城下町
「去年は地球の平均気温が2度高かったらしい」と弥勒寺さん。
「ほう!」
「5度低いと氷河期の気温になるというから、2度高いのは大変な数値らしいんだ」
「人間のせいなんでしょうね」
「当然だわな。確かに、冬が来ても、水が凍ることもなければ霜もめったに降りないし、雪も降らない」
「いよいよハルマゲドンの到来かな?」
「そんなものが来なくたって、このままだと大変だ」
わたくしの運転する車は、F市を山1つ北に越えて東西に延びた4車線道路の、ほぼ半ばの広い交差点で赤信号にかかったのです。その一角は大学のキャンパスが冬の日を浴びて広々と見渡せる奥に白い校舎が並んでいます。その西隣には総合病院の移転予定地が、これまた広がっているのです。道路に沿って次々と、広い駐車場のある大店舗が新規に開店しつづけて、近隣の昔ながらの個人経営の店が閉じられていく噂が絶えません。
信号が青に変わって再び発進した車の助手席から周囲を眺めつつ、
「都会の人の方がむしろ歩く習慣があるらしいね」と弥勒寺さん。
「と言うと?」
「私鉄、地下鉄、環状線と交通網が整備されているだろ。自家用車だとかえって交通渋滞にかかるのが落ちなのさ」
「なるほど」
「今は1家に1台じゃなくて、1人1台の時代だものな」
「それは分かります」とわたくしは頷きました。「この道路が作られていた時、タヌキ以外に何が走るのだろうと疑ったものですが、とんでもなかった。これでも朝夕の通勤ラッシュ時には信号待ちの車が数珠繋ぎですからね」
しばらく東に走るとF市からK町に入り、よく渋滞する交差点で案の定、信号待ちです。隣の弥勒寺さんがいささかイライラしながら、
「K町も早くF市と合併しないとダメだな」
「今度こそ実現するらしいですよ」
「以前から話だけはあったよな」
「もう30年越しですよ。初めF市から打診があった頃はK町が景気のいい時代でしたから、断って、いずれ高く自分を売り込むつもりだったらしいんですけどね。ところが、売れ残った娘みたいになって、今度はF市が消極的になったんですよ」
「K町の財政は火の車らしい」
「これといった産業がありませんからね」
わたくしはそう言うと、青信号になって発進した車の列に続いてハンドルを右に切り、F市に向かって南に延びた幹線道路を80キロ近いスピードで走りました。まだ田が広がっている平野を、川土手に出るとゆるやかな勾配の上り下りを繰り返して広々と青い空の下の左右の山を視界に入れつつ、パチンコ店や喫茶店、中華飯店、ガソリン・スタンドなどたちまち背後に取り残して走るのです。
やがてひときわ高い山の裾を巡るように走る高架の高速道路の下をくぐり、ゆるやかな下り坂をF市街の中に入り込みました。
「さっき大学の角の交差点がありましたよね」とわたくし。
「ああ」
「あの交差点から南に延びる広い道路はまだ工事中ですが、どこを通るかご存じです?」
「A河に出るんだろ?」
「それから?」
「F市の中心街に通じるんだろうけどなあ…」
「O峠がありますよね。あの手前に出て、峠の崖を削って4車線にして、市街に入ってからもずっと広げて行って、いま建設中のバス・ターミナル・センターに接続するらしいですよ」
「へえ!.しかし、それはまた大規模な計画なんだなあ!」
「国の管轄になったそうですから、やるでしょう」
「そこまで徹底しないと、交通渋滞は解消しないだろうけど、完成まで時間がかかるだろう」
「10年計画らしいですけどね」
「10年たつ内には、また間違いなく新たな問題が出て来るね」
「そうでしょうね」
「イタチごっこが世の中で、タヌキの化かし合いが人生かも知れない」
F市街に入ると信号が続き、下手をすると1つ越す毎に信号待ちをしなければなりません。この南北に延びる幹線道路が出来てから開発された、ここ2、30年のこの辺りの新市街にはまるで城下町の面影はなく、遠くの山は削られて、木立越しに工業団地のマンションが覗き、ぴっちりと並んだ1戸建て住宅も見え隠れするのです。
「以前の静かだった城下町の時代を懐かしむ人も少なくない」と弥勒寺さん。
「それはしかし、一種のセンチメンタリズムでしょうね」とわたくし。「そう言う人が、それでは本当に過去に戻ることを望んでいるかというと、そうとは限りませんよ」
「要するに、進歩がいいことずくめでもないわけだ」
「そりゃそうですけどね」
そのまままっすぐ、新幹線の高架の下を通過して南に出れば、国道2号線を横切り、入り江に架かった高いアーチ橋を渡って、区画整理の行き届いた新開地に至るはずなのです。田畑が年々店や住宅や駐車場に変わる、その度に1軒また1軒と豪邸が建つ、そして時々ギョッとする事件が起きて新聞やテレビを賑わせる、F市でも最も変化の激しい一帯なのです。さらに走って海岸線に出ると、海を隔てた向こうの埋立地には、広大な鉄鋼所がその高い煙突から火を吐き続けているはずなのです。
しかしわたくしは西に折れて広い道から丘の手前で旧道に入り、生垣越しに閑静な住宅の並ぶ、普通車がかろうじてすれ違う道を速度を落として抜けて、坂を登って弥勒寺に到着しました。
「今日は暖かいなあ」と車から降りた弥勒寺さん。
「風がないですね」と続いて車から降りたわたくし。
「昨日までとは大違いだ」
「確かに平均2度くらい暖かいですよ」
「オレが子供の頃は新幹線は走っていなかったし、見渡す限り田が広がっていたものだ」
そう言うわたくしたちの目の前で、南に1直線に延びる新幹線に吸い付くようになめらかに、しかし素速い音を残して、『のぞみ』が疾走しました。
「仏教の社会化を叫ぶ人がいるけれど、何か空しく響くよな」と弥勒寺さん。「とうてい今の時代の速さには追い付けない」
「王法と仏法は別物だと考えればいいんじゃありません?」
「あなたはそう言う考え方だったな。だけれども、いざ真剣に現代という時代を生きようと志すとき、それはどこか自己欺瞞の芽を孕んでいないか?」
「それはその人に依るとしか言えないでしょう」
「ふん」と腕を組んで、しばらく弥勒寺さんは地鳴りのような街のざわめきに聞き入っていました。「伝統仏教には伝統仏教の役割があるということか?」
「ボクはそう思いますね」
「単に時代の背景に過ぎなくてもいい、と?」
「『単に』と『過ぎない』とは余計だけど、そういうことです」
「それはしかし、東京や大阪、とくに東京では通用しない考え方だろう」
「ここは東京じゃありませんしね」
「ははは!.そういうことだ!」
「仏教と寺院とは、言ってみれば不即不離の関係だから、現代の大半の寺院は伝統仏教と言うことでしょう。それらは歴史の重みの中で維持されて来たわけだし、それなりの存在意義が確かにあるはずです。しかし、1仏教徒としてのボクには、むろん、別の観点がありますよ。それは、あるいはアブクのようにはかなく脆いものかも知れないけれど、アブクにはアブクの形態や動きや美しさがあるはずだから、それを語ることにもなにがしかの意義はあると思いますね。ダイヤモンドではない、一握の砂の存在感をボクは示したいんです」
「それが仏教かも知れない」
「『が』と断定するほどの奢りはありませんけど、『も』くらいには考えていますね」
「が・も・が・も!」と弥勒寺さんは笑います。「とにかく中に入ろう。あなたの理屈を聞くことが、最近のオレの楽しみになってしまったようなんだ」