1+1=2
 
 「確か『パイドン』でソクラテスが、1と1が近づくとどうして2になるのか分からなかったという場面があったよね」
 「ああ」
 「そこでソクラテスは、いわばつまらない試行錯誤を放棄するわけだ。要するに、1が1であるのはその1に1のイデアがあるからで、1と1とが近づく時、1のイデアは去って、2のイデアがやって来ると、まあ、居直っているわな」
 「うん」
 「それって一種のごまかしだよね」
 「まあ、きつく言えば、そうとも言えるかも知れない」
 「なぜごまかしてまで納得しようとしたかと言えば、1+1=2は絶対の真理だという思い込みがあったからだろ?絶対に正しいことだから、寄りかかるに足る原理だと考えたわけだ」
 「でも、1+1=2ってのは、小学1年生でも知ってる計算式だぜ」
 「人間ならね。だけど、猿は知るまい。頭のいい猿なら、ひょっとして彼らなりに知ってるかも知れないけど、犬や猫は確実に知らない」
 「そのことが、1+1=2が真理ではないって証拠にはならないだろう」
 「だけど、『=』とか『+』とかは、もともと単なる記号だろ。それが人間の理性に幅広く受け入れられるからと言って、『絶対』とは限らない」
 「そこまで言えば、不可知論に陥ってしまう」
 「いや、オレが問題にしたいのは、1+1=2は絶対だと信じる膠着した思考態度からイデアなるものまで持ち出して来た、その詐術なんだ。だからイデアも絶対だと思い込む自己欺瞞が、何と人間を非人間的な淵にまで追い込んだことか!単なる約束事、あるいは外的世界の枠を越えて、人間論にまで広げたところが最大の愚行だよ。それを思うと、プラトンの罪は軽くないね」
 「ソクラテスだろ」
 「いや、たぶん、プラトンさ。初期のソクラテスはYESとNOの問答法が導くままの結論におのれを空しくして従っている。だから、行き着く先はソクラテス自身にも分からないわけで、虚無的な結論で終わるものが多いわな。まあ、プラトンが書いたのだから、どこか下心が感じられないでもないけれどね」
 「むしろ、そちらの方が好感が持てるというわけか」
 「今のオレにはね」と言って、わたくしはホテルの窓の外に広がる京都の街を眺めました。「ソ連が平和的に崩壊してくれたから、ま、よかったんだろうけど、ああいう思考はいつまた復活するか分からない」
 「いよいよ仏教の時代か?」
 「ははは」とわたくしは笑い、「仏教はとっくの昔に末法の時代に入っているよ」と言いました。
 「しかし自らの滅亡を予言した宗教も珍しいな」
 「珍しいかどうか知らないけど、冷静だよね。しかしその後も仏教と称するものは存在しつづけているわけで、オレもその些末な一端に引っかかっている」
 「どうですか、寺の生活は?」
 「まあ、空気みたいなものだけどね。いつの間にか肌にまとわり付いていて、それなしには生きていけない体になっていた」
 「空気というより、まるで阿片みたいじゃないか」
 「ははは」とわたくしはまた笑いました。「単なる比喩のつもりが、深層心理の暴露につながったかも知れないね」
 コーヒーを飲みつつ、上目遣いでKは、
 「隠遁生活だものな」と言いました。「ちょっと早かったんじゃないの?」
 「『日はまた昇る』で主人公が言っていた『どこに行っても自分からは逃れられない』という言葉は若い頃からズッと耳に響いていたなあ。あるいは幸福の青い鳥をわが家で見出したチルチル、ミチルの物語も最近よく想起する。もっとも原作の結末は違うものらしいけどね」
 Kもわたくしもしばらく黙り込んで、過ぎ去って行った時間を推し量るかのごとくでした。それから空になったコーヒー茶碗を眺め、
 「出ようか?」とわたくしが言いました。
 「出よう」とKも賛成し、ホテルを出て賀茂川の河原に降りて、広がる秋の青空を仰ぎつつ、繁華街のある川下に向かって歩き出しました。
 「オレたちが知り合ったのは、初めてのコンパの時だったよな」とK。
 「うん」とわたくしも、賀茂川を歩いて川上の植物園をめざした、明るい春の1日が思い出されます。
 「哲学科で何をやりたいの?」と大学院生が聞くと、
 「実存主義です」と、とっくに色褪せていた流行語でKは初々しく答えたものです。
 「なるほど、なるほど!」と大学院生は余裕のある態度で受け答えし、「キミは?」とわたくしの方を向きました。
 「まだ決めていないけど、デカルトかプラトンです」
 「ほう!そりゃまた古典的だなあ!なぜかな?」
 「ホントは文学を専攻したいんですけど、文学って大学で研究してどうなるものでもないから、とりあえず哲学を勉強しておきたいんです。哲学と文学とはちょうど骨格と肉体のような関係だと思うから、まず自分の骨格をしっかり鍛えたいんです」
 「言ってみれば、2次的な目的か?」
 「そういうわけではありません。現代は思想の流れがない時代だから、自分で自分の思想を作り上げなくちゃならないと考えているんです」
 「要するに文学のために?」
 「そういう事になるんですかねえ……」
 「そんな中途半端な気持ちなら、哲学科に来ない方がいい」と大学院生は、いささか硬化した表情で言いました。
 その語気に押されて黙り込んでしまったわたくしに向かって、しばらくして、
 「大江健三郎の『政治少年死す』を持っているけど、貸して上げようか?」と大学院生が優しい声で言葉をかけました。「右翼の妨害で出版されなくなった本なんだ」
 「はあ」
 「本気で哲学をやるには、ギリシャ語、ラテン語、英独仏の3カ国語、少なくともその5カ国語はマスターはした方がいいだろうな」
 それはわたくしの耳には哲学科に来ないようにアドバイスされたのと同じでした。
 「あった、あった!」と、ごま塩のような口髭の下からまだ健康そう白い歯をニッと見せて、Kは笑いました。「そういう事があったなあ!それで哲学をやめたのか?」
 「そういうわけでもないけどね」とわたくし。「あのコンパはヘルメットのセクトの1つが実施したものだったらしい。知ってた?」
 「後で知った。その手の連中が後から次々と下宿に勧誘に来たから。おかげで1度、デモにも参加したよ」
 「オレはしなかった。でも、あの頃はしょっちゅう誰かと口論して、喧嘩別れしていたな」
 「オレとも何度かやったものな」
 「結局、『オレが、オレが』の世界だったし、それはそれで楽しかったけどね」
 「あれからオレは何ら思想的に進歩したとは思えない。ただ自分の限界を知るための20年だった気がするなあ」
 そう言って澄んだ秋の空を仰ぐKの顔は、頭の毛が薄くなり、口髭を蓄えているとはいえ、20才のままです。
 「お互い様だ」とわたくしも空を仰いで言いました。
 「だけれども、キミの家が寺で、その寺を継ぐとは、あの頃は想像できなかったなあ」
 「ヨーロッパ思想と近代文学との関係が、ちょうど仏教思想と古典文学との関係とパラレルなんだろうって予感は、当時から持っていたよ。初めは古典に馴染めなくて、国語の教員をやりながら悪戦苦闘したけど、1つだけ体得できたことがある」
 「何、それ?」
 「『源氏物語』を面白く読めるようになった時からなんだ、『正法眼蔵』がそれなりに読めるようになったのは。そしてそれと同時に、『教行信証』を非常に面白く感じ出した。今では『教行信証』ほど面白い本はないと思っている」
 「なるほど、分かる気がする」
 「オレには分からないけどね」とわたくしは笑いました。「でも、もう読書体験をあれこれ自己分析することには疲れたよ。ただ、事実を事実として素直に受け入れることにした」
 「年齢とともに淡泊になったのさ」
 「多分ね」と言って、わたくしは足元の小石を川に向かって蹴りました。
 「おいおい、まだ若いじゃないか!」とKが驚く顔は、わたくしが予期した通りのものでした。
 「まだ若いさ」とわたくしは冗談ぽく言いました。「まだ若いだけで、それほど若いわけではないから、少しは謙虚になれるんじゃないの。学生時代の高慢ちきな自分には2度と戻りたくないよ」
 「違いない!」と言って、Kも石を蹴り、2人してしばらく賀茂川の川面を吹き下ろす秋の風に吹かれていました。