あぶな坂
 
 学生仲間とともに、中島みゆきの「あぶな坂」を聴いては興じていた時代があります。まだ彼女が売れっ子ではなかった頃で、その派手な憂い顔の詩とメロディーが、殊に早瀬のお気に入りだったのです。
 早瀬はしばらくマンドリン・クラブに所属していたくらいですから、それなりに音楽に趣向があり、レコードの曲が全て流れ終わると自動的にアームが戻る、当時、最新式のプレイヤーをその暗い汚ない下宿部屋に持っていました。わたくしが永富を介してその下宿にも出入りするようになった頃の早瀬は、もう昼間はカーテンを閉め切って寝るという生活でした。
 日が暮れて夕食時分になると、「今日は早瀬のところに行こうか」と永富が言います。
 「まだ早いんじゃない?」とわたくし。
 「なあに、起こせばいい。奴の健康のためだ」
 賀茂川に近い永富の下宿から今出川通りを渡って静かな北白川の住宅地区に行くと、その一角に早瀬がいます。予想通りカーテンが閉じられていて、
 「チェ!.まだ寝ていやがる!」と笑いながらわたくしを振り返った永富は、トントントンと優しく窓ガラスを叩きました。
 「早瀬、早瀬、いるか?」
 「ウーン、誰?」と中から声がすると、今度は笑顔で黙ってわたくしを振り返った後、
 「オレだ、永富だよ。Jと来た」と永富。
 「待って…」
 しばらくゴソゴソしていた早瀬がやがてカチンとドアのロックを外し、
 「やあ」と、その若白髪の顔を出しました。「久しぶり」
 「3日前に来たばかりじゃないか」と言い終わらないうちに、永富は早瀬を押しのけるように中に入り、わたくしもその後に続きます。
 4畳半の奥にベッドがあり、南の窓に向いて机があり、脇に本棚があります。本棚の最下段いっぱいにレコードが並び、例の木目調のプレイヤーがあり、その両隣には大きなスピーカーがデンと据えられているのです。
 あぶな坂を越えたところに
 あたしは住んでいる
 坂を越えてくる人たちは
 みんなけがをしてくる
   橋をこわしたおまえのせいだと
   口をそろえてなじるけど
 遠いふるさとで傷ついた言いわけに
 坂を落ちてくるのがここからは見える
 ……
 そんな「あぶな坂」の歌詞がひどく早瀬の気に入り、それがまたわたくしたちにも感染していたのです。レコードを聴こうと思えば早瀬の下宿に行く他なかったわけですから、そこには、彼の趣味には逆らえないという事情も介在していたのですけれど…。
 「おまえ、ホントに教師にならないのか?」と永富は楽しげな口調です。
 「分からないなあ」と1つ首をひねってタバコに火を点けた早瀬は、灰皿を探しました。
 部屋の隅に重ねられた本の陰に灰皿を見つけたわたくしがそれを前に差し出すと、
 「ありがとう」と早瀬。
 その山盛りの吸い殻を見て、
 「オイ、何とかならないのか」と永富が言っても、
 「ならないなあ」と早瀬は白い煙を吐き出すばかりです。
 「チェ、こいつ、2次の面接試験にどういう格好で行ったと思う」と永富は愉快そうに目を輝かせてわたくしを見ました。「下駄だぜ、下駄!.しかも遅刻してやがる」
 「それでも入れてくれたから、よほど教員不足なんだろうなあ」とタバコの灰をトントンと指先で叩いて灰皿に捨てながら、早瀬が言いました。「かえって気の毒な気がしたよ」
 「ホント?」と永富は期待はずれの不安な面持ちになりました。
 「ところで、Jはどうするつもりなんだ?」と早瀬が真面目な表情でわたくしを見つめます。「就職するのか?」
 「分からない」とわたくしが言いながら視線を外したその先に、本棚の隅に並べられた『仏教の思想』シリーズの本が3冊並んでいます。
 その視線を辿った早瀬は、
 「そうか。寺を継ぐのか」
 「分からない」と言いながら、わたくしは体を伸ばして、『仏教の思想<ブッダ>』を手に取りました。「おもしろい?」
 「それはオレよりJの方が専門だろう」と早瀬。
 「いや、オレにはピンと来ない。それに、寺でやっていることは、葬式と法事だけだから、そのどこが仏教なのか分からないんだ」
 「それを見つけるのがキミの仕事になるのさ」
 「そんな坊さん、日本にいるのかしら?」
 「他人のことはどうでもいいんじゃないの」と早瀬は静かにタバコをくゆらせ、穏やかな目でわたくしを見つめました。「仏教は確かにあったし、今も多分あるはずだから、キミはキミなりにそれを探せばいいんだと思うな」
 「どこに?」と思わずわたくしの語気が強まりました。
 「そりゃキミ次第だ」と早瀬は笑います。「オレも詳しくはないが、この学者、知ってる?」と、早瀬はわたくしが手にした本の背表紙に書かれた、梅原猛という共同執筆者の1人を指さしました。
 「いや」
 「面白い人だ。読んでみればいい。貸してあげるよ」
 「いや、自分で買ってみる」とわたくしはその本を本棚に返したのですけれど、その時初めて、「やんちゃくれ」のような学者・梅原猛の存在を知ったのです。
  早瀬はわたくしたちの訪問の目的の1つがそのレコードにあることを知っていましたから、
 「高尚な気分に浸ろうか」と、まずしばらくモーツァルトをかけていましたけれど、わたくしたちの無反応を察知すると、すぐ中島みゆきに代えました。
 「出た!」と永富。
 「キミたちにはこのレベルでないと分からないだろう」と言いつつも、早瀬もご満悦の面持ちです。
 今日もだれか哀れな男が
 坂をころげ落ちる
 あたしはすぐ迎えに出かける
 花束を抱いて
   おまえがこんなにやさしくすると
   いつまでたっても帰れない
 遠いふるさとはおちぶれた男の名を
 呼んでなどいないのがここからは見える
 ……
 「坂をころげ落ちる」というフレーズが殊に早瀬のお気に入りで、ついニンマリと口元がゆるみ、思わず手にしたタバコの灰をポトリと畳の上に落とすこともしばしばだったものです。
 文学部の学生の中にも4年で無事、卒業した者も勿論少なくありませんが、5年はザラでした。しかし、6年目はさすがに急激に減るため、5年の秋が来ると、たいてい深刻な顔をして大学キャンパスを右往左往し始めるのです。わたくしたちも例外ではなかったのですけれど、早瀬だけは相も変わらず昼寝て夜起きる生活を続けていました。だから、彼が教員採用試験を本当に受験に行くか賭をした仲間もいたくらいで、行かない方に賭けた者が(そう思う方が楽しかったのでしょう)多かったのですけれど、本当に受けたと聞いて、早瀬もとうとう社会復帰を果たす気になったのかと、誰もが落胆半ば納得したものです。ところが、下駄履きの上に遅刻したのだと知ると、「やはり早瀬は早瀬だ」とわたくしは妙に感心したのです。
 「だけど、採用なんかされっこないよ」と永富は確信していました。「そんな教員がいたら、生徒がかわいそうだ」
 「ユニークだから、かえって人気が出るかも知れない」とわたくし。
 「そのユニークさも学校の枠の中のものでないとね。そもそも、採用試験にそんな態度で臨むこと自体、その枠を踏み外している」
 「それはオレのことか?」と早瀬。
 「そう!」
 「まあ、勝手に言ってくれ」と早瀬はいっこうに意に介する風がなく、そんな彼の性向を永富は熟知していたようです。
 しばらくボンヤリとレコードを聴いた後、
 「夕飯を食いに行かないか?」と永富が誘うと、
 「行こうか」と腕時計に視線を落として早瀬が言いました。「近所に安い中華飯店ができたんだ」
 「よし、決まった!」
 わたくしたちに続いて出て来た早瀬は、下駄をカランカランと鳴らして歩きます。当然、裸足ですから、
 「もう寒くない?」とわたくしが尋ねると、
 「大丈夫さ」と早瀬。「オレは修行を積んでいるんだ」
 「面の皮ばかりじゃなくて、足の裏の皮も厚いのかも知れないな」と富永。
 「それはあなた」
 「まあ、いい。で、どこ?」
 「そこの角を曲がるんだ」
 深い生垣や長い塀の連なる閑静な住宅地区の夜は、白く光る電柱の明かりばかりが秘やかに連なっています。時折り学生の乗る自転車に出会ったり追い越されたりしながら、早瀬の指し示す広い道に出ると、ポツンポツンと店があります。1、2年生の時には物珍しく楽しかったそんな光景が、今では「あぶな坂」の世界かと空想されるほど、確かにわたくしたちは学生生活に倦んでいたのです。それでいながら、次のステップを踏み出せないでいたのです。
 翌年の春、永富は大阪の教員に採用されましたけれど、早瀬は結局、辞退しました。もう1年、大学に残ったわたくしは、東京で職を転々とした果てに郷里に戻り、教員勤めの後、寺を継ぎました。さらに1年、大学に残って、仲間をアッと驚かせたことには大学院に進学した早瀬は、4年間在籍したあと、親から最後の学資だと手渡された100万円を元手にドイツに留学しました。
 「オランダのアムステルダムの運河に身元不明の日本人の水死体が浮かんでいたと報道されたら、オレのことだと考えてくれ」などと冗談半分に語っていた彼の消息は、その後、誰も知る者がありません。