極楽往生
 
 「ご住職」と、お盆参りの読経の後、ニッと笑うと広い口の目立つ婦人が尋ねました。「正直に答えて下さいね。極楽は本当にあるのですか?」
 「極楽の考え方に依ると思いますねえ」と、言葉を選びつつわたくしは答えたものです。「現実世界の延長のような極楽の世界があるとは思いません。それは悟りの世界の1つのシンボルですからね。でも、われわれ凡人はそういう具体的なイメージを通してしか、なかなか悟りの世界を思い浮かべることはできないんじゃないでしょうか?」
 「前のご住職は偉かったですねえ!」と、待っていましたとばかりに意気込んで婦人は言いました。「『わしはまだ行ったことがないから分からん』と仰いました。それが本当のところじゃないのですか?親鸞さんだって、そう仰っているんじゃないですか?」
 背中を丸め口を広げてそう言う婦人の表情は得意げでしたけれど、1本取られたとの思いと、そうではなかろうという反発とがわたくしの胸の中で交錯しました。しかし何か反論すれば袋小路に陥るだけだとの予感があって、差し出されていた冷たいお茶を口に含んだまま、
 「ははあ、なるほど」とつぶやいたものです。
 「前のご院さんは偉かった!」と戦争で片目を失った門徒の方がしばしば口にするその1つの理由が、同じ極楽問答でした。「あれは本願寺会館だったかなあ。説教を聞きに行ったことがあったが、館長の言うことは屁理屈ばかりで全然心に響かなかった。地位は上かも知れないが、ご院さんの足元にも及ばん奴じゃった」
 そしてわたくしを改めて眺めながら、前のご院さんのように早くならないといけないと忠告するのです。
 どうも父は至るところでそのように振る舞っていたようです。「そう仰った時、ご院さんの金歯がキラッと光ったのを、ご住職の話を聞いて、今鮮やかに思い出しました」と言った婦人もいますし、「わたしも聞いたことがある。宗教家がああいうことを言ってもいいんじゃろうかと後で言う人もいた」と言った人もいます。
 父は亡くなる前、無意識のうちに正信偈を唱えていたような人です。家では決して宗教家風であっとは言えず、長年唱えていれば無意識に口にも出てくるだろうとも思ったものですが、忘れられない出来事には違いありません。いずれにせよ、父がそれなりの宗教家であったことだけは確かです。
 ところが、先だって読んだ五木寛之氏の本に次のようなキリスト教の神父の話が紹介されていました。
 「天国があるかどうか自分には分からない。だが、バスの運転手がその行き先が分からないと、乗客が不安に思うだろうから、天国はあるんだと常々自分に言い聞かせている」というものです。ぶしつけな質問に答えた神父の正直な告白に、五木寛之氏はいたく感動していました。
 確かに正直で、感動的ですらあります。しかし、「それでも……」とわたくしは反論したい気持ちを抑えることができません。
 キリスト教の天国はどのようなものか分かりませんが、金色に彩られた仏壇、あるいは本堂は、やはり悟りの世界のシンボルではないでしょうか?浄土真宗が巧みなところは、悟りに縁遠い一般人に死後の世界で悟ることができると説いた点にあるのではないか?そして死後の悟りと現在を結ぶものが、ナムアミダブツなのです。
 死んだ後に悟ったって仕方ないという人もいるでしょうが、死んだ後であれ、悟りを得ると確信して生きる生き方と、そういうことに無縁な生き方とでは、雲泥の差があると真宗では教えているのです。
 「それって皮肉?」とO嬢が言いました。
 「そんなことはない」とわたくし。
 「わたしはその日暮らしで未来も過去も関係なく生きて来たのよ。そりゃあ40を過ぎて、このまま人生が終わるのはどこか寂しい気がするけど、そういう気分に乗っかった説教は押し付けじゃない?」
 フッとタバコの煙を吐き出したO嬢の向こうに、窓枠に填め込められた東京の夕闇が、キラキラと地に落ちた星の光をばらまくように深いピンク色に染まっています。どこまでも広がる都会の奥の西空は今赤く、天を覆う黒雲に囲まれて、夜に閉ざされる間際の光芒を放っていました。
 O嬢の目尻の小皺に時の移りゆきを感じざるを得ないわたくしは、
 「今何をしているの?」とコーヒーに口をつけつつ聞きました。
 「相変わらずよ」
 「翻訳の仕事?」
 黙って頷いてタバコの灰を指で叩いて灰皿に落としたO嬢は、長かった黒髪を今はウェーブのかかったショートカットに変えたうなじの後れ毛に、かすかに昔の残り香が薫るかのようでした。
 「結婚はしないんだな?」
 「あなたにふられたから」
 「ははは!」とわたくしは笑いました。「ふったのはどっちだい」
 「どちらかしら?」とまたタバコの煙をフッと吐き出して、O嬢は眼下に広がるビルの1つをボンヤリと見下ろしています。
 「どちらでも同じことだな」とわたくしは真面目な、不機嫌な声で言い、「40過ぎて久しぶりに会って、過去をつつき回すのはよそう」と言いました。「ぼくらの意志に関わりなく、時間は流れているのだから」
 「ねえ、あなた、わたしの理想の恋愛は何だったか覚えている?」とO嬢は、若い光を瞳に見せて問いました。
 記憶の襞々を素速く探し回ったわたくしは、
 「確か心中じゃかなったかな?」
 「そう、覚えていたのね」
 「なかなか忘れられない意見だったもの」
 かつて他の女性に夢中だったわたくしは、真夜中にO嬢の下宿に転がり込んで、嘆いたりぼやいたり、恋愛論をぶつけ合って、鳥たちの切なく激しい鳴き声の中で白々と夜が明けるのを迎えたことがありました。その時もO嬢はタバコをふかしつつベッドの端に腰かけて、強いまなざしでわたくしを見つめ、
 『あなたは好きな人と心中できる?』と問うたものです。
 『オレは生きるために恋してるんで、死ぬためじゃない』
 『恋は現世では必ずいずれ冷めるものよ。永続化させるには死ぬしかないのよ』
 『肉体的な恋はそうかも知れないが、恋を通してオレたちは永遠に出会うんだ』
 『いわゆるプラトニック・ラブってやつ?』
 『そういう人もいる』
 『要するにあなたにとって相手は誰でもいいのよ。自分の夢を見ていたいだけなのよ』
 『2人で同じ夢を見たいんだ』
 『はた迷惑な話だわ!』
 わたくしたちの青春時代の出会いは、そうして2度と取り戻されることはなかったのです。
 「心中しても極楽に行けると、あなたは考える?」と、どこか現実生活に流されている静かな声でO嬢が聞きました。
 「そゃそうさ」
 「ずいぶん物分かりがよくなったのね」
 「心中する気力もなくなったから、物分かりもよくなったんだろうな」
 「もともとそういう志向ではなかったしね」
 「そう」とわたくしはジョークっぽく頷きました。「それであなたはどうなの?」
 その時、ウエイターがやって来て、グラスに水を注ぎ足し、コーヒーカップを盆に載せてカウンターの奥に消えるまで、O嬢は黙ったままでした。それから、
 「死後のことも考えなくちゃいけないのかもね」とつぶやきました。「考えることが意味があるんだってことは、わたしにも分かるもの」
 O嬢は「死後」と言っても「極楽」とは言いませんでしたが、それはわたくしにとってこの際どちらでもいいことでした。
 「まあしかし、東京は生のエネルギーに満ち満ちているからなあ」とわたくしは1つ伸びをしました。「生きていることが1番だと誰でも考えているだろうな。1番であることに違いないんだし……」
 今、高層ビルの展望喫茶の上にも夜は確実に降りて来ています。そして厚い雲に隠れて無限の深い宇宙空間に星がまたたく時刻でしたけれど、わたくしとO嬢とのひと時は、地上に向かって降りて行く狭いエレベーターの中で閉じられたのでした。