日出づる国
 
 丘の上に建つ高校の5階の図書室の窓から眺めると、霞に煙る野があり、土手の向こうは民家が密集し、東に迫り出した山の上に春の空が広がっていました。陽の光を屋根瓦に受けて銀色にギラギラとした、しかし沈黙に沈んだ、100年・200年前とそう変わらないであろう風物を眺めていた時、突如、天皇がいれば、逆に差別される人間がいるんだな、とわたくしは直覚したのです。それは10年以上も前の体験でした。
 山川の1木1草1魚に至るまで、日本は天皇の世界なのです。それは意識しなければ気づかないし、し出すと、止めどなく広がって尽きるところがありません。
 「それはもう政治で云々できるものじゃないかも知れないな」と、放課後の丘に立って、タバコの煙をフッと棚引かせつつX氏が言いました。「だって、あの太平洋戦争の後でもまだ残ったというのは、奇跡的だ」
 「それ以前にしろ、例えば中世には貧乏してたらしいですよね。それでもいつしか復活している」と、暖かい風に心地よく目を細めつつ、わたくしは言いました。
 「そもそも本願寺自体、天皇制の伝統を応用したというじゃないか」と、X氏は口元をニヤニヤほころばせながら、わたくしをチラリと見やりました。
 「本願寺ばかりじゃなく、真宗教団全体がそうだと言えるでしょうね。だって、寺の息子がその寺を継ぐのが原則なのですから!.そしてそれが今や、日本仏教全体に行き渡りましたよね」
 わたくしの心の中ではもうとっくに整理されたことのはずなのに、いざ口にすると、いささか苦い味わいを噛み締めないではいられませんでした。しかしそれには無関心な風に、
 「校長が自殺したわな」とX氏。「卒業式に日の丸・君が代を使うか否かで騒動が起きることはよく聞く話だけど、校長の自殺となると、ただ事じゃない」
 「想像はつきますけどねえ…」とわたくしの脳裏に遠い思いが駆け巡ります。
 10年前、卒業式に日の丸を掲揚する・しないで県下の高校が大騒ぎした時、日の丸反対の生徒をクラスに抱えていたわたくしは、その地域と学校との間を右往左往したのです。事態は複雑怪奇でした。上層部では日の丸は掲揚、君が代は歌わないという妥協が成立したにも関わらず、それに不満な青年たちが生徒に断固反対を貫くように強く教唆していたのです。
 「生徒にはまだ天皇制など実感できないでしょう!」と、当時の思いに俄かに染め上げられたわたくしは当然、苦い口調でした。「それを、生徒を使って背後からアレコレつつかれたのでは、学校はかなわない。とくに生徒の担任は生徒と同調して学校全体を敵に回すか、逃げまくるか、板挟みになって胃潰瘍になるかしかありませんよ!.それが極限化したのが、このたびの校長の自殺でしょうね」
 「キミはどうだったの?」とX氏はあくまで楽しげな眼差しを向けるのでした。
 「どうだったんでしょうかねえ…」とわたくしはまた遠い思いに耽るのでした。
 同じ立場の生徒を抱えた若い教師は、日の丸の掲揚に職員会議の場で涙ながらに反対しつづけ、会議はまとまらず、何日も継続されたのでしたけれど、わたくしは職員室の自分の席で黙ったままでした。同じ3時間の会議を言いたい放題に発言するのと、黙るのと比べる時、黙っている疲労感の方がはるかに大きくても、誰もがたいてい黙っていました。『触らぬ神に祟りなし』だったのです。
 「儲けの少ない会社ほど会議が多いと言うわな」とX氏は笑います。
 「その通りですよ!」と同じ笑いがこぼれても、わたくしはX氏ほど無邪気にはなれませんでした。「『カラスの鳴かない日はあっても、会議のない日はないなあ』と軽口を叩いていた先生もいました」
 「学校が神学論争の場になったんじゃあ、何の実りもなかろう」
 「深く政治が入り込んでいましたからねえ…」
 「政府は国旗・国歌の法制化を考えている。これは逆方向からの政治の介入だろうな」
 「昭和天皇が昭和天皇で死ぬまでありつづけたことが、事態をこんがらかせた最大要因じゃないでしょうか?」
 「そうかも知れない」
 「戦争責任が果たされないまま続いている日の丸・君が代は国旗・国歌の資格はないと3年間訴えていながら、卒業式前の生徒たちに実は今年から日の丸を出しますと言うのは、ちょっとやり切れないものがありましたね」
 しかしそれも、クラスに反対の生徒が1人いたからなのです。いなければ適当にお茶を濁せるから、いないクラスの担任になるように、普段から教師は沈黙を守るのです。クラス替えのある3月になると、いないクラスの担任になるように、それぞれ暗躍するのです。そして暗躍しないと、しんどい生徒を抱え込むことになるのです。
 「ははは!」とX氏は笑いました。「どこの世界にも、お家の事情があるからなあ。オレが予備校講師になったのは、正解だったかも知れない」
 「この地域なら、正解そのものですよ!」とわたくしは断言しました。
 「失礼します」と挨拶を残して、わたくしたちの背後を自転車で駆け抜けていく女生徒がいて、その青い制服姿には若い命の初々しさが尾を引くかのようでした。20年間、後悔のない教員生活だったのだろうかと、フトつぶやいたわたくしの心の中を見透かしたように、
 「嫌気がさして辞めたのか?」とX氏が問いました。
 「ないとは言えないでしょうね…」
 寺に専念するためか、教員がイヤになったからか、2つに1つを選べと言われても、実際のところ、わたくしは困るのです。
 「その日のちょっとしたいさかいが、実は自殺の直接の原因になるとも言うからなあ」とX氏は両腕を挙げ、ひょろ長い全身で空に向かうように伸びをしました。「50近い人間が行なった人生の選択に関して、オレはアレコレ批評する気はないけどね」
 「しても、もう遅いですしね」とわたくしが微笑すると、X氏も微笑をして腕を降ろし、
 「ところで今日のオレの講演はどうだった?」と聞きました。「そういう批評は、オレにとって貴重なんだ」
 氏はまた高校で進路講演会を依頼されたのです。そして、保護者に混じって傍聴するようにわたくしを連れて来ていたのです。
 「それは学校を出てから話しましょう」とわたくしは答えました。「近くにカレーのうまい店があるんです」
 「よし、そこへ行こう!」
 自転車置き場の南から眺める野の光景は、落日に染まり、4車線道路を疾走する車の音が絶えず空に向かって立ち上っているのです。店と人家が増え、高架線が30年かけてやっと完成し、しかも上々のスタートを切ったと報道されています。実際、リュックサックを背負った数人連れの、たいてい定年を迎えたような人々が、平日でも寺の前を歩く姿が見受けられるのです。
 「もう電車に乗った?」とX氏。
 「イヤ、まだです」とわたくし。
 「もともと古い町だから、観光になるんだろうな」
 「ボロけた町だと、講演会に来て、そう第1印象を語った人もいました」
 「ははは!」と笑って車に乗ると、「その店はどっち?」とX氏。
 「坂を下りてから郵便局の南の道路を右折してください」と、助手席に乗ったわたくしは言いました。「しばらく走ると、左手に見えます」
 「分かった!」
 坂を下る車の窓から眺める光景は変貌を重ねる地方の町そのもので、あの、ギラギラと銀色に光る沈黙の印象は、もうどこにも認められません。それは本当に見たことなのだろうか?.ひょっとすると白昼夢ではなかったのか?.との思いがわたくしの胸をかすめ、
 「一病息災って言葉がありますよね」
 「うん」
 「天皇は国が健康を保つための病みたいなものかも知れませんね」
 「うん?」
 「問題意識を持ちつづけることに、その最大の存在理由があるんじゃないかしら?」
 「しかし、いつまた痙攣的に、天皇陛下万歳という1億総動員態勢ができあがるかも知れないぜ」
 「だから、そういう病が再発しないためには、チェック・ポイントが必要なんですよ」
 「天皇はリトマス試験紙のようなものか?」
 「そうとも言えますよね」
 「親鸞は聖徳太子を尊敬してたよな?」
 「ええ」
 「だから、今のは一種の天皇擁護論ってわけだ」 
 「聖徳太子は天皇になっていないですよ」
 「しかし基礎は築いている」
 「大昔の話じゃないですか」
 「それがまだ有効なところが、面白いわなあ」
 「小さな島国だから…」
 「しかし、それだけじゃなかろう」
 「ええ…」と言いながら、わたくしは目を凝らし、「ああ、ここです。そこの角を左に曲がってください」と指で指し示しました。「ステーキカレーもゴージャスですけれど、ボクはなすびとベーコンのカレーが大好きなんです。ラッキョウをいっぱい載せて、そのコリコリッとした舌触りと共になすびをギュッと噛んだ時のカレー味は最高ですよ!」