命は買えるのか?
 
 「まあ、ご住職、もう1杯どうぞ」と勧められるままに盃を差し出して1杯、もう1杯、さらに1杯と盃を重ね、法事の後の膳席で徳利2本ほど飲み干すと、さすがに心地よくなり、舌の回りも軽やかになりました。
 「昼の酒は確かによう利く」といかにも酒好きらしい顔付きの、向かい席のご主人の兄さんも同意します。「わしゃあ、60までは浴びるほど飲んでも1時間もすりゃあ、仕事に出とったものよ。じゃが、さすがにもう年じゃ。昔のようには行かん」
 そう言いつつも、兄さんはグラスに徳利の酒をなみなみと注いで飲んでいるのです。
 「1年がたつのは早いもんですなあ」とわたくしの隣の、いかつい顔のご主人は甲高い声で言いつつ、また徳利を差し向けます。
 わたくしは素速く猪口で受けて、顎を出すようにグイと飲み、
 「ちょうど今日でしたかね?」
 「はあ、今日の11時52分でした」と柱に掛かった時計を仰いで、ご主人が言いました。その鴨居には、昨年50半ばで亡くなった奥さんの遺影も掛かっているのです。「もう20分過ぎてしまいました」
 「それにしてもいい日和ですねえ」
 「はあ、まるで春が来たようじゃねえ!」と、甲高い声でご主人。
 確かに法事を重ねるたびに酒量が増えていると、わたくしは自覚しないわけには行きません。そして、晩年になって酒の仲間が出来て生活が乱れ、そのことも原因して60才で亡くなった父を思うと、わたくしは心にどこか引っ掛かるものがあるのです。
 ワインをよく飲むフランス人にはアルコール中毒は多くても脳卒中は少ないと教えられ、食事にちょうど合うこともあって毎晩グラス1杯の赤ワインを口にしているのですが、むろん、だから脳卒中には絶対にならないという保証はないのです。
 酔っ払って帰っては家族の者から総スカンを食っていた父の気持ちが、父の年になって初めて、わたくしにも理解されて来ているのでした。当時は強く母に同情し、今はむしろ父に共感を覚える親子の関わり合いは、生きている限り、決して解きほぐせない謎の1つなのでしょう。それが百年千年万年と、人間の歴史を織りなして来たに違いありません。親を弔い、先祖を思う気持ちが、今の寺の存立基盤には違いないのです。それを、やれ本当は儒教精神だとか、古来信仰の名残りだとか異議を申し立てたところで、黒い馬も見方によっては白い馬に見えるといった程度の理屈でしかあり得ないでしょう。一般の人々は、それは仏教だと受け止めているのですから。
 念仏講が毎月行われているY谷には、ご門徒も多い反面、社も多く、葬儀の翌晩の念仏講と言えば、谷の主のような老婆が金剛鈴を振ってご詠歌を唱えるのです。従って通夜はわたくしが勤めても念仏講に呼ばれることは少なく、呼ばれても読経をすませて振り返ると、そこにはちゃんと2人の老婆が金剛鈴と共に控えているのです。
 そのことを嫌ったご門徒がわたくしに念仏講にぜひ来てほしい、その後で法話をしてもらいたいと申し出たことがあります。そしてそれが終わると、すぐに奥からお茶と菓子が素速く回され、ご詠歌の出番がなくなった2人の老婆は渋々と引き上げたのでしたけれど、いつまでも谷に不平不満が残ったといいます。
 「そういう土地柄なんだよ」とわたくし。「そもそも真言宗の寺が多いのだから、仕方ないわな」
 「わたしにはその方が気が楽だわ」と妻。
 「日本の標準的な地域なんだろうけどね」
 「真宗では秋祭りの参加もできないでしょう。あれがわたしには分からない。神道を信じているから、祭りに参加しているんじゃあないのよ」
 「オレは祭りを否定してるわけじゃないぜ」
 「でも、子供には行かせなかったじゃない」
 「うちの子供が率先して神輿を担ぐ必要もなかろう。それくらいの子供はまだ町に残っているじゃないか」
 「でも、うちの子から楽しみの1つを奪ったのよ」
 わたくしは舌打ちをし、
 「寺で生きる意味を少しは考えてよ」と言いました。「中身はオレがやるから、せめて形を整えるくらい協力してよ」
 「だから、してるじゃない」と妻。「でも、個人的には納得できてない」
 在家の出の妻には、寺院の生活にはいろいろ納得できないところがあるのです。
 「まあ、いいや」と言いながら腕時計を見ると、7時半が近く、わたくしは急いで暗い境内に出て、もう人も車も絶えた通りに車で乗り出し、Y谷の今月の念仏講の家をめざしました。
 その家に着くと、10人ほどの年輩の婦人方がもう座敷に正座して待っていて、
 「ご無沙汰しています」とわたくしが挨拶すると、
 「お忙しい中をよくお出で下さいました」と一様に頭を下げるのです。
 わたくしは床の間に掛けられた南無阿弥陀仏の名号の前で焼香・合掌・礼拝をして、正信偈を唱えるのです。後ろの婦人方も共に唱え、わたくしの声のひどく滑らかなことに我ながら驚きましたが、昼は日本酒、夜はワインを飲んだせいだと思い至ると、確かに節回しはいささか酩酊の気味でした。
 仏壇の前に移ってさらにお勤めした後、最後に法話があります。読経の最中、今日は何を話そうかと脳裏で迷うことが往々でしたけれど、
 「脳死による臓器移植のニュースが今、しきりに報道されていますよね」と語り始めると、後は出る言葉に任せるばかりです。「脳死は人の死かと問われれば、わたしは人の死ではないと答えます。けれども、それと臓器移植とはまた別の問題であって、ニュースを聞いていると、臓器の提供を受けた人は、『命を頂いてありがたいことだ』と語っているらしいですね。わたしはそれはとても大切なことだと思います。これは命のやり取りだと思うんですよ。
 ただ、テレビを見ていると、心臓とか肝臓とか腎臓とかが入ったボックスが運ばれている現場がそのまま映されていましたよね。情報公開とはああいうことでしょうか?.しかも字幕が出て、心臓の文字だけわざわざ赤色、肝臓は黄色などと色分けまでしていた。それが情報でしょうか?.テレビ局は少しでも自局が目立つ方法を採りたいのでしょうが、わたしが当事者なら、不愉快でかなわない。
 アメリカは臓器移植の最先端を走っているとのことですが、そこでは臓器は売買されているようです。だから、生活のために自分の臓器を売ったり、果ては子供の臓器を切り取ることも行われているらしい。
 もちろん、一部の過激な現象でしょうが、日本がどの方向に向かうのか、俄かには判断しかねますよね。ただ、これで臓器移植は確実に進むでしょう。しかしそれは単なる臓器ではなくて、人の命の一部だという気持ちだけは失いたくないものですよね」
 「ところがご院さん」と正面にデンと陣取った窪田の婆さんが例によって口を開きました。「あれは何千万も費用がかかっているんですよ」
 「今回の日本の場合ですか?」
 「そうですがな!」
 「そういう放送、ありましたかね?」
 「NHKじゃあ、やらんかったけど、民放でしてましたよ」
 「ほう!」
 「提供者は何千万も貰えるし、受ける側はそれだけ払わにゃならん」
 「なんかイヤじゃなあ」との声があちこちから上がり、窪田の婆さんはますます悦に入って、
 「アメリカじゃあ提供者が多いから、割安らしい。それでも費用がかかるというので、よう義援金を募集してますわなあ」
 「お金が絡んでいたんですか?」とわたくしは腕組みをすると、話の接ぎ穂も忘れて考え込んだものです。「そりゃあ、なかなか純粋というわけには行きませんねえ…」
 帰って、そんな話題が盛り上がったことを話すと、
 「臓器提供者は純粋に人のために役に立ちたいと願うんでしょうけどね。だって、いくらお金を貰っても、もう自分はこの世にいないんだから」と妻は言いました。「臓器を貰った人も、何かお礼をしたいと考えるのは自然だと思うけど、何千万となると、限度を超えてるわね」
 「何百万でも大変だ」
 「そうね」
 「窪田の婆さんの話を鵜呑みにするのは早計だとは思うけど、いずれにせよ、そこにお金が絡んで、しかも資本主義の原理が貫徹するようであれば、オレはイヤだな」
 「何よ、その資本主義の原理って?」
 「お金が儲かるってこと!」
 「それはイヤよね。そんなお金、貰っても困るじゃない」
 「そうだよな」と、その夜は珍しく、わたくしたち夫婦の意見が一致したものです。