ブラックバス
 
 去年の1月、宇田の本家のご主人が突然、亡くなりました。享年、77才。わたくし自身、その年の報恩講参りで自宅をうかがった際、お元気な印象を受けただけに、驚いたものです。
 一徹な人柄で、近所から煙たがられる一面もあったようですが、喪主を務めたご長男が親類縁者の前で、
 「子供には優しすぎる父でした」と涙ながらに語るのを聞きながら、事実、そうだったのだろうとわたくしは納得したものです。誰でも心の安まる場所が必要なのです。本家のご主人の場合、多くの人がそうであるように、それが家庭だったに違いありません。
 毎朝、夫婦連れ立って、古い軒が並ぶ旧道を歩いて、駅前の広い交差点に出、そこからは国道の広い歩道を歩き、町の南の山の麓にある先祖の墓にお参りするのが、日課だったとのことです。
 近年、墓参りの人はどんどん増えています。境内の墓もいつもきれいに掃除され、どの墓にもたいてい花が供えられています。宗教心の復活かどうかはさておき、人々の生活に余裕のできた1つの証しには違いありません。そしてその散策が、日々の健康管理を兼ねてもいるのです。
 魚屋が魚を売りに来る日に墓参りをする奥さんもいます。魚屋は寺の駐車場に車を止めてお得意の家々に連絡するのです。その新鮮な魚を必ず買いに行く妻が、
 「谷本の奥さんは魚の買い出しが主目的で、お墓参りはそのついでみたい」と笑います。「とっても愉快な奥さんなのよ」
 「あなたも五十歩百歩でしょう」
 「そうね」と、むろん、妻も反論できる立場にはなかったのです。
 ところが、1年たって今年の1月、宇田の分家のご主人が亡くなりました。享年、68才。まだ毎日、仕事に出て行くほど元気だったご主人は、仕事場で不意に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。
 そのご主人とも今年の報恩講参りの際には興に乗って長いこと話していただけに、わたくしは少なからず驚きました。
 葬式が済んで、初七日、二七日、三七日と夜集まって読経するのが、この一族の習わしです。それから茶話の席となり、本家の奥さんが主人の死に至る経緯を振り返ったあと、
 「あれは不思議じゃったなあ」と次のように逸話を披露しました。
 その日、新年になって初めて本家を訪れた分家のご主人は、仏壇の前に香を手向け掌を合わせて、『もうみんなの出入りがなくなったろうから、来たよ』と親しく語りかけたそうです。『あんたも急に逝ったなあ。そんなに急がなくてもよかったのに…。じゃが、惜しまれて逝くのもええわなあ』
 そしてその日の午後、分家のご主人は仕事現場の道路上に倒れたのです。
 「そうだったんですか!」とわたくし。
 集まっていた7、8人の人々もみんな、茶を飲みつつ深く頷きます。
 「ああいうこともあるんですねえ」と分家の奥さんも身を乗り出さんばかりの表情です。「不思議だ、不思議だと、本家の奥さんとも言い合ってるんですよ」
 「虫が知らせたんじゃろうなあ」と本家の奥さん。
 「偶然にしては出来過ぎですよねえ」と分家の奥さん。
 それから2、3日後のY谷の念仏講の法話でその話を持ち出すと、集まった10人ほどの婦人たちは一様に深く頷き、感に堪えない風に「ふーん!」と溜め息を漏らす人もいました。
 それはわたくしの予期をはるかに超えた反応でした。つまり、わたくしよりはるかに仏に近いところに、婦人たちはいたのです。それはわたくしの親ほどの年齢の婦人たちだからだと解釈したのでは、これまた何らもたらされ得ないところです。
 月に1度、満月の夜、順番に門徒の家に集って正信偈を唱え、住職が法話をする習慣が、誰も知らない昔からY谷では続けられているのです。そして2月は小柳さんのお宅で行われたのです。
 法話が終わって、お茶が注がれ、菓子が配られて、
 「何もありませんが、どうぞごゆっくりして下さい」と小柳さんが改めて挨拶します。
 「ありがとうございます」と招かれた人々がお礼を言い、お茶を飲み、包みに入った菓子をどれか1菓、礼儀として口にします。それから、
 「それにしても暖かい冬ですねえ」とわたくしが口を開くと、溝に氷がめったに張らなくなったとか、西に開いたY谷に向かって吹き付ける、(谷の人の表現を借りれば)包丁風がトンと吹かなくなったとか、昔は神社の池に厚い氷が張ってうちの子供がその上で遊んでいる写真が今も残っているとか、次々と婦人たちの口が開いて行って、話題は尽きません。
 谷の入り口に広がるT池にも以前は厚い氷が張っていたが、それは冬になると水を抜いたためでもあったそうです。
 「池を干して鯉や鮒を捕っていたんですが!」と戸田の奥さんが言いました。「そりゃあもう、うんざりするほど毎日、鯉や鮒ばかり食べましたよ」
 「今は池を干すことはありませんよね?」と、そんな光景を目撃した覚えのないわたくしが確認すると、
 「もうそれほど世話好きな人がいませんがな!」と戸田の奥さん。「釣りをする人はいますけどね」
 休日になるとT池も、谷の中程にある中池も、いちばん奥の奥池も、夏も冬も天気のいい日には必ず、釣り人が釣り糸を垂れているとのことです。確かに、T池の南の山の北斜面に段々状に広がった墓地に、法事のあと、その一族の人々とともに行くと、冬であっても、池の土手の陽の当たるあたりに人がのんびりと釣りをする光景が見受けられます。
 「鯉を釣っているのですか?」とわたくしが尋ねると、
 「今じゃあ鯉はめったに釣れんでしょう」と戸田の奥さん。「ブラックバスですがな」
 「ブラックバス?」
 「ご院さんはご存じないんですか?」
 初めて聞く魚の名にその由来を重ねて尋ねると、ここ数年来、池の中はブラックバスであふれているというのです。鯉と違ってすぐに掛かるから、釣り人が釣りを楽しむために池に投げ込んだのだろうとのことです。
 鯉も鮒もその魚に食い尽くされて、今では殆どいないらしいのです。
 鯉や鮒のように食べるのかと尋ねると、
 「臭みがあって食べられやしません」と戸田の奥さん。
 「どんな形の魚なんです?」
 「さあ、どうじゃろう。わたしは煮魚になった格好しか見たことがないからなあ」と奥さんは笑いました。
 その魚を調理した経験のある大牟田の奥さんの話だと、形態は鮒に似ているけれど、サイズはもっと大きいそうです。アメリカから来たところなど、ちょうどセイタカアワダチソウが連想されたわたくしが、
 「セイタカアワダチソウは野原に生えるから、ボクにも分かりますが、水の中の急激な変化は見えませんわなあ」と言うと、婦人たちは声をそろえて笑いました。
 「それにしても、あの雑草には余り秋の風情が感じられませんねえ」とわたくしは続けました。「やっぱり白いススキの穂が風に揺れて光る光景が、日本の秋にはふさわしい。どうもブラックバスもあんまり日本にはふさわしくないみたいですね」
 さらに、食用にもならない魚を釣ってどうするのだろうかとわたくしが訝ると、
 「また池に放すのですが!」と戸田の奥さんが言います。
 「?」
 「要するに釣りを楽しんでいるだけなんですよ」
 「すると、同じ魚を何度も釣っていることにもならないですか?」とわたくしが冗談っぽく言うと、婦人たちはまた笑います。
 「一度釣られた魚は口が裂けるから、もう釣れんじゃろう」
 「それにしても…」とわたくしは嘆息しました。「よく釣れるという理由だけから、鯉や鮒を滅ぼしてブラックバスとかいう、おどろおどろしい名のアメリカの魚をわざわざ放魚するとは、いかにも愚かな話ですよね。池がその魚でいっぱいになると、共食いでも始めるかも知れない。生態系を破壊する癌のような存在は、結局、その貪欲な生命力によって自ら滅亡していく他ないでしょう。その原因を作ったのは人間自身だから、自業自得だけれど、何とか智恵を発揮したものですわなあ」
 「ですがご院さん」と戸田の奥さん。「もうブラックバスは放されているんですよ」
 「うーん」とわたくしは腕組みする他ありません。「人間の運命も同じことかも知れないなあ…」
 「わたしらは老い先短い身だからまだいいけれど、若い人が気の毒じゃわなあ」
 「うーん」とわたくしはやはり腕組みをしたまま、さて自分は若い側なのか、それとも年老いた側なのか、ちょっぴり思案したものです。