人生の指針
 
 
 わたくしが教員を辞めてはや1年が経ちます。どこかの寺の奥さんが「毎日が日曜日ですね」と言われたことがありましたが、確かにその通りの毎日です。1日1時間の仕事と言ってよく、一般社会の労働観念から行くと、まさしく「宗教は阿片」に違いありません。
 寺に生まれたら寺を継がなければならない義務はどこにもありません。しかし、継がないエネルギーもまた並々ならぬものが必要なのです。東南アジアの仏教徒たちが目にすると度肝を抜くであろうこのシステムに、宗教の生命はもはや枯れ尽きてしまっているのでしょうか?
 「お父さんは何になりたかったの?」と、進路に悩む高校2年の長女に尋ねられ、
 「特になかったな」とハンドルを握りながら答えたのは、わたくしの照れでした。
 「外国に行って、その旅行記を書いて収入を得て、それを元手にまた外国旅行をするのが、わたしにとって一番なのよね」と長女。
 「じぁあ、やっぱり英文科がいいだろう」
 「どうして? わたし、マイナーな国に行きたいの。たとえば、パキスタンとか、タイとか、インドとか……。アメリカに行くくらいなら、むしろヨーロッパがいい」
 「どこに行くにしろ、英語が話せないことには話にならない」
 「ああ、そうか」
 そこは狭い暗い谷間の道でした。対向車があると減速し、またサイドミラーを折り畳まなければなりません。そしてそれが電信柱の近くだと、一旦停車を余儀なくされました。
 「今日は車の多い日だなあ」と、電信柱の前でいつまでも待たなければならなくなったわたくしは、舌打ちしました。
 「でもお父さんは安全運転だから、安心していられる」と後部シートの娘が言います。「お母さんだと、こんな時にも『行け、行け』と楽しそうにぶっ飛ばすから、怖い」
 「お母さんの車は軽4だから、小回りが利くんだ」
 「ああ、そうか」
 「だけど、助手席に乗ったことがあるけど、道ばたの雑草を跳ね飛ばしながら疾走していた。真正面しか見てないのじゃないかと、不安だったよ」
 「そう、そうなのよ!」
 「でも、ああいう性格はいいかも知れないな。あれこれ気にかけることがないだろうから」
 「それ、皮肉?」
 「半分はね」と言いながら、注意深く対向車をよけたわたくしは、池のまわりを回って交通量の多い道路に出る信号で停まりました。初めからこの道路を走れば広くて2車線でもあったのですが、その代わり時間がかかるため、谷間の狭い道を選ぶ車も少なくなかったのです。
 「Mちゃんの人生なんだから、最終的な結論はMちゃん自身で出さなければならないだろうね。だけど、何を本当にやりたいのか分からないなら、英文科がいいんじゃないのかな」
 「お母さんの専攻した文化人類学もいいかなって思うこともあるの。マイナーな国を旅行する私の夢にピッタリだし……」
 「それなら、英文科を出て文化人類学に学士入学すればいい」
 「そういう方法もあるんだ」
 「道はいろいろあるさ。だから、広く選べる手順を踏むのが一番だと思う」
 「そういう意見は説得力があるんだけどなあ……」と言いながら、長女が深々とシートにもたれる気配が感じられました。「いつまでも今のままでいたい」
 広い道路に出たわたくしは、赤い尾灯を光らせて連なる車の流れに乗りながら、
 「そうも行かないだろう」と言いました。「大人になるんだから」
 「ああ!」と長女。「年は取りたくない」
 わたくしは笑いました。
 「まるで父さんと同じ感想じゃないか」
 「ねえねえ、聞いて!」と後ろから身を乗り出した長女が、突然軽やかな調子に変わりました。「顧問の先生が今年の吹奏楽部に危機感を抱いていてね、明日から毎日、朝練をすることになったの!」
 「毎日?」
 「そう」
 「いつまで?」
 「少なくても演奏会まではやるでしょうね」
 「というと、夏休みになるじゃないか」
 「そう。だから私も大変なのよ、いろいろあるんだから。習字もピアノもあるし……」
 「塾もあるぜ」
 「これが余計なのよねえ」
 「やめるか?」今は塾の帰りで、3人の娘が塾に通っていましたから、妻とわたくしのどちらかが毎晩その迎えに街まで出向かなければなりません。そしてそれはかなりの負担ではあったのです。
 「やめたいけど、やめると勉強しなくなることが目に見えているから、やめられない」と長女は殊勝な感想を述べました。
 小さな町中の1本道を通過して、単線の線路に沿って北に走ると、山の麓を出、城跡のある山が張り出したわたくしの町が、白々と明かりをともして夜の平野に広がっています。古い小さなこの町に、わたくしは50年近く、大学時代の1時期を除けば暮らしていることになります。
 長女と同じ高校に通っていた頃、長女と違ってクラブ活動に関心のなかったわたくしは、学校の帰りにはたいてい本屋に立ち寄り、新潮文庫のコーナーで立ち読みしたものです。きっかけは高校に入学した春、父に与えられた岩波文庫版『若きウェルテルの悩み』でした。寝る前、布団にもぐって1晩で読み通し、3日で3回読んだ後、『三四郎』、『罪と罰』とたまたま買って読んで、それからいわゆる濫読時代に入ったのです。
 「マルクスもいいぜ」と、共に体育祭をサボって日向ぼっこしていたS君が言いました。
 「マルクスって唯物論だろ」とわたくし。
 「そう。おれのようなプロレタリアートのせがれには共感できるところが多いなあ」
 高校は昔の練兵場の敷地跡に大学の分校と共にありましたから、とても広く、体育祭の喚声や笛の音も他人事のように遠くの空に響くばかりです。張り巡らされた石垣に沿った楠が、高く雲にかかって風に木の葉を光らせています。
 「おれのような寺の息子はどうなるのだろう?」
 「宗教は阿片だって!」
 「ああ、それ、聞いたことがある。マルクスの言葉か?」
 S君は気の毒そうに頷きました。
 「日本と西洋と一緒じゃないだろうけど……」
 「でも、納得できるな。だって、親父のやっていることを見ていると、葬式をして、お経をあげているだけだもの。それをみんなが黙って聞いているだけさ」
 「それも大切な儀式だと思うけどな」
 「そうかなあ……」
 「この前、うちの婆さんが死んで、休んだだろ」
 「うん」
 「生まれて初めて葬式に出たんだけど、そりゃ退屈したさ。退屈したけど、あれなかったら困るよ」
 「困らないんじゃないの」
 「いや、困る」とS君は断言しました。「死んですぐ焼いて灰にするわけには行かないもの。犬や猫だって、飼い馴れて親しんだものはそう簡単には行かない。ましてや人間だぜ。おまえも体験すれば分かるよ」
 「じゃあ、マルクスの言葉はどうなるんだ?」
 「マルクスだって間違いはあるさ」と言った後、S君は声をひそめました。「K先生ね、ブルジョア感覚の強い人だね」
 K先生は頭の禿げた、生徒に人気のある国語の先生です。普段はニコニコしているのですが、時に額に青筋を立てて、「きさまら、それでも学生か!」と甲高い声で怒鳴ると、ざわめいていた全校生徒がいっぺんにシンとなったものでした。
 「そういう風には見えないけどね」とわたくしは言いました。
 「見えないけど、そうなんだ」とS君はここでも確信ありげです。「おれ、時々あの先生のうちに遊びに行ったから、分かるんだ。旧家だったことをひどく誇りにしている。農地解放に反感を持っていた。ところがおれんちは、その農地解放で小作人でなくなったのだ」
 「なるほど」
 「おまえ、寺を継ぐのか?」
 「分からない」
 「ま、特殊と言や特殊だわな」
 フッと地面に射す楠の影に目を落とすと、その角度はもう昼が近いことを示しています。枝を透かして見える表通りの喫茶店に背広姿の若い人が入り、ドアに付けた鈴がカランコロンと鳴りました。
 「おい、あの喫茶店に行くか?」とS君。
 「いや、食堂に行こう」とわたくしは言いました。「安いし、うまいもの。それに誰かに喫茶店から出るところを見つかったら、それこそまずいだろう」
 「まずい、まずい」とS君はいかにも不味そうに顔をしかめたものです。
 ……
 「信じられない! 体育祭をサボる人がいるなんて!」と長女は叫びました。
 正直すぎたかなといささか後悔したわたくしは、
 「ま、若気の至りだな」と軽い調子で言いました。「そういう時代がお父さんにもあったってことさ」と言ってハンドルを切ると、タイヤがドンと道路脇の低いブロック溝にぶつかり、車体を上げて暗い広い、墓の黒い影が奥深くまで並んだ寺の境内に入り込みました。