海の見える丘
 
 カアカアカアと、夕方のどこかの空でせわしくカラスが鳴いています。実にカラスは利口者で、墓地の花立てのもう底にしか水が残っていないと見ると、口でくわえて来た小石を投げ込み、水位を上げて飲むと言います。墓地の周囲に最近、サオを立てて糸を巡らしているのはカラス除けとのことで、
 「効果がありますか?」と尋ねると、
 「ありますねえ!」と門徒の人は誰もが感に堪えぬ表情です。「頭がいいだけに、かえって気味悪がるんでしょうな!」
 「しかしどこの墓地もきれいになりましたねえ」
 「もう競争ですよ」と門徒の人は言います。「周りが新しくすると、自分のところだけ古いままで放っておくわけには行きませんが!後れを取ると、墓地がいつの間にか狭くなるやら、低いままだから水が溜まるやら散々な目に会います」
 「死んだ後まで競争とは気の毒な話ですね」
 「いや、生きた人間が競争してるんでさあ」
 「違いない」と言って、わたくしは笑ったものです。
 寺の起死回生の妙手が墓地経営だという通念があるようですが、はたしてそうでしょうか?仕事柄、いろんな墓地に行く機会がありますけれど、いつまで経っても埋まらない墓地も近ごろ目立ちます。と言っても、都会の墓地不足は深刻で、わざわざ岡山あたりに買い求める人の話も聞きます。それでも東京で求めるよりは、維持面でもスペース面でもはるかに割安とのことなのです。
 「しかし人が墓を欲しがらなくなったら、坊さんは困るだろうなあ」と友人が言ったことがあります。
 「そりゃ困る」とわたくし。「だけど、そういう事態は起こらないから心配ない」
 「ひどく自信があるじゃないか」
 「だってピラミッドとか秦の始皇帝の墓とか古墳とか見ただけで、分かるじゃないか」
 「ありゃ昔の話さ。今はインターネットで世界中の誰にでも、いつでも、どこからでもアクセスできる時代だぜ」
 「と言うことは、誰でも墓を持てる時代でもあるわけだ」
 「ああ、そうか!」
 「仏壇が個々の民家に備わったのは江戸時代からだと言うしね。檀家制度が完成した江戸時代から仏教は堕落したと言うけれど、一概にそうとも限らない。中近東あたりの宗教の過激さを見てみなさいよ。ああいうのがホントにいい?そりゃあ純粋かも知れないけれど、純粋ってことは偏狭でもあるわけで、そのために抑圧されている人々も少なくないはずだぜ」
 「その意見は分かるが、ただ、宗教家の発言としては問題ありだな」
 「そんなことはない」とわたくし。「社会風俗としての宗教だと考えれば、今の日本の現状にそれほど悲観する必要はなかろう。だって、人は必ずいつか死ぬのだし、現代文明って死を憎むか、せいぜい引き延ばしするしか出来ないわけだから、最後に何か『死』の意味付けが求められて、それが葬式ってことになるんだ」
 「文明が進んでも葬式は残るだろうか?」と、わたくしの語気に押された友人はいささか受け身に回りました。
 「残る!」とわたくしは断言しました。「だって、終戦直後より現在の方が冠婚葬祭は派手なんだぜ」
 「そりゃそうだけどな」
 「なくなるとすれば、本当に仏教が信じられた時だろうな」
 「?」
 「釈迦にせよ親鸞にせよ、もちろん、葬儀などというものには重きを置いていない。だけれども、偉大な人間の『死』を悼む一般人の真情が壮大な伽藍を構築させつづけたわけで、それはそれで意味のあることだろ?」
 「それも言えてるな」
 「その縮小版が一般人の墓と考えれば、なくならない。ただし、本当に仏教自体に救いを求める場合を除いてだけどね」
 「なるほど」と言って、友人は海に向かって広がった、小高い丘の上の、まだ新しく開発されたばかりの墓地から東の空を仰ぎました。「ここの仏さんたちは毎日、朝陽を拝む格好か。方向が悪かったかな……」
 「いいんじゃないの」
 「西方浄土と言うじゃないか」と言って、友人はわたくしを振り返ります。「いいの?」
 「海を眺めた方が開放的だろ。みんな西を向いたら、よその墓の背中を眺めることになる」
 「だけど、観音さんがいるぜ」と言って、友人は丘の上に立った白亜の、大きな、人形のような丸い目をした観音像を仰ぎました。「夜になるとスポットライトに照らし出されて、街からも見えるらしい。最高のコマーシャルだよな」
 「お宅の墓だけ西向きにしても、かまわないけどね」
 「いや、やっぱり海の見える方がいい」と言って、友人は笑います。
 カアカアカアと、どこか空の高みでカラスが鳴いているように聞こえますが、実は麓の木立の陰からこちらを窺っているに違いありません。わたくしたちが立ち去るとすぐ、お供え物をつまみに来る算段なのです。
 海は夕陽を浴びて明るみ、入り江の波に金の鱗が無数に散っています。小舟が白い水脈を残して行き来し、コンクリートで固められた岸に巨大なタンカーが横付けしています。そこは広大な製鉄所で、高い煙突のあちこちでポッ、ポッと赤い炎が吹き出し、屑鉄を積み重ねたような建造物が巨大に傾いて見えます。これほど風光明媚の地にも関わらず墓地として開発できたのは、目の前が工場群だったが故なのでしょう。
 「死者の住宅事情も近代産業に左右されるんだなあ」と友人は感慨に耽る風です。
 「地獄の沙汰も金次第だな」とわたくし。
 「逆だったら大変だ」
 カアカアカアと、また遠く低く、カラスが群れをなして鳴きました。