあ、20年にはなるまいが、10年はとうの昔にたつじゃろう」
 「そうですか」
 「息子は新婚旅行の最中に嫁に逃げられて、それから結婚したという話は聞いとらん」
 「ほう!」
 「あの人はシッカリ者じゃから、わたしゃあ、なかなか足が向かんのですわ」
 『いやはや!』とわたくしは心の中でつぶやいたものです。『どこの家庭でも気持ちの行き違えが絶えないものだなあ』
 帰宅して妻にそんな話をすると、
 「曽我さんは確かに通じにくいわねえ」と、たいてい人を良く評価する妻も、曽我のお婆さんには辟易としていて、次男のお婆さんに理解を示します。
 「家庭を持つとは、そういう感情のもつれを引き受けることなんだよな」とわたくしは他人事のような口振りです。「だからお釈迦さんは出家されたんだろうし、親鸞さんのような方でも、家庭を持ったばかりに、80才を過ぎてわが子を勘当しなければならなくなったわな」
 しかし、「よそ事でもないでしょう」と妻に言われると、「うん」と認めないわけには行かない波風が、わたくしの家にもまた立っているのでした。