生きるという事
 
 空が青いのは、星に命があるからだと誰かに聞きました。太陽が明るいのは、夜眠って活力を回復するからだとも。
 秋が来ると木々の緑が色褪せるのもまた、活力回復の1つの過程と言えるでしょう。春には春の、秋には秋の生命のサイクルが脈々と波打っているのです。
 アキコという名前はだから、実にさまざまの命の彩りを帯びているはずです。いわく晶子、安紀子、亜紀子、秋子、昭子、亜希子、顕子、晃子、明子、章子、そして愛希子。どのアキコを取ってみても、アキコに変わりないのですけれど、同じ人間、同じ運命を奏でることは決してありません。
 アキコが生まれて幾らたっても食欲を示さない時、わたくしは大江健三郎の『個人的な体験』を連想しました。まさに降って湧いた歓迎されざる事態からどうにか撤退できないものかとちょっとばかり思案しましたが、結論は『個人的な体験』の示す通りです。
 『空の怪物アグイー』のような行動は、夢想できても、夢想で終わる他ありません。
 市民病院の前の狭い駐車場を渡り、車のせわしく行き来する道路を手動式の信号を使って横切って、わたくしは妻と向き合って小さな喫茶店のシートにドンと腰かけました。
 「あなたにも手伝ってもらわないといけないかも知れない」と妻はささやくように言いました。「わたし1人ではとても面倒を見切れない」
 「うん」とわたくしは窓の外を眺めたままです。多くの車がひきも切らずに行き交っていても、厚い窓ガラスに隔てられた店内にはもう他人事のような響きしか伝わって来ません。
 「植物人間になると、管を使って栄養を与え続けなくちゃならないから、常に誰かがそばについとかないとダメだわね」
 「うん」
 「あなた、聞いてるの?」
 「聞いてるさ」とわたくしはウエイトレスの運んで来たアイスコーヒーに口を付けました。「だけど、そんな状態だと長くは持たないよ」
 「でもさっき先生も、そうした状態で何年も生き続けている人が現にあの病院の中にも何人もいるって仰っていたじゃない」
 「そういうケースもあるってことだっただろ」
 「そういう最悪のケースも想定しておかなくちゃならないでしょ」
 「そうなった時に考えるんだよ。今からあれこれ思い悩んでも仕方がない」
 「覚悟が必要でしょう!」
 「今から?」
 「そう!」と妻は目の前のグラスを見つめたまま手を付けようとはしませんでした。「わたしは覚悟をしないと、とても耐えられない。そのためにはあなたの協力が必要なのよ」
 「覚悟の協力かい?」
 「そう」
 「もちろん協力はするけどね」と言いつつも、わたくしは妻の心を見ていませんでした。窓の外の病院の上に広がる空を仰いでいました。それは命のはぐくまれるような厚い深い、光に満ちた青さでした。
 しかし、こういう風に生まれることが、はたして生まれることに値するのだろうか?そういう疑問を抱きつつも、その結論もまた、わたくしには下せないと感じていました。そして下せない以上、事実を受け入れる他なかったのです。
 「出よう」とわたくしは妻に言いました。
 そして慌ててアイスコーヒーを飲み干す妻に向かって、
 「まだどうなのか断定できない。明日、大学病院に移るのだから、その検査結果を待とう」と付け足しました。
 高速道路を走って30分で行ける大学病院でいろいろ検査してもらっても、アキコの体に異常は見つかりませんでした。肺は2つ、心臓は左の肺の後ろに1つ、肝臓も1つあれば、両腰に腎臓が1つずつきちんと揃っています。若い医師もこれで食欲がない事態に首をひねるだけでしたけれど、翌日初めてアキコは喉に牛乳を通しました。それから少しずつ流入食に慣れてゆき、普通の赤ん坊に戻るまでに1ヶ月とかかりませんでした。
 「どういうことかしら?」と妻が言っても、
 「病院を変わったことが刺激になったんだろう」としかわたくしには答えられません。
 「あのまま市民病院にいたら治らなかったかしら?」
 「さあ、分からない。でも、もうそういうことはどうでもいいじゃないか。治ったんだから」とわたくしは子供を連れて家に帰る車の中で言いました。
 「そりゃそうね」と妻も賛成です。「原因が分かって治らないよりも、分からないでも治った方がよほどいいわ」
 次女のアキコは体つきも顔つきも3人の子供の中でもっともわたくしに似ています。だから病気まで似たのかと、小学校に上がるまで病気がちだった自分を振り返って、ふと思ったりもしたものです。
 その痕跡はわたくしの左腕に今も注射痕として残っています。今では気にならないのですが、子供の頃にはその痕を思うたび、窓の外に真っ赤に咲いていたサルビアの、毒々しいまでに鮮やかな生命の薫りが思い出されてなりませんでした。サルビアの周囲の明るい日だまりの遠さの感覚も、それと共に思い出されたものです。
 その時わたくしは42度の発熱を催して奥の間の布団の中だったのです。危篤状態だと医師に言われて、母は慌てて職場から帰宅したと言います。ちょっと寝込むとすぐ40度を越える熱を出したものですから、そのつど母は仰天しなければならなかったと言います。そしてわたくしの左の二の腕に太い注射針が刺され、打つ場所を求めて注射の痕がどんどん広がり、今も残っているのです。
 「その影響が大きいんじゃないかしら。あなたはちょっとした怪我や病気にもとても敏感だもの」と妻は言います。
 「あなたが鈍感なだけさ」とわたくしも負けてはいません。
 「そうかしら。わたしは少々のことはちっとも気にならないけどな」
 「一病息災と言って、病気を1つ持っていた方が長生きできるんだ」
 「それはそうかもね。でも、癌はイヤだ」
 「癌だって同じだよ」
 「癌は不治の病じゃないの」
 「だけれども、地球を1つの人体と考えると、人類はいわばガン細胞のように地球にいま蔓延しつづけていて、地球を痛めているんだぜ。なぜって、文明は人類の意志の発現そのものだから、増殖しつづけるだけで、周囲と協調しようとしないからさ。その武器が科学技術で、そのおかげでわれわれは快適な文化生活を送っているわけだ」
 「でも今さら未開人には戻れないのじゃない?」
 「それはそうさ」
 「言っても無駄なことをちょっと言ってみたいだけね。そういうのを天の邪鬼というのよ」
 「いや、そんなことはない」とわたくしはいささかムッとして言いました。「意識するかしないかで大違いさ。意識していれば、それが歯止めになる。消極的なようだけど、それだからこそ融通無碍にあらゆる所、あらゆる時に応用できることってあると思う」
 「それが人類=癌ってこと?」
 「ま、そうだわな」
 妻はとうてい納得できない表情です。しかし、いつもそんな風に意識しなくてもいいのです。時々意識して、そこに見える心象風景を心にとどめ、いつもの生活にまた立ち返ればいいのです。
 人類は癌であり、自分は悪人だという風景をそういう形で受け止めたいと、今わたくしは考えています。