弥勒寺
「『弥陀仏は自然のやう(様子)をしらせんれう(方法)なり』という親鸞晩年の有名な言葉があるわな」と弥勒寺さん。
「ええ」とわたくし。
「自然とは義なきを義とするとも、あらゆるところで述べている」
「ええ」
「自然が無上涅槃だとも述べている」
「ええ」
「極楽とは無為自然だとも、どこかで引用してるでしょう」
「はい」
「その自然って何だろう?.義なきを義とするからには、語ること自体がすでにその何かから離れてしまうのだけれど、ただ、語らないことには神秘主義、あるいは呪術の類いに陥ってしまう」
「だから浄土真宗では聴聞が強調されるのかな?」
「ただね」と弥勒寺さんはその口元に笑みを見せました。「そこではひたすら信心が強調されるわけだ」
「ええ」
「昔は極楽・地獄がその格好のテーマで、今は悪人正機だわな」
「大きな行事で招くご講師の話を伺うと、まあ、そうまとめられるでしょうね」
「そもそも、浄土真宗の言う阿弥陀仏とか極楽とかは、いわばサンボル(象徴)でしょう」
「?」
「つまり、形のないものをあえて形で示しているわけだ」
「衆生教化のために?」
「そう。『教行信証』をいくら読んでも、信心の論証はあっても、信ずる対象である仏教とは何かは出て来ないわな。さっきの話に戻れば、サンボルが微に入り細に渡って描かれている」
「まあ、そうとも言い得るでしょうけどねえ…」とわたくしはやや付いて行けなくなりました。
「親鸞の確信の深さがあの引用のリズムとなって、詩のような確かさでオレたちに迫るから、その親鸞の心を疑わないんだ。それがまた、親鸞に付いて行こうといった気持ちにもつながる」
「ええ!」と、それにはわたくしも賛成でした。
「あれはつまり、救われる側の論理だわな」
「救う側ではない…と?」
「そう!」と張りのある頬の弥勒寺さんが断定すると、ひどく説得力があるのです。「もちろん、それは大したことだけれど、仏教とという前提がそもそも稀薄な現代において、受け入れがたいと感ずる人も多いんじゃなかろうか?」
「だけど、親鸞ほど論じられることの多い仏教者はいないと言いますよ」とわたくし。
「それは歎異抄の影響でしょう」
「まあ、そうでしょうけど…」
「歎異抄だけだと、仏教には行き着かない。どんな宗教でも当てはまるところがあるから、いろんな人がいろいろ語れるわけだ。だから、ちょっと物の分かった人は、教行信証を読まなければ親鸞の思想の本当のところは分からないと言うけれど、ただ、それだけだとやはり、仏教の本当のところは分からないと思う」
「だけど、そこは義なきを義とする他ないんじゃありません?」
「だから、元に戻ることにもなるんだけど、たとえば道元の正法眼蔵のような書には、その義なきところの義が縦横に論じられているわな」
「2人で1人?」
「イヤイヤ」と弥勒寺さんは苦笑しました。「オレにはそんな大それた意図はない。ただね、浄土真宗はあくまで在家仏教の立場だし、オレはその地点にしか立てないけれど、それでも仏教とは何か、その本質を曲がりなりにも納得しておかないことには、居心地が悪い。つまり、仏教の内側をそれなりに知っておきたいという欲求があるわけだ。すると途端に、その膨大な、2500年に渡る仏教の思索と実践と資料に目がくらむけれど、それが正法眼蔵1つでまかなえると考えると、難解とは言え、ホッとする面もあるねえ!」
「それは別に正法眼蔵でなくともいい話ですよね?」
「もちろん!」と弥勒寺さん。「ただ、そこには確かに本物が息づいているとオレは感じたという、それだけの話さ」
「時に念仏禅という言葉を目にすることがありますよね」とわたくしなり納得しました。「いわゆる宗派単位で仏教を論ずる時代ではないんでしょうね」
「念仏禅という言葉にも、どこか宗派の臭いが付きまとうけどなあ」と弥勒寺さんはまた苦笑しました。
腕時計に目を落としたわたくしは、
「あっ、もうこんな時間だ!」と驚きました。6時が近かったのです。わたくしの寺と違って本堂の照明が明るくて気づかなかったのですが、周囲のガラス戸にはすでに夕闇の気配が濃厚でした。
正面の阿弥陀如来に合掌礼拝して、
「帰ります」とわたくしが立ち上がると、弥勒寺さんも立ち上がり、
「ワインはどう?」と微笑しながら誘いました。
「今日はやめておきます」
「そうか」と言って戸を開けに行く、小柄な弥勒寺さんの所作は、その1つ1つがテキパキとしているのです。「ほんとだ。もう暗い」
丘の上に立つ弥勒寺の西にミッション・スクールの3階建ての校舎が深い陰影を帯びて聳えていて、西陽は隠れ、境内も校舎の陰に包まれています。
「こんな所にもキリスト教の影響があるんですねえ」とわたくしが冗談めかして言うと、
「今年はフランシスコ・ザビエルが来日して450年になるらしい」と弥勒寺さん。「いろいろ記念行事があるみたいだな」
「そうですか…」と言いながら、わたくしが石段の上で靴を履き、そのまま正面の山門に向かうと、
「車は?」と縁の上から弥勒寺さんが問いました。
「下に置いて来たんです」
「車で上まで登ればよかったのに!」
「たまには石段を歩いて上がろうと思いましてね」と振り返ってわたくし。
「そうか」
「失礼します!」
「失礼します!」と本堂の正面に立って見送る弥勒寺さんの細い鋭い目が、その時はひどく柔和でした。
登る時より下りの方が急勾配に見えて、石段の中央に付けられた手すりを握って1段ずつ、靴の裏にしっかりと石の質量感を確かめて下りながら、見ると、街は青く深い夕闇に彩られています。1段下りると1段近付く街の密集した窓の1つ1つに、いま、1人1人の人間が息づいているのです。
「大変な人の数だなあ!」と思わずわたくしはつぶやいたものです。仰ぐと東の空はすでに暮れ、あちらこちらに1つ2つと星が瞬いています。西に城壁のように立ちふさがるミッション・スクールの窓はすでに暗く、まだ明るいのは教師の控え室なのでしょう。
ふと、学生時代に感じた夕闇とその日の夕闇と、いささかも変わるところがないとわたくしは思い至りました。同じ夜空の星が輝いているのです。そしてそこには20年以上の歳月が介在しているのです。20年が一瞬ならば100年も一瞬であり、また1日が永遠でもあるとの観念が、その時、わたくしの心身を駆け巡りました。
そして、石段を降り切って振り仰ぐと、弥勒寺は鮮やかなシルエットをなして、半ば夜空に溶け込んでいました。