ある朝
 
 桜の花の咲く頃は、真宗寺院では永代経の季節です。永代経袋と言って、米を詰める袋が世話方を通して門徒に配られ、当日までに奉納されるのが一つの風習ですけれど、米の詰まった袋は明らかに減って来ています。その代わり現金の入った平たいままの袋が増え、それらが本堂の隅の棚に積まれています。
 山門に幕を張ったり本堂に座布団を並べる門徒の方が2人、9時頃やって来て、後ろ堂から幕やら竿やら座布団やら取り出しています。
 「ご住職、天気になって良かったですなあ」とWさん。
 「3月、4月は毎年こんなに雨が多いですかねえ」とわたくし。
 「菜種梅雨と言って多いことは多いが、こんな年は珍しいわなあ」
 「地球温暖化現象の1つかしら。冬と言ってもほんとに寒かったのは長野オリンピックのあった2週間程度で、あとは春・秋の陽気でしたものねえ」
 「そうですなあ」
 「今日はよろしくおねがいします」と言い残して、本堂の正面に出てみると、Yさんが竿を使って、寺紋を染め付けた白い幕を張り渡しているところです。
 「おはようございます」とわたくし。
 「おはようございます」
 「今日はよろしくおねがいします」
 「こちらこそ、お世話になります」
 「新宅にはもう移られたんですか?」
 「へえ、おかげさまで今年の正月は新しい家で迎えることができました」
 「何とも大きなお宅なんですねえ!あんな大きな家だとは思ってもみませんでした!」
 人の良さそうなYさんの顔がゆるみ、まだ歯並びのいい白い歯がニッとのぞきました。
 挨拶をすませて庫裡に戻り、2階の座敷の窓を開けると、プンと暖かい朝の薫りが鼻を突きました。本堂のすぐ裏手の大人3、4人抱えもありそうな銀杏の大木がまっすぐ空の中程まで伸びて枝を広げています。そしてその向こうに中世に城のあった山が間近に迫っています。昨日か一昨日か、今年初めてウグイスが鳴いていましたが、今日は鳴いていません。鳴いていると、見つけたいと探してもなかなか見つけられないのがウグイスで、たとえ見つけても、いつも木立の中の枝から枝へとこぜわしく飛び移っています。
 庭に桜を植えたいと常々妻は言っていますが、新しい庫裡が立って、そのぶん庭が半分に狭まり、もう桜が植えられる余地はありません。それでもあきらめきれない妻が庭師と相談したところ、桜は幹が太り枝を張るのでとても庭木には向かないとのことでした。以前は庭が今の3倍はあって、蔦や蔓が至るところにはびこっていましたが、また、桜も紅葉も大きく生い茂り、古びた庫裡の離れから夏など緑陰を楽しめたものです。「あの紅葉は本当によかった」と今でも妻は懐かしみ、子供たちも賛成します。
 寺に生まれ育ったわたくしは、寺は自然に維持されていくものと考えていました。しかし、30才で父を亡くした時から、見慣れた木々が1本また1本と枯れて行きました。松は松食い虫でしたが、樫も木犀も桜も、老いて洞が出来て立ち枯れて行くさまを目にする時、思いは複雑でした。寺に住みながら寺が荒廃していくままに傍観するわけにも行かないとわたくしは決断し、サラリーマンを辞めてその趣意書を門徒の方々に配り、寄付で本堂の屋根を修復して庫裡も新築したのです。
 「寄付を募ったからといって、何もサラリーマンを辞めることはなかったと思う」と妻は言います。
 「そう考えるのはトップのプレッシャーがないからさ」とわたくしは答えました。「オレの身になれば、そうは行かない」
 「そこまで義理立てる必要はないんじゃないの?」
 「寺は門徒の支えのおかげで存在しているんだぜ」
 「それは分かっているわよ」
 「寄付するってことは大変なことなんだから、こちらにも相応の覚悟が求められるんじゃないのかな」
 「……」
 「不服なのか?」
 「あなたの好きなようにすればいいけれど……」
 「いいけれど、何だい?」
 「私はただ、一般的でない結論だって言いたいだけ。あなたがサラリーマンを続けたとしても、大半の門徒の人は納得したと思う。でも、あなたがしんどいのなら辞めればいいし、私ももう1人で寺の留守を預かるのはしんどくなって来ていたところなのよ」
 「人生、前向きにならないとね。1歩先んずるか否かが大変な差異を生むことがある気がするんだ。そしてオレにとってちょうど今がその時なんだよ」
 妻はそれには答えず、新築の庫裡の日当たりのいい廊下で庭に背を向けて、アイロン台の上の洗濯物にいつものようにアイロンをかけています。わたくしはいつものように畳に寝転がって、テレビを見ています。
 「もう永代経の準備はいいの?」と妻が問いました。
 「うん」と生返事をしたわたくしは、もう5分だけ寝転がっていようと考えました。