捨身
父が倒れたからすぐ来てくれと母から電話があったのは、夜の10時近くでした。車を駆って妻と寺へ行くと、外科医の叔父が深刻な顔をして見下ろす居間の布団の中で、「痛い、痛い!」と父が子供のように唸っています。まもなく白い救急車が到着し、父に付き添ってわたくしも乗り込み、ピーポ、ピーポとサイレンを鳴らしながら発進した救急車の後ろに付いた窓から外を見ると、薄暗い外灯の中に家々から次々と黒い人影が出て来、寝間着姿の人も少なからず見受けられたものです。
トイレで突然、倒れた父は脳内出血でした。前頭葉だと今の医学の力でたいてい助かるのだけれど、父の場合、間脳付近の出血のため手術が不可能だと医師は言いました。余りに生命の根幹に近く、手術自体が非常な危険を伴うのです。再発を防ぐしか方法はないとのことで、要するに安静にする他なかったのですが、医師の予想した山の1つの10日目あたりでまた脳内出血を起こし、CTスキャナーで撮った脳の断面図に日に日に、白い脳死部分が広がって行きました。
半ば戻っていた父の意識は、それから2度と回復することはなく、生命維持装置によって心臓のみが動く状態となりました。清潔で白い病室の隅で作動しつづけるその機械音が、今や父の血の温かみを支えていたのです。
「いつまで続くのでしょうか」と母が、大学から実習生として送られて来た、まだ若いけれど額の禿げかかった担当医師に尋ねたことがありました。
「分かりません」と医師の口調は率直かつ単刀直入でした。「明日にも亡くなられるかも知れませんし、2年、3年と生き続けられるかも知れません。現にそういう方がこの病院にも何人もおられます」
「回復の見込みはないのですか?」
「ありません」
「ああ!」と思わず母は嘆息し、
「100%ないのですか?」とわたくしは再確認せざるを得ませんでした。
「ありません」
「と言うと、死んだも同然と言うことですか?」
「と言うか、お父上はすでに亡くなられているのです」
「?」
「だってそうでしょう!」と医師はひどく意気込みました。「もう意識が戻る見込みがないということは、1個の人格として破壊されていることになるでしょう。最近の医学の進歩によってこうして心臓だけは動かすことが出来ますが、いわば『生ける屍』の状態なのです」
「じゃあ、どうすればいいのですか?」
「生命維持装置を外せば、今すぐ全てお亡くなりになります」
「そうするのがベストなんですか?」
「何度も言うようですが、もうお父上は意識が回復される可能性はありません」と言いながら、白衣の医師は窓に寄りかかり、吹き込む風に乱れた少ない前髪を手で掻き上げました。「しかし肉親の情として、現に目の前で生きたように眠っている親の息の根を止める決断が出来るかというと、難しいでしょうね。自分の親だと仮定した場合、ボク自身、どう判断するか、何とも言えません」
しかしそれからまもなく父の脈拍は目に見えて弱り、近親者が呼び集められ、脈拍を表わすオシログラフの白い波線が限りなく1本の水平線に近づいて行って、
「いいですか?外しますよ?」と院長が何度、確認しても、白壁を背に寄り添い集まった近親者の誰も黙って立ったままなので、
「はい、外しました!」と院長が言いました。
それでも反応がなく、
「お亡くなりになりました!」と院長が半ば叫んで初めて、わたくしたちの中からすすり泣きが漏れ始めたものです。
「あの時、親父がずっと生き続けていたら、どうしただろう?」とソファに寝転がってテレビを眺めながら、わたくしは父の死に至る経過を想起しました。「脳死状態で何年も生き続けていたら?」
「お父さんが亡くなった時のこと?」と流しで食器洗いしていた妻が尋ねました。
「そう」
「世話をして行く他なかったでしょう」
「脳死移植法が制定されて丸1年が経ったけれど、まだ臓器提供は1例もないんだって」
「臓器が提供されれば生きられる人もいるでしょうにね」
「だけど、オレには少し抵抗があるな」とわたくしは言いました。「さっきのニュースキャスターは、ドナーカードで臓器提供の意思表示をしていない人は非人間的だと言わんばかりだったけれど、押しつけがましいんじゃない?」
「だけど、身内に重病人が出たら、臓器をもらえればホントに助かるわよ」
「そりゃ分かる。だけど、まるで部品みたいに臓器がやり取りされることには違和感があるな。現にそうした実態がアメリカあたりではあるって話を聞くぜ」
「気持ちは分かるけど、じゃあどうすればいいのって反論が返って来るわね」
「大きな思想的な問題だからなあ」と言ってわたくしはソファの上でうつ伏せの姿勢を取って、ピーナッツをつまみました。「要するに現代社会では生は全面的に善で、死は全く悪だって観念が浸透してるわな。死が忌み嫌われる中で臓器移植によってひたすら生き長らえることだけが追求されるってことは、不健全じゃなかろうか?」
手を拭いてテレビの前の椅子に腰かけ、わたくしと一緒にピーナッツをつまみつつ、
「そうね」と珍しく妻も賛意を表しました。
「仏教には捨身って行為があるけど、それはまだ生きている人が自ら身を捨てて慈悲行を実践することだわな。死んで要らなくなったから誰かに上げましょうと言うのとは、本質的に違う」
「でも、そのことで救われる人がいるのよ」
「だから、そういう法律に反対なわけじゃないんだ。ただ、今の社会風潮だと、そういう功利主義に陥る危険性があると言いたいだけさ」
「難しいわね」
「そう、難しい」
そう結論づけると、わたくしたちは黙ってしばらく夜のニュース番組を見ていました。するとフッと思い出したように、
「さっきドナーカードの置いてある場所が分かりにくいって言ってたでしょ?」と妻。
「ああ」
「あれって嘘だと思う。本当に臓器提供の気持ちがある人なら、探すはずよ」
「そうかも知れない」
「日本では根付いていないのよね」
「それも難しい問題だ」
「そうね……」
そうは言っても、結局、「生死」の問題だとわたくしは考えています。死ぬことは誰にとっても怖いことだけれど、しかし、その運命を受け入れてよく生き、よく死ぬほか、人の選ぶことの出来る道はないのではないでしょうか?死を前にした時、たぶん、多くの人はそうした心境に目覚めるのだと思いますが、死に赴く人を世話しなければならない人(近親者とか医師とか)にはまだその感覚がゼロに近いのでしょう。その意識の齟齬が、死の床についた人の周囲で現在、繰り広げられている気がしてなりません。
戦国時代、「欣求浄土、厭離穢土」のスローガンが受け入れられたのは、戦いに明け暮れた世情の故でもあったことでしょう。翻って現代、これだけ日本の人口があれば死に行く人もまた少なくないにも関わらず、「死」は可能な限り遠ざけられています。
そこに自我の肥大化はあっても、おのれの運命に対する謙虚さが生ずるはずもありません。そしてそれは巡り巡って、おのれの首を絞めることにもなるのです。
「極楽浄土」とは、決して幻想化されることのない「死の姿」だとわたくしは考えています。きらびやかな荘厳によって飾られているのは、あくまで方便であって、その本質は仏法、つまりは悟りの実現にあるはずです。「悟る」とは生死を超える道であってみれば、死後にその確信を得た現在の生もまた、その幸いは小さくないと言うのが、浄土真宗の教えるところです。
少なくともわたくしはそういう風に了解しています。