風土
 
 「こりゃ何ですか?」と読経後、仏壇のちょうど阿弥陀仏の前に置かれている、円筒形のガラスケースに格納された、ステンレス製のつややかな仏具を指してわたくしが尋ねたところ、
 「AA宗の守護霊ですがな!」とお婆さんが言います。「ご住職もAA宗はご存じでしょうが!」
 「桐沢何とかさんが開いた新興宗教ですよね」
 「そうそう、その人ですがな。ご住職、あの人は偉いですなあ。若い頃、好き勝手をやっておられたから、あそこまで到達できたんでしょう」
 「密教系でしたね」
 「そう、密教。毎年、護摩焚きに京都までバスで繰り出しとります」
 「例の護摩祭りというやつですか?」
 「それですがな。そりゃあもう、大したものです。今年の2月は冷たい雨が降って、わたしらは雨合羽を羽織って傘を差し、ブルブル震えながら見ておりましたが、護摩を焚く人は雨の中でも汗を流し流し焚いておりました」
 「いつ頃から行かれているんですか?」
 「さあ、もう10年以上になるわなあ」
 「そりゃまた、どういうキッカケから?」
 「いや何ね、孫がちょっとばかりぐれましてな、その厄払いを兼ねてわたしは始めたんですが、主人はその前から修行しておりました。ほら、そこに4つ守護霊の箱が祭ってありましょうが」
 なるほど、床の間の端に守護霊と書かれた紙を貼った白木の箱が4つ、並んでいます。
 「何ね、私は主人に代わって修行してもらっておるんです。主人はそりゃもう、半端な坊さんよりよほど修行を積んでおります。寡黙な人ですから、誰にもペラペラとは言わんけれどな」とお婆さんは声を低くし、健康そうな皺の寄った顔をテーブルの向こうからわたくしに近づけます。「じゃから、わたしもペラペラ喋ることはしません」
 「どんな修行なんですか?」と、ついわたくしの声も低くなったものです。「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーとか?」
 「そりゃ勿論ですが、この間も1000日行を終えて、表彰されたばかりです」
 「ほう!」
 「今はご住職が来られたから奥にしまっていますけれど、毎日、朝晩、仏壇の前に仏具を並べて、いろいろ印を結び、読経しておりますがな!」
 「この仏壇でいいんですか?」
 「そりゃあ、ご先祖を粗末にするわけには行きますまい」
 「なるほど」
 「この近所にもSS会に全財産を入れ込んだ人がおりますが、わたしはそこまでは行かん。物事には節度というものがありますからなあ。主人はもっと先まで行くかと思ったが、止まったわな」
 「ははあ」
 「そりゃあ、ご住職、ナンミョーホーレンゲーキョー、ナンミョーホーレンゲーキョーと唱えてて(とお婆さんは身振り手振りで熱弁を振るいます)、横に置いていた米を盗まれるのにも気づかなかった人もいますがな」
 「密教系と法華系が盛んですねえ。それに比べ、浄土真宗はノホホンとしてますよね」
 「それでやっていけるんだから、いいじゃありませんか」とお婆さんはまるで意に介さない風です。「うちのお祖父さんはTT教でしたが、やっていけなくなって、おたくのご門徒に戻らせていただいたんです」
 「何とさまざまな宗教をご存じなんですねえ!」とわたくしは思わず笑いました。
 「わたしは、どれがいい・悪いはないと思うとります」とお婆さんの畑仕事で赤銅色に焼けた顔はまじめなままです。「どれも行き着く先は一緒でしょうが!」
 「富士山に登る道はいろいろあっても、頂上は1つですからね」
 「その通りですがな!」
 外に出ると、つい2、3日前までの暖かさがウソのような冷たい木枯らしが吹いています。まだ田畑の残る地域で、溜め池の北のこじんまりとした山々がやっと紅葉を始め、その落ち葉は風に吹かれて山肌に舞っていることでしょう。見送りに出て来たお婆さんは、冷たい風にはトンと無頓着で、
 「それじゃあ、失礼いたしゃんす」と言いました。
 「失礼します」と言いながら、車のドアを開け、「しかし寒くなりましたなあ」とわたくしが振り返ると、
 「なあに、これしき!」とお婆さんは1、2、3と調子を取って両手を上げ下げしました。いつものことながら、それは実に話好きで快活なお婆さんでした。
 池を巡って次の門徒の家を訪れ、
 「本家のお婆ちゃんはお元気ですねえ!」と読経後、わたくしは言いました。「それにAA宗に入っておられたんですねえ」
 「ご住職にも言いましたか?」と銀縁メガネの奥さんの顔が少し曇りました。
 「ええ、ちょっとした話の弾みからでしたけどね」
 「本家にも困っとります。まあ、好きでやっとられるんだから、止められませんけれど、度を過ぎてますわ」
 「はあ」
 「でも、少なくともわたしらに迷惑がかからんようにやってほしいものです」
 君子危うきに近寄らずとばかりに、わたくしはすぐその話題から退散したのですけれど、わたくしの地方には実に雑多な宗旨が雑居しています。阿弥陀仏の代わりに観音を祀っている門徒もいれば、3種の神器の1つである鏡を祀る門徒もいます。
 そもそも江戸時代、三業惑乱という本願寺教団を揺るがした騒動が起きた頃、寺の17代住職は神道の徹底的な排斥と墳墓の不用は真宗の本義ではないと主張し、異安心を唱える者として本願寺に幽閉されて、毒殺されたとのことです。もっとも毒殺というのはいささかオーバーで、郷土史家によれば、当時京に蔓延していた疫病に倒れたのだろうとのことですが、いずれにせよ、真宗一辺倒の土地柄ではないのです。
 「それが日本の宗教の実状だろうな」と弥勒寺さんも認めざるを得ませんでした。「純粋さを求めたところで、神仏習合がその基本線であることから逃れようがない。蓮如が正信偈を定めて成功したのも、真宗の密教化とも言えるしね」
 「だけど、それ抜きにしては爆発的な信者獲得も不可能だったでしょう」とわたくし。
 「そう、だから、今の新興宗教を一概に批判するわけにも行かんのよ」
 「どんな宗教も最初は新興宗教だったわけですからね」
 「そういうことだ」
 「で、今の真宗は伝統仏教になっていますよね」
 「そういうことだね」
 「でも、親鸞の思想って伝統の殻を破る可能性を確かに秘めていますよね」
 「しかし、それは宗門外で活発に展開しているわな。本願寺教団となると、その枠を打ち破るのは、自民党より難しいだろう」
 「小沢一郎のような人物は出て来ないかしら?」
 「そういう人間は出て行くほかなかろう」と弥勒寺さん。「現に彼は新進党、自由党と腰が定まらないじゃないか」
 「でもまた自民党と提携するらしいですよ」とわたくし。「昨日・今日はその報道で持ち切りです」
 「ほう」と弥勒寺さんは無関心の風です。「まあ、好きにやってもらおう。彼の場合、『日本改造計画』の前に『自己改造計画』が必要だけど、まずムリだろう。ちょうど、教団という果実には信心という核が見つからないようなものさ」