苦い酒
 
 「行ってもいいか?」と突然、小泉くんから電話がかかり、「どうぞ」とわたくしは答えました。5時が近く、前回(と言っても、もう半年前のことですが)もこうだったなと思いつつ、確か日本酒があったはずだと台所を探すと、1リットル瓶の純米酒がありました。飲まないのなら人にあげてもいいかと妻に尋ねられ、珍しい酒だから置いておこうと、先日話したところだったのです。
 その酒瓶と大ぶりの猪口を2つ、座敷に用意して小泉くんを迎えると、
 「今日、会社を辞めて来た」と小泉くん。
 「ええ!.どうして?」
 「理由は聞かないでくれ。そういう巡り合わせだったってことさ」と小泉くんは言いながら、わたくしの差し向けた酒を猪口で受けて、グイと飲み干すのです。
 「奥さんが反対しなかった?」
 「そりゃあ、最初は反対したさ。したけど、最後にはオレの気持ちを分かってくれて、好きなようにすればいいと言ってくれた。諦めたのかも知れないけど」
 「次の当てはあるの?」
 「ああ。明後日、面接に行く」
 「可能性はどれくらいあるの?」
 「多分、大丈夫だ」
 「それなら安心だけど、また思い切ったものだなあ!」
 「Jちゃんだって辞めたじゃないか。だから、人生の先輩として、アドバイスを受けに来たんだ」
 「オレには事情があったから、参考にはならないよ」
 「しかし決断が要っただろ?」
 「まあね」
 「お母さんと相談した?」
 「どうして?」とわたくしは驚きました。「50近くにもなって、そんな相談を親にしなくちゃならないの?」
 「オレ、まだお袋には話してないんだ。あの通り信心深いタイプだし、Jちゃんが檀那寺なんだから、上手に説得してもらえれば、ありがたいんだけどなあ」
 「ははは!」と思わずわたくしは笑ったものです。「そんなこと、出来るわけないだろう」
 「やっぱりダメか」
 「当たり前だろ!」とわたくしが差し出す酒をまた受けて、小泉くんはグイと飲み干します。そして、
 「女は理屈が通らないから、オレは苦手だよ」と言いました。
 「あなたに出来ないことが、オレに出来るはずがない」
 「だけど、人生相談に応じるのも、寺の役目でしょう」
 「そうかな?」
 「当然だよ。どうもこの寺は敷居が高い」
 「世間のゴタゴタの処理までは引き受けかねるけどなあ」
 「それじゃあダメだよ」と今度は小泉くんが酒を向けました。
 「そうかな?」と猪口に受けつつ、わたくし。
 「100パーセント、そうさ」と小泉くん。「親鸞にしろ蓮如にしろ、人の悩みには親身に答えていたと思うよ」 
 「宗教ってそういうこと?」
 「違うか?」
 「悩みにもいろいろあって、生死に関わること、人間いかに生きるかを問うのが、宗教じゃないかしら。就職やら恋愛やら進学やらの悩みには、それぞれ別の相談所があるでしょう」
 「しかし、それらも全て人生に関わっている。生き方に関わっているんだよ」と小泉くんは断言しました。「だからこうやって、1人の門徒としてJちゃんのところに来たんじゃないか」
 門徒としての宗教上の相談なら、どうして、やれ自分の経営する喫茶店には仲間が集まってくれる。今回、再就職がスムーズに行くのも仲間の斡旋だ。辞職の理由も聞かずにすぐ探してくれたのが嬉しかったなどと、わたくしに語る必要があったのでしょう?.それは明らかに、わたくしにその仲間になるように勧めていたのです。しかし、社会生活を取っ払った仲間意識を小学時代の同級生だからというので結ぶ気は、わたくしにはなかったのです。
 子供の頃のわたくしを知る人がJちゃんと呼ぶのは、あるいは当然かも知れませんが、当時それほど付き合った覚えのない人からそう呼ばれることには、少なからず抵抗感がありました。「Jちゃん」という呼びかけにこもる連帯意識が、わたくしには疎ましかったのです。
 「もうJちゃんと言うのはやめなさい。ご院さんなのよ」と母親に言われ、
 「Jちゃんをご院さんなどとは呼べないよ」と語ったという幼馴染みも、その父親の葬儀に際して30年ぶりに会うと、
 「ご院さん」と、母親に言われた通りに語ったものです。しかし、たとえ彼にJちゃんと呼ばれたとしても、わたくしにさしたる抵抗感はなかったはずです。どう呼ばれようと、彼とわたくしとは門徒と寺の枠を外れて結ばれる可能性はなかったからです。しかし、小泉くんは違っていました。だからイヤだったのです。
 8時頃、妻が襖を開けて顔を出し、
 「おむすびでよければ、作って来ましょうか?」と尋ねました。その微妙な間合いは、もう遅いので失礼します云々の言葉を小泉くんから期待していたようでしたが、彼は黙ったままです。
 「じゃあ、頼むよ」とわたくし。
 「あなたも?」
 「うん」
 大皿にむすびを6つ、深皿2皿には晩の料理らしい鍋物を盛って、まもなく割り箸と共に妻が運んで来て、厚いガラスを載せた、黒い重い座卓に並べました。灰皿は吸い殻でいっぱいで、まだ吸い足りない小泉くんはいったん捨てたタバコをつまんで火を点けて、ふかしつつ、酒をあおり、おにぎりがなくなると小料理に箸を着けながら、哲学的な大学を出たから理屈が多くて困るんだ、などと話はとどまるところを知りません。
 同じ大学の哲学科の先輩と哲学談義の果てに喧嘩別れしたことがあるけれど、それがオレの性格なんだなあ。深く考えすぎて、かえって相手を傷つけることになる。今回のことも、要するにそういうことなのさ。ただ黙って指示されただけの仕事は出来ないタイプだから、結局、社長を初め会社の大半の人間を敵に回してしまった。だけど会長は別だ。今日も最後の挨拶に行くと、「よう、どうしたんじゃ?.辞めるんか。そうか」とだけ言ってくれたなあ。そう言われると、オレはもう何も言えなかったよ、と小泉くんは感傷に耽るのでした。
 高校時代、ある先生がこんな皿を持って来て(と、彼は中身を平らげて汁もすすった深皿を手にしました)、何もないこの内側に本当の意味がある、それが無だと言われたのには、驚かされた。深い影響を受けたねえ。
 ただ、それって仏教とは違うでしょう?.と相槌を打つ役にくたぶれたわたくしが異を唱えると、トイレはどこ?.と小泉くん。廊下を出たところだとわたくしは説明し、トイレから戻ると、実はその先生は寺の坊さんだったというのがその話の落ちなのさと言って、小泉くんはこちらを盗み見るのでした。
 だから、どうしたの?.と、ちょっとムッとして、わたくし。
 別に、と小泉くん。ただ、落ちだと言うだけのこと。
 いずれにしても、それが仏教ではないとオレは思う、とわたくしは言い、小泉くんの反論をいくら待っても、その話はそこまでで、それでは一種の嫌味としかわたくしの心には響きませんでした。
 この町にも文化の発信が必要なんだよ。それをJちゃんには期待している。
 オレにそういう発想はないな。今の時代、地域主義である必要はないでしょう。それこそ、インターネットの時代なんだから!
 だから、地域にこだわりたいんだよ、と小泉くん。
 それは分かる。だけど、オレは違う。
 どちらが正しいか、Jちゃんが宗教家としてどれだけ名を馳せるかで測られるだろうな。
 ヤレヤレ、とわたくしは溜め息をつきたい思いで、名を馳せるか否かは2の次、3の次、4の次でしょう、と言いました。所詮、生きている今この現在の自分がどう救われるかが最も肝心なことなんだから!
 すると、小泉くんはいささか鼻白んだ表情でわたくしを見守ったものです。
 11時になり、酒もタバコも食べ物もなくなっても、まだ帰る気配のない小泉くんにさすがのわたくしも疲れ、思い切り大げさに腕時計を見ながら、
 「もう11時だ。今日は止めよう」と提案すると、
 「今日はありがとう」と彼は座卓越しに手を差し出しました。「これで奥さんには嫌われてしまったなあ」
 「イヤ、うちのはこういうことには寛大なんだ」と彼の手を軽く握り返しながら、わたくし。
 小泉くんを夜更けの通りまで送り出した後、わたくしが台所を覗くと、
 「今の人、どういう人?.前も急に夕方に来て、夜までいたでしょう」と食卓の向こうからすぐさま妻が顔を上げました。「非常識じゃない?」
 「今日会社をやめて、心穏やかじゃなかったんだ」
 「それにしても非常識よ!.果物か何か持って行った方がいいんだろうとは思ったけど、さらに長引くと困るから、やめたわ。家庭に連絡しなくてもいいのか、ちょうど聞きに行こうと思ったところよ。何の連絡もなしにこんなに遅くまでいられたんじゃあ、奥さんがかなわないでしょう」