何かの終わり
 
 暑い夏が終わり、墓場の上に赤トンボが風に揺られています。
 「今年はトンボが出るのが早いし、多い」と、親類の男の人が言いました。「他人の不幸に敏感なのは人間ばかりじゃない」
 「じゃが富さん」と夫を亡くした80才のお婆さんは納得できません。「人間が死ぬのは不幸か?残された者が不幸なんで、あの人は極楽に行ったのじゃが!」
 法事の読経の最中も嗚咽しつづけていたお婆さんは、真新しい墓石の上に水を注ぎながら、涙とも汗ともつかないものを顔から吹き出しつつ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと繰り返します。
 「これはわしが悪かった」と男の人は謝りました。「それはそうじゃ。わしも女房に先立たれた時にはそう考えておったのに、もう忘れとる」
 墓には花が立てられ、ロウソクに火を点けると、風よけの、上が開いたガラスの筒をかぶせ、1人1人が線香を手向けていく間、わたくしはその脇で読経していました。暑い日には経本の上に眩しく太陽光線が充満し、寒い日には衣を縫って冷たい風が肌を刺しますが、どこでも墓石は無表情のまま幾つも並んでいます。
 「この子が大きくなった時には、わしは土の下で石を抱いているじゃろうな」と孫を抱いて門徒の人が言った、その言葉がなぜかわたくしの耳に残っています。
 「石を抱く」……そのイメージが強くわたくしの心を捉えたのです。石を抱くのが現実だからこそ、たとえ幻想であれ、現代ではもう信じられないにせよ、人はなおも極楽往生を儀式化したがるのかも知れません。そこに葬式仏教の存在があり続けているとも言えるでしょう。
 だけれども、それだけでしょうか?日曜日毎に法事で墓参りしていると、墓はたいてい山の中にあり、ナムアミダブツと唱えるその意味のなさが、木々の緑を新たに目に沁み込まさせてくれます。街中だと墓は住宅に囲まれていますが、頭上に大きく空が広がって、ナムアミダブツが改めてその青さを誘うかのようです。
 「阿弥陀仏は自然を知らせる方法である」とは親鸞聖人の言葉ですが、その真意はともかく、わたくしの胸に強く響く教えの1つです。
 「わたしらは互いの顔も知らずに結婚したのよ」とお婆さんはお膳の並んだ席でわたくしにビールをつぎながら回顧してくれました。「当時はみんなそうじゃった。戦争中で世間もギスギスしていて、船員堅気の人じゃったから、わたしはよう殴られた。浮気も多かったわ。空襲のあった夜は今でもよう思い出す。照明弾ちゅうのは1つで街全体を照らし出すんじゃなあ。Fの街が熱を失った光の中で浮かび上がったわ。その前にわたしの家の裏の山の中から誰か空に向かって懐中電灯の明かりを回しておったわ。おおかた敵に街の位置を知らせていたのじゃろうけど、誰か分からずじまいじゃった。日本人にいじめられていた朝鮮人か中国人じゃろうという噂じゃったが、もうそれどころじゃないわなあ。一面、火の海じゃもの」
 「それこそ地獄の光景だったのでしょうね」と、広島の原爆資料館の数々の資料を想起しつつ、わたくしは言いました。
 「そうよなあ、あれが地獄じゃったんよ」とお婆さんも頷きました。「だけど、いつかお父さんが帰って来るとわたしは信じていたし、実際に帰って来たから、まだ幸せだった」
 「ええ」
 「そう考えると、今の方が寂しいけれど、もうわたしの人生も長くないのに、すぐにお父さんのところに行きたいとは思わん。人間は欲深いものですなあ」
 「誰だってそうだと思いますよ」と言って、わたくしは刺身をつまみました。
 わたくしのグラスにビールをつぎながら、
 「あの写真の頃が一番幸せだったかも知れません」と中陰壇に立てかけられたままの1葉の写真をお婆さんは指し示して言いました。振り向くと、お遍路の白装束のお爺さんがどこかの寺を背景に日焼けしたいかつい顔つきで立っています。
 「喧嘩の絶えないわたしらでしたけれど、この頃には喧嘩にも飽きてなあ」とお婆さんは表情をゆるめました。「5回かけて四国88カ所をみんな回ったけれど、この時だけは1度も喧嘩をしなかった。口喧嘩1つしなかったもの」
 「婆さんも穏やかになって来とったわなあ」と向こうから親類の1人が声をかけました。
 「ほんまじゃ」とお婆さんも素直に頷きました。「わたしは手では負けたけど、その代わり口数では1度も負けなかったわ」
 「はははは!」と親類の人は笑いました。
 もう骨壺は墓に納められた後、写真だけが残る中陰壇の正面にわたくしの膳があり、2列に膳が連なり、上着を脱いだ喪服姿の男の人、黒装束の女の人が2間続きのクーラーの利いた部屋に坐っています。そして、昼間の酒はよく利くけれど、杯を重ねたわたくしは、そこから寺まで30分ほどかけて帰らなくてはなりませんでした。
 このようにして、「死」は人々の生活の中に受け止められているのです。
 「儀式」の合理的説明は無意味でしょうが、そもそも「合理的」であることは「生きている間」のことに過ぎません。「宇宙」の「物理学的説明」にせよ、生きているわれわれ人間の感覚に基づいた1つの姿なのです。昆虫や植物や異星人には、また違った宇宙の姿が立ち現れていることでしょう。
 「生まれて来ること」と「死んで行くこと」とは、人間にとってそんな異界との接点とも言えましょう。そんな「合理」を超えたものの姿が「儀式」として受け入れられているのです。だから、「儀式」と「宗教」とは不即不離の関係にあり、「生死」と「宗教」もまたそのはずのものなのです。
 さて、仏教が哲学的とも言われるのは、激しく「合理」を意識した上での「非合理」だからではないでしょうか?
 人に終わりがあるように、自らの終わりを末法として予言した仏教は、実に冷静な思考でした。そしてその末法から出発したのが親鸞聖人だったのです。それは在家仏教の出発点でもあり、「在家」とは「社会的存在」と言い換えることも可能なはずです。
 「煩悩」とは「自我意識」の結果、生まれるものでしょう。従って、「煩悩」を抱え込んで生きている「悪人」とは「現代人」のことに他なりません。「現代人」であるがゆえのマイナス面、もうどうしようもなく認める他はない欠点を「悪人」と自覚することが、今とりわけ必要なのではないでしょうか?
 現代生活の中に親鸞の思考が呼び起こされる価値が確かにあると、わたくしの考える所以です。