仏を彫る
 
 門徒の亀山さんがI氏と連れ立ってやって来たのは、報恩講の当日でした。その日の昼前、本堂で講師の話を聞いていたわたくしの袖の中でピッピッピッと携帯電話が鳴り、あわてて廊下に出てボタンを押すと、今日はどうか?と亀山さんが尋ねるのです。
 「今日は報恩講なんですよ」とわたくし。
 「ああ、そうか。忘れてた」と亀山さん。「それじゃあ、いけませんなあ」
 「5時頃には終わっていますけどね」
 「それじゃあ、その頃伺ってもいいですか?」
 「ええ、是非お出で下さい」
 亀山さんの自宅には唐三彩やら清朝の大皿やら、重要文化財級の文物が2階の床の間に無造作に置かれ、その由来を尋ねたところ、本人に趣味があるのは無論のこと、知人にその道の専門家がいるとのことだったのです。
 「実は最近、門徒の方から古い仏像を寄進していただいたのです。鎌倉時代のものだと聞いたので、門徒の方々にそのように紹介しているのですけれど、間違いだったらまずいなと考えています。専門の方をご存じでしたら、ぜひ1度鑑定に来てもらいたいのです」
 報恩講参りで亀山さんの宅を訪れた半月ほど前、わたくしがそう依頼すると、
 「あいつも忙しい男だからなあ」と言いつつも、「分かりました。チャンスがあれば伺いましょう」と亀山さんは請け合ってくれていたのです。
 I氏は60前後の、顔つきや背つきが丸い印象を与える人で、手にカメラを持ち、仏間の仏像を目にするとまず合掌し、しばらく見入っていました。
 「わたしで判断が付かなければ写真を撮って奈良に送ろうと考えていましたが、その手間は要りません。これは鎌倉仏に間違いありません」とI氏は言い、その根拠をいろいろ挙げてくれました。
 「なるほど、なるほど」とわたくしはいちいち頷き、「しかし、よく勉強しておられますねえ!」
 「この仏像とどれだけ会話が出来るかです。それがわたしの楽しみですし、人から聞いたほんの切れ端のような言葉が強い示唆を与えてくれることもままあります」
 「でも、そのためにはかなり素養を積まないとダメでしょう」
 「いえいえ!」とI氏。「たとえば、子供の感受性は手垢が付いていないだけにユニークなところがあることは、今日では広く認められているでしょう。それと同じことです。素人の鑑賞であっても、わたしの目を開かせてくれたことは幾らでもあります」
 「それもあなたにそれだけの素養があることが前提じゃありません?」とわたくし。
 「素養というか、『好きこそものの上手なれ』ということでしょう」
 「ホントに値打ち物だと分かったんだから、大切にせんといけんなあ」と母が口を挟みました。「1つの財産じゃが!」
 「奥さん、そういう発想の人とはわたしらは話ができんなあ」と頬骨が張って痩せぎすの亀山さんは、座布団に無頓着にあぐらをかいた姿勢で言いました。「金になるかならんかは2の次じゃが!」
 「わたしは金銭で言われんことには、価値が分かりません」と母は余裕の微笑を浮かべています。
 「話にならん!」
 しかし、母は気にとめる風もありません。2人が帰って夕食の時、
 「得したなあ。井口さんのことじゃから、ひょっとしたら大ボラかとも思ったけど、本物じゃった」と言いました。
 「そういう見方がつまらんと言われたばかりじゃが!」とわたくしは不快そうに言いました。
 「だけど、大事なことよ」と母の価値観はもう変わりようがありません。それにつけても、年を取るとどんな人生を送って来たかが露わになるものだと、最近の母を眺めながらつくづくと感じてしまうこの頃です。人は老いてまた子供に返り、しかし、今度はその人生で得たものを確実に体内に蓄えていくもののようです。
 年寄りを大切にしなければならないことは確かとしても、大切にされるに足る年の取り方は、きわめて至難の業なのでしょう。
 仏を自分の心に彫る努力が求められているのです。それを「よし」とする社会風潮もまた、求められているのです。「仏」とは何も仏教風に決め付ける必要はなく、要するに「自分を超えること」または「忘れること」だと、わたくしは考えています。
 「それこそ途轍もなく難しいことじゃないか!」とX氏は笑います。「悟りそのものであって、偉いと言われている坊さんにしろ、悟っているとは限るまい」
 「いやいや」とその言葉を払うように、わたくしは顔の前で手を振ったものです。「それほど大げさな意味じゃなくて、たとえば、絵を描いたり書を書いたりしている時に我を忘れることだって、立派に『自分を忘れる』ことになるじゃないですか」
 「すると今度は、夢中になれれば何でもいいという、毒にも薬にもならない話になる」
 「ある意味ではね」
 「なんだか竜頭蛇尾になってしまったな」
 「夢中な時には何でも、その心的状態はそう大差ないと思うんですよ」と言いつつ、わたくしはテーブルの向こうに坐るX氏の煎茶茶碗に煎茶を注ぎました。「だけれども、平常心に立ち返った時に、それをどう振り返るかが大切じゃないでしょうか?『オレの仕事だ、オレがやったんだ』では、本当の充足感につながらないと思う」
 たとえば、漱石は『夢十夜』の中に運慶の話を書いているけれど、
 『よくああ無造作にノミを使って、思うような眉や鼻が出来るものだな』と感心する話者に向かって、
 『なに、あれは眉や鼻をノミで作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、ノミと槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない』と若い男が語っています。芸術であれ何であれ、そのように受け止める謙虚さが現代人には欠けているのではないでしょうか。
 だから漱石も末尾を、
 『ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由も分かった』と締めくくったのでしょう。
 「それは言えてるかも知れないなあ」と床の間に安置された阿弥陀像を振り返りつつ、X氏も珍しく賛成しました。
 「平安期のものはもっと柔和だが、この仏像のキリリとした姿態や顔付きには勃興期の鎌倉武士の勢いが刻み込まれているとのことでした。両腕をやや前にして立体感を出したバランスから、半眼もやや開き加減になっているらしい」
 「なるほど、プロの指摘だな」とX氏は納得顔です。「そう言われると、さらに凄い仏像に見えて来るよ。現代風の自意識に囚われていては、とうていこんな仏は彫れないだろうね」
 「近代小説が袋小路に陥ったのも、自意識に囚われていたからでしょう」とわたくしは自分の煎茶を飲み干して、改めて注ぎました。「心理小説とは、結局、自意識の膿がもたらしたものですからね。信仰に目覚めたトルストイが小説を捨てたのも分かりますよ」
 グイと煎茶を飲んだX氏は、小説論には関心がないらしく、
 「いずれにせよ、作者が露骨でない作品には静謐さが漂っているわな。誰が見ても、それは分かる」
 「そうしたイメージは仏としか結び付かないんじゃないかしら」とわたくしは言いました。「他のものは結局、『自分』とか『神』とかに関係付けられてしまう」
 「神もダメか?」
 「『始めに言葉ありき』ではダメでしょう。プラトンは『パイドロス』の中で、魂の本質を『始動』だと定義してるけど、それも、要するところ『始めに言葉ありき』でしょ。それでは、民族とか人類とかの自意識にすぎないものね。どんなに優れた芸術・思想であっても、それだと人間という枠を超えられない。つまり『死』を超えられないし、従って『生』の捉え方がイビツになる。今の科学技術文明がジュラ紀の恐竜にも等しいものだと言えないことはないだろうし、ある日突然、死滅しないとも限らないでしょうね」