確信の夜
 
 浄土真宗の信心の要諦は、阿弥陀が第18願、つまり「わが名を1念なりとも称えた人が1人でも極楽に行くことがないならば、わたしは仏にならない」と誓い、仏になったからには、ナムアミダブツと唱えれば誰でも極楽往生が出来るのだと信ずるところにありましょう。しかし、それは信じる人には信じられるけれど、信じられない人には信じられないといった類いのものに違いありません。
 つまずきの元は、現代人にとって、「信じる」営みに強い「自意識」が働いているところのあるように、わたくしには思われます。「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの近代自我の精神が曲がりなりにも日本にも定着したせいかどうか分かりませんが、そういう角度から眺めると、真宗の信心は、他の仏教諸派と比べても、不合理あるいは前近代的に映るに違いありません。
 「親鸞思想で克服されなければならない問題点の1つは、その教典絶対主義だ。なぜなら、現代において教典の絶対的権威は失われているのだから」と誰か指摘していましたけれど、それは、親鸞をその出発点から理性的あるいは哲学的に読む過ちから来るものではないでしょうか?
 信心とはそもそも破天荒なものなのだと居直れば、ひたすら教典に基づいて論を展開した親鸞の営みもまた違う色彩を帯びて見えて来るはずです。「信心」の本質とは取りも直さずその「確信の深さ」ではないかと、わたくしは考えます。「生死」の大海に浮沈する人間存在がどれだけ確かな「生」を、そして「死」を全うできるかが、要するところ、生きる意義にもつながるものでしょう。
 親鸞のピクリともしないその確信の深さに、わたくしたちは打たれるのです。たとえ衆生利益のために浄土3部経を1000度読もうという自力の心を起こしたと反省する姿であっても、わたくしはそこに不信よりも信を強く感じてしまいます。
 思えば、弥陀の第18願ほど大乗仏教の真髄を端的に表現したものはないかも知れません。そこには衆生救済の願いが強く深く感動的に描き出されているのですから。そしてそれはまた、仏陀の願いとも重なるもののはずです。自己の悟りのみがその目的であったならば、仏陀は菩提樹の下で悟りを開いた後、その布教活動に45年間の後半生を費やす必要などなかったことでしょう。
 どんな宗教であれ、その根幹に布教活動があるのは、衆生救済という願いがあるからに違いありません。そういう営みの積み重ねの2500年に渡る結果としての現代仏教、とりわけ浄土真宗を考える時、それが単なる無根拠・無意味とはとうていわたくしには断じ得ないのです。ウソで仏教の2500年の歴史があろうか?まやかしによって浄土真宗の700年があろうか?ウソやまやかしがまかり通るのは、せいぜい10年、20年ではないか、たとえばオウム真理教のように。
 そういう角度から、わたくしは弥陀の第18願を考えてみたいのです。そして、そこをそういう風に突破すれば、後は親鸞聖人のしぶといまでの思弁の跡をわたくしなりに辿るだけなのです。
 「浄玄寺さんもとうとう帰還したかという感じだなあ」と、わたくしの話を聞いた後、弥勒寺さんは微笑しつつ言いました。「宇宙飛行士を迎える心境だ」
 「ははは!」とわたくしは笑ったものです。「そんなに遠くまでボクは浮游していましたか?」
 「1つ間違えば宇宙の果てまで飛んでいく不安が、若い頃のあなたには確かにありましたよ」
 「ウーン」とわたくしはソファにドッともたれかかり、広い窓の外に広がる夜景に目を移しました。弥勒寺はF市の東、ミッションスクールの聳える丘に地続きで、後背地に墓地を控え、南に向いて長い石段の上に建てられています。したがって、地には静かな住宅の明かりが広がり、天には星が瞬いているさまが、ゆったりと眺められるのです。
 「風が強いようですねえ」とわたくしは広い窓ガラスがかすかに震える様子を眺めました。
 「丘の上だからなあ」と弥勒寺さん。「冬になると、下ではおだやかな日和でも、寺まで帰ると風が冷たくて、身をすくめることが多々ある」
 「寺はいろんな意味で風当たりが強いですからね」
 「だから心身ともに引き締まるんだろうけどね」と言った弥勒寺さんは、ブランデーの瓶を傾け、またわたくしのグラスにトクトクとまろやかな色合いの洋酒を注ぎました。「今日は車で帰るのはあきらめて、泊まりなさいよ」
 「はあ」とまた舌の上にブランデーを数滴、滴らせ、その熱い薫りが頭をクラクラとさせる快感に酔いつつ、「もう若い頃のような濫読は出来ませんねえ」
 「その必要もないんじゃないか?」
 「イヤ、いつまでも知的関心の旺盛な人がいますよ」
 「うらやましい?」
 「あれこれ比較することには、とにかくボクは疲れましたね」とわたくしは言って、フウッと熱い息を吹き出します。「50年近く生きて来て、ああすればよかった、こうするんだったと後悔しても、仕方がない」
 グイと一息にグラスをあおった弥勒寺さんも、
 「フウ!」と体全体で息を吐き出し、立ち上がると、窓を開けてしばらく火照った顔を冷たい風にさらした後、
 「星がきれいだ。こりゃ今夜も冷え込むぞ」と言いました。
 「みんな星ですか?」とわたくしはいささか酔いにまかせた口調です。「人工衛星も1つや2つ飛んでいるんじゃありません?」
 「かも知れないなあ」
 「顔が熱いや」
 「ちょっと出てみるか?」と弥勒寺さんが振り返ります。
 「いいですね」
 応接室から広い廊下に出て、玄関を開けて境内に出ると、冬の夜の風が強く体にまとわり付き、見る見る体内のアルコールが吹き飛ばされていくのが分かります。それにつれて夜空の星と同じように意識が澄み切って行き、街が眺められるように低く巡らされた白塀の前で枝をくねらせた松の黒い影が、仄かな光に鮮やかに映し出されます。
 振り返ると本堂の甍が空を半ば隠し、その裏に墓の影が林立して静まり返っているのです。
 「友情は数年単位、親類は数十年単位、寺は数百年単位ですよねえ」とわたくしは何気なく口にしたものです。「その意味の深さを思い描くこの頃ですよ」
 「長ければいいってものではないだろうけどね」と言いながら、弥勒寺さんは本堂の西に広がる舗装された駐車場に歩を運びます。「ただ、寺の維持は大変だ。あなたも境内の整備には苦労したでしょう?」
 「ええ」とつぶやきながら、わたくしは建てられてまだ10年と経たない本堂を仰ぎました。それは地階に研修会館を備えた立派な建造物で、そもそも丘の上にあるために地崩れが心配なことから始まって、南斜面の補強工事はもとより、本堂・庫裡の全面新築に至ったとのことなのです。
 「戦後の日本はまず街がきれいになり、家がきれいになり、墓がきれいになり、最後に寺がきれいになったわけだ」と弥勒寺さん。
 「バブル時代の最後の花ですかね?」とわたくし。
 「ははは、違いない!」と弥勒寺さんは笑います。「それしてもきれいな星空だなあ。冬だからこそ、こんなにきれいなんだ」
 「不思議ですねえ」
 「ウン、不思議だ」
 「不思議なことは驚くべきことですよねえ」
 「ウン」
 「弥陀の18願って、結局、そういうことなんでしょうね。夜空が不思議なように不思議なことなんですよね」
 「だから、ありがたいんだろうな」
 「そうかも知れないけど、ボクはまだありがたいという感覚にまでは行き着いていません」とわたくしは独り言のようにつぶやきました。「不思議だとは思いますけどね」
 「それでいいんじゃないの」と言った弥勒寺さんはブルッと肩を震わせ、「寒い、寒い。中に入ろう!」
 「ええ」
 「今晩は泊まるんだぜ。奥さんにはオレから電話しておこうか?」
 「イヤ、ボクがします」と言いながら、わたくしは弥勒寺さんに続いて暖かい庫裡の中に引き返しました。