狂騒曲
 
 1月中旬の2日間、F市の午前7時前の駅構内は高校生で群れ返すのです。6時半頃から教師とおぼしき人々に混じって若者たちが次々と制服やらコート姿で現れて、たちまち改札口の周りに膨れ上がり、それぞれの高校の教師のチェックを受け、高校によっては電車の回数券を受け取る生徒もいるのです。
 遠足と違って教師の周りにいても会話は少なく、笑顔があっても、構内に響く高笑いは湧きません。わたくしの高校からも100人以上がセンター試験に挑み、したがって7時が来てもまだ現れない生徒が何人か出て、担任は電話ボックスに急がなければなりませんでした。いま家を出た生徒もいれば時間をまちがえた生徒もおり、受験票を忘れた生徒までいたのです。
 すでに大半の生徒はホームに上がっています。試験会場で仮受験票の交付が受けられるとのことで、忘れた生徒もホームに送り出し、最後に車から駆け下りて走って来た生徒と共にわたくしも改札をすませ、高架ホームに駆け昇ると、ちょうど臨時電車が到着したところでした。
 「おーい、Jさん!」と後部車両の乗降口で藤木先生が手を振りました。「こっち、こっち!」
 そう言われてもそこまで走るのはおっくうで、生徒をすぐ前の車両に押し込むとわたくしも入り、ドアが閉まって発進してから、他校の生徒をかき分けて自校の集まる車両まで行くと、後ろの車両は意外に空いています。通路に立つ生徒はなく、座席のあちこちに空席が目立つのです。
 「前の方の子は気の毒だなあ」とわたくしは言いました。
 「ちゃんと指導していないところがあったんだ」と藤木先生は言います。「前もって高校毎に車両を割り振りしていたのに、教師が1人も来ていない学校があった」
 「どこか分かる?」
 「F高校だ」
 「あそこは大人数だろ?」
 「向こうの駅でチェックする予定らしいけど、こちらにも誰かいないと端迷惑だ」
 「うん」と生返事をしたわたくしは、小刻みに揺れる列車に身をゆだねつつ、冷たく明るむ真冬の海を眺めました。
 列車はやがて海を離れて山間に分け入り、その北斜面にはあちらこちらに霜がまだ白く残っています。南斜面は落葉樹の枝に茶色っぽく覆われ、2車線の道を車が往来し、道沿いには赤い瓦の家々が散在しています。そこには確かに海からすぐに山の中に駆け上がる感覚があって、「島国=日本」が改めて実感されたものです。
 1時間ほど乗ってやっと目的のS駅に到着すると、狭いホームは若い男女で一時ごった返し、藤木先生とわたくしは車で前もって来ていた先生たちと合流したのです。ここでもう1度、生徒を確認して、15分ほど一緒に歩いて受験会場の高校に生徒たちを送り込むと、校門の前に広がる畑の陽光の中に残されたのは教師ばかりです。
 「どこかで朝食にしましょうや」とリーダー格の江口先生が言って、わたくしたち6人の教師は畑を巡る小さな道からまた家並みの中に戻り、駅前まで帰ってホテルの2階にある小さな喫茶室に入りました。
 メニューを見ても朝の食べ物はモーニング・サ−ビスしかありませんでした。そこで、洋風のものを注文したわたくしは、マグカップに入ったスープを少し待って冷めてから飲んだ後、半切れのパンを溶けたバターともどもギュッとかじりつつ、サラダを食べて、同じ皿に添えられたゆで卵を頬ばり、ウエイトレスが運んで来たコーヒーを味わったものです。そうやってそれぞれに朝食を済ませると、あとは店の新聞や雑誌を広げて、1時間目の英語の試験が終わるまでここで時間をつぶさなければならないのです。
 わたくしと同じテーブルに坐っていた三田村先生は口髭を蓄えたヘビー・スモーカーで、食後、さっそくタバコの煙をフーッと吐き出しつつ、
 「何だな、Jさん、東大と京大の受験生獲得競争に巻き込まれた生徒たちはかわいそうだったよな」
 「?」
 「ほら、A・B日程に国公立大学を東西で分けて、受験生に大学を2つの合格校から選択できるようにした時期があったじゃない」
 「ええ」
 「すると、京大から東大に大半の合格者が流れたものだから、あわてた京大が前期・後期の複数受験制度を作ったわな。前期で合格した受験生はB日程や後期試験の受験資格が失われるようにしただろ」
 「1つの大学だけで出来る変更じゃないでしょうけどね」
 「だけど、京大、特に法学部が音頭を取って立ち回ったことは間違いない」と背の高い三田村先生は大きく背もたれに寄りかかって、またタバコの煙を吐き出します。「いったん京大に合格してしまうと、今度はB日程まで待って東大を受験する生徒が減ったんだよな。それであわてた東大が、『東大受験生を守る』などと言って、前期・後期の複数受験の導入に踏み切ったのが、事の本質でしょう。その延長線上に現在の受験情勢があるわけだ」
 「確か前期でオーソドックスな学力の学生を選び、後期ではユニークな学生を選ぶというのがその趣旨でしたよね」
 「それもあるけれど、まあ、後から取って付けたような理屈だよ」
 「誰か、もう少し京大がA日程で頑張っていれば、東大神話が崩れたかも知れないと論じていましたよ」
 「その前に京大自体が崩れたかも知れない」
 「ははは」とわたくしは笑いました。「いずれにせよ、明治以降の日本の近代化にとって、全国から優秀な人材を東大に集める受験装置が有効に機能したことだけは確かでしょうね」
 「東京1極集中の、いわばシンボルみたいなものだからな」
 「それがまだ有効かどうかが、今問われていることでしょうけどね」
 「どう思う?」
 「そもそも、パリを中心に同心円的に広がるフランスみたいな国と違って、日本は東西及び南北に細長く延びているでしょう。1極集中にはムリがある地形ですよ」
 「昔は京都が中心だったんだぜ。今はもちろん東京だけど…」
 「それは歴史の表層での話でしょ。公的文書には直接に現れないところで、京都とは違う感性の文化が地下水脈的に流れていたことが、最近掘り起こされつつあるじゃありませんか」
 「民俗学的な視点とか?」
 「それとか、縄文文化と弥生文化とか、あるいは農耕民と非農耕民とか、いろんな学説が出されているじゃないですか。とりわけ、浄土真宗の普及には山の民や川の民、つまり縄文の流れを汲む非農耕民が深く関わっていたとの指摘は、少なくともボクには新鮮なショックでしたね。そしてそれを差別問題と絡めて辿ると、これまたショッキングな視界が広がっていくんですよ!」
 「ははは!」と今度は三田村先生が笑います。「Jさんに歴史の授業をやってもらおうか。生徒が喜ぶかも知れない」
 「1時間なら構いません」とわたくしは軽く受け流しました。「その代わり、三田村さんがボクの国語を受け持たないとダメですよ」