赤光
 
 キミョームリョージュニョーライ
 ナーモーフーカーシーギッコー
 ホーゾーボーサツインニージー
 ザイセージーザイオーブッショー
 ……
 これは正信偈の冒頭部分ですけれど、真宗門徒には聞き覚えがあっても、他宗の人には何のことはまず分からないでしょう。真宗門徒であっても、ふだん読み慣れていないと不可解でしょうし、たとえ日夜おつとめをしていたとしても、その意味を理解できる人は、さらに稀に違いありません。
 それを密教化と呼ぶのはまだ許容できますけれど、加持祈祷・呪術の類いと同じだと断ずることには、わたくしは強い抵抗を覚えます。
 「ご住職!」と、通夜の席で一言居士で鳴らしていた池山さんがかつて問うたことがあります。「何ですなあ、お経はわたしらには何のことかチンプンカンプンですがな。もう少しわたしらにも分かるようにしてもらわんとなあ」
 「お経の冒頭は如是我聞という句で始まる場合が多いのです」とわたくしは答えたものです。「訳すと、わたしはこういう風に聞いていますと言うことでしょうけど、それは、こういう風に信じていますという信仰告白の意味でもあるわけですね。つまり、まず信心があって、意味は後からついて来るということじゃないでしょうか」
 「意味を聞いてから信じようというのは高慢だということですか?」と池山さんはなかなか鋭い反応でした。
 「まあ、何というか、何でもすぐ分かると、すぐ飽きるものでしょう。何度も何度も読んでジワジワと納得していく方が、身に付きますよ」
 「しかし、わたしは何度聞いてもちっとも分からん」と池山さんは周囲を振り返ります。「なあ、難しいわなあ」
 池山さんのきかん気をよく知る親類縁者の方々は、苦笑するばかりです。
 「ですから寺に法話を聞きに来て下さい。あるいは、もっと余裕にある時にわたしを尋ねて来て下さい」とわたくしは言いました。「わたしも詳しいわけではありませんが、そういうお話は、もちろん、喜んでお聞きします」
 「それが、ご住職、貧乏ヒマなしで、なかなか寺に行く時間がないんじゃが!」と池山さんが照れ笑いを漏らすと、周囲にさらに苦笑の輪が広がったものです。「じゃから、この際聞いてみようと思うたまでです。気を悪くせんといて下さい」
 「いえいえ、とんでもない!」とわたくしは答えましたが、大半の人の思いも池山さんと似たり寄ったりのことでしょう。けれども、それを口にしない穏健さがまた、日本人の特性の1つに違いありません。むろん、坊さんのいない場では違う会話もあり得るでしょうが、目の前にいると、そうは行かないのです。一応取り繕う心性が、
 キミョームリョージュニョーライ
 ナーモーフーカーシーギッコー
 ホーゾーボーサツインニージー
 ザイセージーザイオーブッショー
 ……
 と意味も分からぬまま唱えることにも、それを黙って聞くことにも、つながっているのではないでしょうか。
 「それが宗教心だと思う」とわたくしは、X氏にワインを注ぎながら言いました。「そりゃきわめて土俗的なものかも知れないけれど、そういう土壌の上に初めて、純粋な信仰の花が開くのじゃなかろうか?」
 「日本人は決して無宗教ではないと言いたいわけだ」と気のなさそうにまとめたX氏は、グイと1口、ワインを飲み干して、咽を潤しました。「まあ、それはキミの現状肯定主義の産物だろうな。そう指摘したからと言って、何がどうなるものでもない」
 「そうかしら?」
 「そうだろ!」とX氏は、当然だと言わんばかりの表情でわたくしを見つめます。「ダラダラとお経を唱えることに意味があると言っているんだから」
 「それも意味があると言っているのであって、それだけが意味があると言ってるわけじゃありませんよ」と言いながら、わたくしは前菜のサラダを口にしました。
 クリスマス前のレストラン内には飾り電球の点滅するクリスマス・ツリーが飾られ、窓の外の、駐車場を隔てる樹木にもまた、赤・青・緑の電球が点滅しています。それはふと、わたくしに、
 青色青光
 黄色黄光
 赤色赤光
 白色白光
 という阿弥陀教の1節を連想させたものです。ビルの間に覗く繁華街のイルミネーションも、何やら年末のにぎわいを帯びて華やかに映えています。我を忘れたその一瞬は、むろん極楽ではないにせよ、それに通ずる夜の中の光の世界に見えました。
 「甘い、甘い!」とX氏は笑います。「それこそ通俗テレビ・ドラマの1シーンにしかならない発想だ」
 「そう?」
 「いわゆる現代生活に満足している証拠じゃないか。むろん、オレはそれに満足しているから、そんな妙な自己暗示はかけない。その方が正直だろ?」
 「どれだけ深く自分の心で捉えているかと言うことでしょうけどね」
 「心で捉えるより、まず口で捉える方が先だ」と言って、X氏は魚料理を口にし、空いたフォークをわたくしに向けたまま、「そもそもキミは西洋料理を食っちゃいかんのよ、厳格に言えばね。しかもクリスマス・イブに!」
 「あなたはいいんですか?」とわたくしもつい微笑を漏らしたものです。
 「オレは御馳走派だから、うまいところならどこでもいい」と言って、X氏はまたワインを口にし、「何だな、『007危機一髪』だったと思うけど、敵が舌平目に赤ワインを注文したとき見破るべきだったとジェームス・ボンドが言っていたけど、なるほど、魚は白ワインに限る」と仄かな黄味を帯びて照明の光を散らしているグラスを掲げました。
 「よろしいですか?」とウエイターが尋ねて皿を引き上げ、まもなく、それぞれの前にメイン・ディッシュの肉料理が運ばれて来ました。その牛ヒレ肉の柔らかい舌触りをしばし黙って堪能した後、チラリと目を上げたX氏が、
 「もう議論は尽きたのか?」と言いました。「まあ、衣食足りて礼節を知るだから、まず食事にいそしめばいいんだけどね」
 その優しい口調に誘われて、
 「ボクはブッディストという言葉が好きですね」とわたくしは言いました。「どこか開かれたイメージがあるじゃないですか」
 「酒も飲めば肉も食うしね」とX氏。
 「それは親鸞聖人の昔からだから、まあ、新しくはないけれど、洗練されて革新された浄土真宗がブッディズムと目されるようになればいいなとは思いますよ」
 「それは宗派根性から出た発言ではないと受け止めておこう」とX氏はワイン・グラスを差し出し、
 「もちろんですよ」とわたくしの出したグラスにその先をカチンと当てました。